「スマホ」は国語か

 

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親愛なる新解さんこと新明解国語辞典に「スマホ」の3文字が載るようになったのは、2012年1月発行の第七版からである。それ以前は「スマート」しかない。

スマート〔smart〕㊀身だしなみやスタイルがよく、しゃれた感じを与える様子だ。㊁言葉が明快で、好感を与える様子だ。

第七版に登場したスマホも、まだ見出し語にはなっていない。

―フォン 〔smart pfone〕パソコンに準ずる機能を持った携帯電話。メールやウェブ ブラウザーなどのネットワーク機能やスケジュール管理機能などを持ち、多くのソフトウェアを使うことが可能。「スマートホン・スマホ」とも。

いいかい爺さん。これが現代の優れた国語辞書というものなのだ。パソコン、メール、ウェブ ブラウザー、ネットワーク、スケジュール、ソフトウェア。これら6個の外来語のうち、どれか一つでも理解できないと「スマホ」の意味にはたどり着けない。

恐ろしい時代ではないか。

国語辞書なのか外来語辞書なのか分からない。しかも、一つの外来語の意味を調べるのに、ほかに無数の外来語を知っていなければ五里霧中。「スマホ」の意味を日本語だけで説明し切るのが「期待される国語辞書」像なのだが、新解さんでさえ諦めている。

特に、日本では海外で通用しない「和製英語」が幅を利かせているから、パソコンとかスマホとか余計な新語が日々、限りなく増殖している。高齢者にとっては年金問題にも増して、異世代との会話の困難という問題が深刻化しているのだ。

治五郎は、いまだにスマホを持っていない。家でブログを書いたり調べ物をしたり、長文のメールをやり取りしたりするにはパソコンがあれば十分なので必要性を感じず、ガラケー=写真=で満足しているわけだ。(「ガラケー」は、さすがに新解さんにも載っていない。第八版が出る頃には、ガラケー自体が世の中から消滅しているだろう)

なんだ爺さん、ガラケーとは何かって?

うん、ガラパゴス諸島というのは聞いたことがあるだろう。ガラパゴスのような携帯電話だよ。なに、ますます分からない? そうだよなあ。

恐ろしい時代なのである。