熱中症とニッポンの不思議

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中高年の人にお尋ねしたいが「熱中症」なんてもの、昔はありましたか? 「暑気当たり」とは言ったし、ちょっと言葉を工夫する母親なんか「うちの子は最近、鉄腕アトム熱中症でして」などと言ったかもしれないが、熱中症という言葉がこんなに幅を利かせるようになるとは思わなんだ。

連日、テレビが「こまめに水分を補給して熱中症対策を」「室内でも適度の冷房を忘れないで」と呼び掛けている。少しヘンではないだろうか。

地球温暖化は昨日や今日の話ではなく、日本ではクソ熱い日が大昔からあった。冷房どころか扇風機もない時代が何千年も続いてきたはずだが、暑さで毎日たくさんの人が死ぬようになったのは、一体なぜなのか?

国を挙げて水分補給、水分補給と言うもんだから、見なさい。今や日本全国、どこも飲料水の自動販売機=写真=だらけだ(しかも利用者の多いこと)。ニッポンよりも暑い国はたくさんあるが、こんな国、ほかにないよ。

夏の炎天下を毎日テクテクテクテク、4里も5里も歩き続けた「奥の細道」の芭蕉翁は一度も熱中症になった形跡がない。帽子をかぶらず200メートル先のスーパーに行く途中で一瞬、足元がフラつき「あ、来たかな?」と脅えた治五郎などは「日本人もいよいよ体がダメになってきたなあ」と実感させられるわけである。

読んだか読んでないかを忘れる

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この傾向は50歳代から自覚されるようになった。むかし読んだことを忘れて、同じ本を買って帰って後悔する。しかも「むかし」が20年も30年も前ではなく、ほんの1~2年前ということも珍しくなくなってきた。

還暦前後から着々と「断・捨・離」を推進し続けているので、「蔵書」と呼べるものは今や手元にほとんどない。万巻の書物を所有したところで墓場まで持ち込めるわけじゃなし、そもそも治五郎には入るべき墓もなければ入る気もない。

モノとしての本は邪魔だが、日がな一日、テレビやパソコンとばかり向き合っていると人間はバカになると思えてならない世代。幸い、歩2~3分の距離に尾久図書館=写真=があって、読みたい本は荒川区内の全図書館のどこかに1冊でもあれば、ネット予約で翌日には手に入る。

〝毎日が日曜日〟状態にすっかり慣れたワシにとって、1週間の始まりと終わりの境目は尾久図書館の休館日(=月曜日)となっている。

そうだ、明日は城山三郎の『毎日が日曜日』でも借りて来よう。話題を呼んだ1970年代に読んだような気もするし、全く読んでないような気もする。どっちだったかは読んでみるまで分からず、読み終わっても思い出せないかもしれないが、そういう事態は人生の「損」ではなく「得」だと考えた方が利口だと思うのである。

「厳重な抗議」はどのように行われるのだろうか?

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A(間接抗議) 「あのう……北京さんですか? こちら日本政府ですが、北朝鮮がまたミサイルを発射しました。今度は真夜中で、飛距離も伸びたらしい。直接ねじ込みたいところですが、そうもいかないので、また電話しました。日本国は世界と歩調を合わせ厳重に抗議している、と伝えて下さい。北京さんの経済制裁が甘いという声もありますが、今夜のところは触れません。ただ、日本は非常に怒っていると伝えて下さい。厳重に抗議しないと国民が納得せず、時期が時期だけに今の政権もいよいよダメになる。いいですか? こちらからは厳重な抗議を確かに伝えましたよ。後はよろしくお願いしますね」

B(直接抗議) 「やい、北の高官! お前の序列はナンバー2か、ナンバー3か。なに、ナンバー23? えらい格下やな。まあ、ええわい。しかし仏の顔も三度、言うやろ。今回で何度目や思うてんねん。どついたるで、ほんま。こっちかてミサイルを見舞いたいところやが、ま、憲法やら何やらの関係でそれは出来へん。けど、ワシらの親分は外ならぬアメリカ様やさかいな。特に今の大統領が大統領や、平壌に原爆落とすぐらい朝飯前やで。アメリカ様は昔、広島と長崎に落としたことかて済まなんだとは思うてへんのや。全体主義国家は撲滅せなあかん。覚悟して待っとれや。ほな」

抗議の仕方はAでもBでもないと思いたいが、それにしても剣呑な時代になった。(しかしBはなぜ大阪弁なんだろう)

日本がずっと「厳重抗議」してきたはずの「拉致問題」はどこへ行ってしまったのか? 世界の注目が北の核・ミサイルにばかり集中する陰で、例えば横田めぐみさんの年老いた両親がどんな気持ちでいるのか、政府かて少しは「忖度」せなあかんのとちゃうか? (治五郎は大阪とは縁もゆかりもないんやけど、どうも言葉が伝染する傾向が昔からありまんね。難儀やなあ)

 

6個で108円(税込み)のシュークリーム

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1個だと何円か? 少年時代なら暗算で即答できたんだが、半世紀も経った今じゃもう脳がアレだから携帯の電卓機能を使う。「1個18円」と出た。うむ、安い!

一貫してノンベエの治五郎は甘いものが苦手で、落語と違って「まんじゅう怖い」は本心と言える。例外がシュークリームとアイスクリームで、コンビニなどで見かけると前後の見境もなく手を伸ばしてしまう(万引きするという意味ではない)。

本日も100円ローソンで6個入り「自家製カスタードクリーム」が目にとまったので、つい理性を失ってしまった(ちゃんとレジでお金を払いました)。

製造者は栄屋乳業株式会社(愛知県岡崎市)。容器に「クリーム充填の際、シュー皮の一部が中に入る場合があります。品質には問題ありませんので、安心してお召し上がりください」と書いてある。シュー皮という言葉があったのか。

味はどうかというに、もう少~しだけ甘さを抑えた方がいいような気もするが、なにしろ1個18円だから贅沢は言うまい。昭和30年代を思い出させる懐かしい味である。栄屋乳業さん、おいしゅうございました。

 

 

 

 

何十年ぶりかで見た変死体

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治五郎の隠居所は荒川区の端っこにあって、歩いて1分足らずで隅田川。橋を渡れば足立区に入る。さらに何分か歩けば荒川に架かる扇大橋があって、広い河川敷がある=写真=。

早朝に散歩するような健康志向とは縁のない治五郎だが、今朝はどういう風の吹き回しか6時台だというのに初めて荒川を越えてみた(泳いだのではなく扇大橋を渡って)。5月末から働いてワシを養わなければならない役回りになっている妻のアルタン(モンゴル国籍)も一緒だ。(ちなみに、そういう事情があるのでワシはジゴロー)

向こう岸に着くと警察官が20~30人もウロウロしていて、橋の下を見ると中年らしい男が倒れている。もう生きていないことは遠目にも雰囲気で分かる。検死が始まるところで、青いビニールシートもまだ運ばれてきていないが、橋上のお巡りさん(いわゆる「所轄」の署員)がシッシッという目で見るので立ち去らざるを得ない。

ワシも元新聞記者だから、若い頃はサツ回りも経験した。変死体が発見されれば真っ先に現場に駆け付ける。死体といえば殺人の被害者か事故の犠牲者のことで、フツーに病気や老衰で死んだ人の数とは桁が違う(自慢するな)。

立ち去りはしても、ほかに行く所はないからUターンして帰路につく。今度は、橋上にいる鑑識課員が犬(もちろんプードルやチワワではなくシェパード)に履物のにおいを嗅がせている。犬が「はい、分かりました」と納得した顔で歩き出す。一瞬、ワシらの方に直進して来そうなので少し焦った。(来るな、シッシッ)

夕方まで気をつけてTVのニュースを見たが、何も報じられない。事件性が全くないとは思えないのでとても気になるが、警察に「今朝のアレはどうなりましたか?」と電話したりしたら、またシェパードが来るかもしれない。

 

 

「相撲ロス」は隔世遺伝らしい

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相撲ファンは、本場所が終わって1週間ぐらいは「相撲ロス」に苦しめられる。この言葉はまだ辞書に載っていないが、意味は分かるはず。毎日が物足りなくて手持ち無沙汰で、なんともやりきれないのだ。一種の禁断症状。ネットで「相撲ロス」を検索すれば、同じ症候群に陥っている人が多くて「あ、やっぱりなあ」と思う。

ワシ(治五郎)の祖父は権三郎(ごんざぶろう=本名)といって、同居していたわけでもなくワシが小学生の時に60代で他界したから思い出は少ないが、新聞の取り組み表と首っ引きでラジオ中継(まだテレビはない!)に没頭する姿はよく覚えている。

栃若時代=写真は右が栃錦、左が若乃花(初代)=は権三郎の晩年の話で、ワシも知らない戦前の双葉山(あるいはもっと前の力士)に熱狂した世代なんだろう。権三郎から見ると息子を飛び越して孫が、相撲好きの血を継いだようだ。

こういう「隔世遺伝」は、ほかにもいろんな場面で自覚されることがある。ま、続きはまた明日以降。

 

「記憶にありません」に2種あり

 

一つは、言うまでもなく国会中継で昨日も今日も繰り返された常套句。その参考人に果たして記憶があるかないかは証明しようがないので、このセリフが出ると追及する側もそれ以上は追及できない(隠し撮りした画像や音声が暴露されたりすると面白いのだが幸か不幸か、まだ日本の監視社会もそこまでは進んでいない)。

少し退屈になってウトウトしたら、自分が参考人招致されている夢をみた。

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議員「そこで参考人にお尋ねしますが、昨日の晩は何を食べましたか?」

ワシ「え~っと……記憶にありません」

議員「記憶にないはずはないでしょう。何日も前の話じゃないんだ」

ワシ「でも本当に覚えてないんです」

議員「これは非常に重要な点です。委員長、証人喚問をさせて下さい」

 

議員「で、あなたは昨日の晩飯をどうしても思い出せない、と」

ワシ「は、はい………そ、そんなこと、し、知らねえ!」(映画「砂の器」で犯人の老父を演じた名優・加藤嘉の口調)

議員「和食・洋食・中華と分けて考えてみても思い出せませんか?」

ワシ「確か中華……最近ではレバニラ炒め=写真=を食ったが、それは先週だったかもしれない。マーボー豆腐がその前だったか後だったか、そこがどうも今となっては」

議員「中華料理が好きなんですね。委員長、質問を終わります」

 

ホッとしたところで目が覚めた。「記憶にありません」と言う人間には2種ある。忘れたことにして生き延びる人と、本当に忘れちゃっても生きてる人と。

 

 

 

 

ボーッと往来を眺める

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往来というのは①「行くことと来ること」②「道路。通り」のことで、ここでは②の意味だが①をも含意している。すなわち、道路といっても滅多に人が通らない農道や、車しか通らない高速道路のことではなく右から左へ、左から右へと頻繁に人や車(人力車ではない)が行き来する道路というイメージ。

昔は街のあちこちに縁台=写真=というものがあって、夏の夕方になると、地元の暇な隠居じいさんが二人で将棋を指したり、一人でボーッと往来を眺めたりしながら「涼む」姿がよく見られた。ワシも、そういう境涯に立ち至ったようだ。

近所に縁台は見かけないが安い賃貸マンションの1階なので、ベランダから往来を眺めることが多い(自転車置き場と、100円ローソンで買ったスダレ2枚(計200円、税込み216円)のおかげで、こっちに気づいて怪しむ通行人はいない)。

服装で明らかにイスラム教徒と分かるおばさんとか、声高な中国語のカップルとか、なかなか国際色も豊か。目の前を通る時間はほんの1、2秒なんだが、それぞれの人生が圧縮されているようで見逃せない。2秒間のドラマとでも申しましょうか。

隣の分譲(らしい)マンションの入り口前に毎日、何時間も腰かけて往来を眺めている〝大先輩〟がいる。一度、声を掛けてみたのだが反応は全くない。だいぶアレが進行しているのではないかと思う。

自室のベランダに戻って往来を眺めながら、人間の「長寿」や「幸せ」について、ワシなりに深い思索を巡らすしかないわけである。

兄弟子と弟弟子の口の利き方

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今場所は白鵬が通算勝利数で魁皇(現・浅香山親方)を超え、記録を更新した。素直に祝福したい。(写真が違ってるって? 分かってます)

これは2015年に当時の関脇・照ノ富士(今は大関)が初優勝して、付け人の駿馬と抱き合うシーン。なかなか感動的だった。駿馬はかなり年季を積んだ力士で若い照ノ富士の大先輩に当たるが、今も幕下の下の方にとどまっている。

この時の会話は、照「おい、やったぞ」駿「おめでとうございます!」なのか、あるいは駿「おい、やったな」照「ありがとうございます!」なのか。そこんところがワシにはよく分からん。

若い力士が大先輩を追い抜いて地位を逆転するのはよくあることで、現に最近はどの相撲部屋でも世代交代が進んでいる。兄弟子たちのカワイガリという名のイジメ?に耐えて弟弟子は出世していくわけだが、実力本位の世界で兄弟子を超えたり、弟弟子に越されたりした場合、言葉遣いは変わるものなんだろうか。

下級の力士を俗に「ふんどし担ぎ」といい、会社などでも下っ端という意味で使われるけれど、年下の横綱大関は年上の幕下や三段目に対して「俺の回しを片付けとけ」と言うのか、それとも「片付けといて下さい」と言うのか。

関取(十両以上)が幕下以下に陥落したり、その逆のケースが頻繁に起きる(だから大相撲中継十両下位と幕下上位が最も面白い)。番付の上下次第で言葉遣いが変わるとしたら、何か面白いコントが出来るような気もする。

本当のところはどうなのか。できれば誰か、お相撲さん自身に教えてほしいな。

 

 

 

「忖度」の本義

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あれ? 治五郎さんよ、タイトルと写真は少し話がズレてないか? と疑う読者がいるかもしれない。まあ、お聞きなさい。

読み方も知らない人が多かった「忖度」が、今は流行語大賞の有力候補になっているらしい。忖度とは「自分なりに考えて、他人の気持をおしはかること」(新明解国語辞典)で、下線部分は新解さんならではの緻密な解釈だ。

しかし「首相官邸(のエライ人)は自分じゃ言えなくても、こう望んでいるに違いない」と「おしはかる」のは忖度だろうか。そのエライ人に気に入られたいという下心が透けて見えるので、これは忖度というより「計算」だと思う。

写真左の人物を知らない国民はいないが(実は案外、いるもんだよ)、右の女性もアッという間に全国で有名になった。中年男性秘書に対する「このハゲ~!」以下の暴言は、テレビが四六時中流すもんだから耳にこびりついて離れない。梅雨の代わりにジメジメした鬱陶しい気分を味わうことになった。

そっと録音して週刊誌に持ち込んだ元秘書は、褒めていいのか憐れんでいいのかよく分からないが、豊田真由子さま(自称)は録音記録によって完全に逃げ場を失った。自業自得とはいえ、あそこまで人格が出てしまった肉声を暴露されれば弁解のしようはなく、病院以外に隠れる場所はないだろう。本人や周囲の現況を詮索する情報がネット上に氾濫しているけれども、治五郎の気になっていることは……。

真由子さま(あくまで自称) の子供たちは、いじめに遭っているのではないか。ミュージカル調で「♪私に嫌われた人は~、一体どうなるのかな~」的なことを言われてやしないか。さらに想像を逞しくすれば、かつて真由子さま(自称だってば)に1票を投じた人々の「心のケア」は大丈夫だろうか? 「ブームに乗せられて、あんな人物を政治家にしてしまった一人である私に生きる価値があるんだろうか」。ま、そこまで思い詰める有権者はいまいが、自己嫌悪にさいなまれる支持者(元)ぐらいはいてもいい。

忖度という言葉は本来、自分の利得・損得勘定とは無縁なところで「(自分と関係があろうがなかろうが)相手や他人様が今どんな気持ちでいるのか、どうしても考えてしまう」という心事を表していると思う。

それはともかく録音・録画が政治家その他の職業生命を一瞬で奪う時代になった。都議選で圧勝した小池都知事が、雨後のタケノコみたいな初当選の〝小池チルドレン〟に「人前で発言する時は録音されていると思って」と注意したのは正しい。文春とか新潮とか具体的な誌名は言わないが(言ってるよ)、彼らも仕事だから今夜も不祥事やスキャンダルの発掘に命を削っている。近々、また何か出て世を騒がすのだろう。