「有楽町で逢いましょう」ってか

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 5月の読売同期会(1976年入社組)は有楽町で、という幹事のT岡(高Oという半匿名の表記も可だが、手っ取り早く実名を明かせば高岡)からのメールが来た。

昭和歌謡で忘れることのできないフランク永井の「有楽町で逢いましょう」(1957年)は、当時オープンしたデパート「有楽町そごう」のPRキャンペーン用に作られたもので、「〽 ビルのほとりのティー・ルーム」という歌詞で分かるように〝ハイカラで高級な街〟のイメージを狙ったらしい。

しかし治五郎の世代が社会人になって馴染んだのは、ティールームではなくJR(旧国鉄)ガード下界隈のゴチャゴチャした飲み屋街=写真=だ。

T岡=高O(高岡です)は運動部長も務めた優秀な元記者なのだが、体質が「下戸」で酒は一滴も飲めないにもかかわらず、昔から人の面倒見が良い。ワシみたいな酔っ払いは、どれほど彼の世話になったか計り知れないのだ。

彼が最終的に設定したコースは、ビヤホール「ニュートーキョー」で土曜日の午後3~5時(飲み放題)というものだが、これは参加者それぞれの性質や近況に対応して熟慮を重ねた結果だろう。労をいとわぬ〝無償の奉仕〟には頭が下がる。

ニュートーキョーは昔、何度も行った店だが、そういう場所ほど最近は迷うことが多いので「たどり着けるかどうか若干の不安なしとしない」と返信すると、「迷ったら携帯に電話して下さい。常にシラフなので、お迎えにあがります」と返ってきた。

当日の話題は大体、想像できる。①将来有望な美青年(と各自、勝手に思い込んでいた)時代の思い出 ②加齢による体の衰えと不調 ③孫の自慢。こんなところだろう。

それを見て第三者が「ほほえましい」と思うか「おぞましい」と感じるか、それも想像はつく。(言わないでおくが)