上には上がある〝オノマトペ〟①

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学生さんだろうか。これまで聞いたこともなかった「オノマトペ」という言葉の意味を調べてみたのだと言う。

オノマトペという言葉の意味は、擬音語や擬態語のことを意味する言葉です。擬音語とは、物や生き物が発する音や声を、文字にした言葉のこと。そして、擬態語とは、心で思っていることや状態など、実際は音のしないことを、文字にした言葉のことです。(以下略)>

はい、一応 よく出来ました(言葉の重複が目立つが)。治五郎も、オノマトペに関心を抱いたのは確か大学時代だ。井上ひさしあたりの影響ではないかと思う。

かさこそ 枯れ葉を踏んだり 薄い紙などが軽く触れ合ったりする時に、かすかな乾いた音を立てる様子。

新解さんの精緻な語釈(下線部)もさることながら、そもそも「かさこそ」という擬音は、どこのどなたが発見して文字化したのだろう。

あの音は「かさこそ」としか表現できないので「よくぞ日本に生まれけり!」と治五郎などの老人は勝手に感動するわけだが、それでいいのだろうか。

しとしと 雨が静かに降る様子。

これをモンゴルでは「cap caр(サルサル)」とか「шир шир(シルシル)」と表現するらしいが、他の百数十か国ではどうなっているのだろう。多分、それぞれに独特のオノマトペを持っているに違いない。

思うに「コケコッコー」と「クックドゥードゥルドゥー」の違い同様、人の耳が認識する音に優劣は存在しない。長い歴史と民族が「これだ」と決めるものであって、〝オノマトペ五輪〟の開催は不可能なのではあるまいか。

「平成最後の一日」と「令和最初の一日」の境目でマスコミが大騒ぎしている今宵。外はシトシトと雨が降り続いている。大した感慨も覚えない治五郎は、心静かにオノマトペの奥深さに思いを致しているのであった。

(写真は、毛布。これとオノマトペにどんな関係があるかは、元号が改まった明朝以降の話になる)