よく分からない「シイタケの恐怖」

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つねづね申し上げているように、治五郎には食べられない物が一つも無い。(もう歯がナニなので硬い物はアレだが)。昭和2年生まれと3年生まれの両親が、食べられる物より食べられない物の方が多いのとは対照的で、遺伝の不思議を痛感する。

ワシには一つ違いの妹Aと11歳下の妹Bがいて、二人ともどちらかといえば好き嫌いの少ない方だが、一つだけ例外があって、それがシイタケ=写真=だ。

兄(ワシ)はシイタケ大好き人間で、鍋物などは何が無くてもシイタケだけは入っていないと気が済まないのだが、妹二人は正反対。これは何なんだろう。

例えば「茶碗蒸し」にシイタケが入っていると、とても喉を通らないのだと言う。あれは付けマツゲか昆虫に見えないこともないから気持ち悪いのかと思うと、そんな見た目の問題ではなく、においや味という本質的・根源的な問題があるらしい。

妹Aなどは「あれは邪悪な食品だ」と、シイタケの精神性にまで言及する。不倶戴天の敵なのだ。(そこまで言うかなあ)

【不倶戴天】相手に対して一緒にこの世に生きていたくないという気持をいだくこと。「-の敵〔=何としても許せないと思っている相手〕」

他のキノコ類(シメジ・マイタケ・ナメコなど)は平気なのに、シイタケだけは絶対に許せないようだ。ワシにはよく分からん。

ところが、こういう「シイタケ恐怖症」に苦しむ人は意外に多いらしい。野菜だと、ニンジンが駄目だとかピーマンだけは勘弁してほしいという子供がいるのは承知しているが、シイタケもまた一方の雄なのであった。

あゝ、かわいそうなシイタケ。今夜あたり、網で焼いて食ってあげようかな。

 

 

「山月記」を絵で見る

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自称「百閒病患者」の治五郎ではありますが、内田百閒の文章しか読んでいないかというと、そんなことはありません。確かに百閒文学は出合ったが最後、「中毒」「依存」から逃れられなくなる覚醒剤みたいな存在で、村上春樹の新作を読む時間があったら百閒をもう一度読みたい、とワシは思ってしまうのですが、人はパンのみにて生くるにあらず。ほかにも「読まずに死ねるか」的な作家が何人かおります。

その一人が中島敦(1909~1942)で、ワシがどのくらい好きかと言うに、生まれた娘に「敦子」と命名したほど好きなのである。33歳だかで病死した人なので、あまり縁起がいい名前とは言えないのだろうが、高校時代に読んだ「山月記」の印象はそれほど深い。(娘も、彼の享年を無事に超えたようだ)

畏友・大野隆司画伯(1951~)から個展の案内状=写真=が届いて「山月記の作品展を開きます」と言うから、「行かずに死ねるか」という気で行ってきた。

【畏友】尊敬にあたいする友人。

会場は千葉県・柏駅から歩15分だが、行きも帰りもワシには遠くてヘトヘトになった。

【へとへと】ひどく疲れて、何をする元気も無い状態だ。

この版画家は「かわいい猫」の作品で知られるが、それは世を忍ぶ仮の姿。「山月記」展には、本当の彼らしい惑乱と狂気があふれていて、非常に見ごたえがあった。

もう一人、10歳ほど年下の畏友・加藤龍勇画伯(本名は洋)を寓居に迎えてサンド会となったが、話した内容は例によってもう記憶にはない。

【寓居】かりずまい。〔「自分の住まい」の意の謙譲語としても用いられる〕

 

 

「指輪」に好感が抱けない理由

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どうせ、また誤解されるに決まっているんだ。(なら書かなきゃいいんだが、書いちゃうんだよね)

治五郎は「指輪」というものに好感が抱けない。首輪も腕輪も耳輪も、もちろん鼻輪=写真①=もあまり好きではないが、人類にとって「指輪」には独特の意味合いがあるように思う。おそらく、教会での結婚式を連想するからだろう。

牧師「淳一サン。アナタハ一生、志桜里サンダケヲ愛スルコトヲ誓イマスカ?」

淳一「はい、誓います。私はセクハラとも無縁です」

牧師「志桜里サン。アナタハ終生、淳一サンダケヲ愛スルト誓イマスカ?」

志桜里「はい、誓います。不倫は決して致しません」

 人間、ウソをついちゃいかんよ。「~さんダケヲ」に、ワシは強い疑問を感じてしまう。もしも牧師がワシに質問の矛先を向けてきたら、どうなるだろう。

牧師「治五郎サン。アナタハ生涯、コノ女性ダケヲ愛スルト誓イマスカ?」

治五郎「オー、ノー。天ニマシマスいえす様モ『隣人ヲ愛セ』ト仰ッテイルジャアリマセンカ。私ハ、イツカ隣ノ奥サンヲモ愛スルデショウ」

牧師「オー、ノー」

結婚式は、もうメチャクチャである。こういう結婚式(こういうのでなくても)で、必ず執り行われるのが「指輪交換」だ。

指輪は高額なだけに数年後、2~3組に1組は処置に窮する夫婦がいるようだ。(邪推だが、相手を替えて再利用、再々利用する節約家もいるのではないだろうか)

さて、誤解を招かないためには、ここからが重要だ。ワシは「指輪」そのものに好感が持てないだけなのであって、「指輪をしている人」を嫌っているわけでは決してない。(でも、どうせ誤解されるんだよ。グスン)

ワシ自身は、ほんの2度ほど結婚した経験があるが、指輪とは無縁で来た。

会った女性の左手(薬指)に指輪があるかどうかに目が行ったことはない。つまり既婚か未婚かに興味はないんだろう。(どうでもいいのよ)

しかし初対面の男が太い指に指輪をはめていたりすると、つい、顔を見てしまう。あ、アンタ奥さんダケヲ愛しているわけね。(ここを誤解するなっちゅうの)

女性の指輪には別に何も感じないが、男性が指輪を嵌めているのを見ると、つい、顔を見てしまうのは「なんだか伝書鳩=写真②=みたいだなあ」と感じるからだ。

伝書鳩】遠くの土地に通信文を運ばせるように訓練したハト。

朝から夕まで外で働いて、所定の場所へ定時に帰る。伝書鳩には伝書鳩の苦労と喜びがあるんだろうが、ワシには(「社会人」時代全体を通じて)理解できなかった。

伝書鳩が嫌いだと言っているのではないんだよ、何度も言うけど。

 

 

 

 

漢字変換ミスの楽しみ、今いずこ

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日本語ワードプロセッサーというもの=写真=を、治五郎が使い始めたのは確か1987年ごろのことである。当時、作家の清水義範が「ワープロ爺さん」という短編を書いた。老人が慣れないワープロで息子に手紙を書くのだが、漢字変換がうまくいかない。

<幹事にならん名。どうも変な児が出る>。初期のワープロは実際にこんな調子だったから、いま読み返しても抱腹絶倒させられる。

やがてパソコンが爆発的に普及し、2004年には漢検日本漢字能力検定協会)が〝変漢ミス〟コンテストというケッタイな企画を始めた。<文字の変換を間違えたために同じ読み方でも全く意味が違ってしまい、真意が伝わらなかった変換ミス作品>をエピソードと共に募集し、オンライン投票で優秀作を選ぶという催しだ。

「あほくさ」とソッポを向く人も多かったろうが、ワシはこういう「遊び心」が好きでたまらないから、文化面のコラムでやや詳しく紹介した。

テレビ番組を見逃して<誰か、ビデオとってるやついないか?>とネット仲間に呼びかけたはずが<誰か、美で劣ってるやついないか?>と変換された文章を送ってしまった青年。我が子の病気を担任教師に報告する母親は<うちの子は耳下腺炎でした>と書いたつもりなのに<うちの子は時価千円でした>。大笑いされたという。

「お金は内藤さんに渡してください」⇒「お金はない父さんに渡してください」

「なに言うてんねん ‼」⇒「何言う天然 ‼」

「書く仕事がしたい」⇒「隠し事がしたい」

その後も〝傑作〟は枚挙にいとまない。

「うまくいかない画像サイズになった」⇒「馬食い家内が象サイズになった」

「今年から海外に住み始めました」⇒「今年から貝が胃に棲み始めました」

〝変漢ミス〟コンテストは、もう行われていないらしい。もったいない話である。 

日本人は「第三者」にも弱い

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政治・経済・社会・スポーツなど諸分野においてAという主勢力(強者)と、劣勢のBという対抗勢力がある場合、Aの主導で「第三者」なるものに下駄が預けられることが非常に多い。

「専門家」「有識者」と呼ばれるお歴々による「第三者委員会」などというものが、それだ。顔ぶれを見ると著名なマスコミ人や評論家も交じっており、なんとなく公正・中立のイメージがあるのでパンピー一般ピープルの略。今や古語)は安心する。

【第三者】当事者以外の者。「ー(の手)に渡る」

【当事者】直接その▵事件に関係する(事にタッチする)人。「-能力▵が問われる(を欠く)」

しかし、当事者でないからといって油断は禁物。メンバーの中に、A勢力の息のかかった人物が紛れ込んでいることが往々にして見受けられるからだ。

【息】〔動物が〕生きる必要上、空気を吸い込んだり吐き出したりすること。また、その時の空気。「商社のーがかかる〔=世話になったりして、つながりが有る〕」

馬=写真=は大抵いつも鼻息が荒いが、人間は発言力があって鼻息が荒い人ほど、権力者の鼻息をうかがう傾向があるように思われる。

【鼻息】〔音が聞こえるほどの〕鼻でする息。「-〔=ご機嫌〕をうかがう」

【ーが荒い】㊀強さに自信を得て、当たるべからざる勢いである。㊁言葉や態度の端ばしに強気が うかがわれる。

政治家も官僚も週刊誌も、鼻息が荒い場合は、誰かの息がかかっていたり誰かの鼻息をうかがっていたりしないか、パンピーとしては気をつけなければならない。

 

 

日本人は「長いもの」に弱い

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<長い塀 つい小便が したくなり>(内田百閒の川柳)

治五郎は概して「長いもの」があまり好きではない。魚類においてウナギとサンマ(形状ではなく味)が大好きなのは、例外中の例外と言っていいだろう。

ことわざというものは、どれも説得力に満ちているが「長いものには巻かれろ」に、ワシは昔から嫌悪感を隠せない。

【長い物には巻かれろ】力のある者にはかなわないから、黙って従っている方がよい。

 戦争に負けたとたん、日本ではこれが「国是」となった。ウナギとアメリカを同列に扱おうとは思わないが、終戦の8・15までの日本は、今の北朝鮮も及ばないような全体主義国家=洗脳国家だった。最後の一人になっても竹槍で敵を殺す、と本気で思い込んで(思い込まされて)いたのだ。(命拾いした経験者も今では忘れたふりをしている)

戦後、安倍さんの祖父や麻生さんの祖父が「長い物」に巻かれる決意をしたので、日米安保条約は今も「国是」。どんなに変な大統領がアメリカに出てきても「アンタ、かなり変だよ」と、面と向かっては絶対に言えない。

 長いもの=写真は国会議事堂の赤じゅうたん=に、なぜ日本人は「巻かれよう」と思うのか。外国の長い物に巻かれるな! などという世論は決して生まれない。なぜなら、日本人が国内でも長い物に巻かれたがっているからである。

うー、ワンワン! (治五郎よ吠えるな)

 

「ハラスメント」考

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ハラスメント(造語)〔harassment=悩ませること〕何らかの方法で当人に苦痛を与えるようなことをすること。また、その苦痛。

セクシュアルハラスメント〔sexual harassment〕性的嫌がらせ。特に職場などで、女性に対して当人がいやがる性的な言葉を男性が口にしたり行動に表わしたりすること。セクシャルハラスメント。セクハラ。

パワーハラスメント和製英語←power+ harassment〕組織において、地位や職権を利用して部下に嫌がらせを行ない、心身に苦痛を与えること。略して「パワハラ」とも。

アカデミックハラスメント和製英語←academic+harassment〕大学や研究機関で、指導的な立場にある人が学生や所員に対し、権力を悪用して(性的な)嫌がらせや差別的な扱いなどをすること。アカハラ

新解さんは若くない男性と見られ、そのことによる限界なのか、出産関係が弱点らしい。「マタハラ」には全く触れておらず、それどころか独立した項目としては「マタニティー」すら無い。「マタニティードレス〔maternity dress〕妊婦服」のみ) 

治五郎くらいの年になるといろんな人間を見てきているから、各種ハラスメントの見聞には事欠かない。どうも、セクハラの常習者にはハラスメントを働いているという認識がないように思える。相手が嫌がっているということなど思いも寄らないのだ。

例えば男が、それほど親しいわけではない女の肩に手を置く。彼女が嫌がっているということを想像できないのだ。女に嫌われている男ほど、その傾向がある。(女の方だって勝手なもので、A男に肩を触られればセクハラだが、B夫だったらオッケーなのだ)

ことほどさように、ハラスメントというものは言葉や行為そのものではなく、相手が「嫌だ」と感じるかどうかが問題なのである。

不思議でならないのは、100%セクハラ男でも普通に結婚して子供がいるという現実である。夫婦間や家庭内では結構「いいパパ」で通っていたりする。一体どうなっているのだろうか? タデ=写真は花で、葉が辛い=を食う虫が多いということなのか?

「蓼食う虫も好きずき」〔=人の好みはさまざまで、外部からは分からないものだ〕

 

世の中は三日見ぬ間の桜かな

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な~んて言うが、1年前の出来事をブログで振り返るのに4日もかけていると、世の中に追いついていけない時代になった。過去10日間のブログを読み返しての実感だ。

相撲と女人禁制の問題がクローズアップされ、サッカーのW杯に臨む監督の首がすげ替えられた。治五郎の反応は、翌朝の新聞に載る直前に書いているから素早かったと言える。女人禁制問題を海外メディアがどう扱うかの予想も大体、当たった。刃が錆びついたとはいえ、さすがは元ジャーナリストだ。(自分で言うからダメだっちゅうの)

米国のメジャーリーグでは、大谷翔平=写真は少し古い=が、異様なまでの活躍を見せて「翔タイム」が今年の流行語大賞に選ばれそうな勢いだ。

政界も凄いことになっているんだが、野党の議席数が少なすぎるうえ、くっついたり離れたりの繰り返しで「共闘」というものを知らないから、政権交代は遠いだろう。財務省のセクハラ事務次官を辞めさせるのが関の山ではないだろうか。(週刊新潮の報道内容は、下品だからこそ人心に迫る)

セクハラ、パワハラアカハラ、マタハラ・・・「ハラ」の氾濫に腹を立てている治五郎だが、ハラスメントというものについて冷静に語りたい気持ちがないではない。ま、それはまた明日以降。

 

 

 

消えた1000円の謎が、キミには解けるか?

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 昔ながらの旅館に三人で泊まったとしよう。朝、楠根(くすね)という新米の女中さんが来て「お代は3万円ポッキリでございます」と言うので、一人1万円ずつ出した。

帳場では、主人が「常連さんだからサービスで5000円まけよう。楠根さん、これ返してきて」と1000円札=写真=5枚を渡した。ここで楠根さんに魔が差す。

2枚クスネて、客には3枚だけ返したのだ。客は1000円ずつ受け取って上機嫌だ。むろん何のトラブルも起きなかった。

さて、問題。一人当たり9000円だから、支払った額は9000✖3=2万7000円。楠根さんがクスネたのが2000円。合わせて2万9000円 だ。残りの1000円はどこへ?

「あれ? 確かに変だな」と一瞬でも思う人は、いつか必ず詐欺に遭うだろう。

これは、内田百閒「特別阿房列車」に出てくる有名な挿話を治五郎が多少、現代風にアレンジしたものだ。「Yahoo!知恵袋」のベストアンサーなどを読めば疑問は氷解するのだけれども、1年も経てばまた分からなくなってくる。老いの醍醐味である。

「4・10事件」一周年企画④

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 動坂下のウィークリーマンションの滞在期限が切れ、田端駅付近のゲストハウスにもう1泊して4月28日だかに、ようやく西尾久の新居に転がり込んだ。(思えば21世紀に入って以降、ワシは数年おきにどこかへ転がり込んでばかりいる)

弘前で梱包した11個の段ボール箱は郵送で無事に届いたが、家具どころか布団も鍋釜も食器も何もない。いくばくの貯えがあったから何とかなったものの、それがなければ露命をつなぐことなど出来ない相談だった。(しかし、我ながら今どき珍しい体験だ)

あの大愚・良寛漢詩に、こんな一節がある。

<生涯懶立身 騰騰任天真>

生涯 身を立つるに懶(ものう)く 騰騰(とうとう) 天真に任す

ワシ流に意訳すると「どうも昔から、せっせと働いて立身出世しようなどという気になったためしがない。生まれつきのグウタラな性格そのまま、好きなことだけやって、あとは自然の成り行きに任せるのが一番じゃあるまいかのう」

 この望みは叶えられつつあるわけだが、生きていくには誰かが働く必要がある。しかしワシは体も脳も衰えが極めて順調なので、もう働く気はない。妻の生活力に頼るしかないという道理になるだろう。かくて、治五郎はジゴロになったのである。

住めば都という通り、荒川区西尾久界隈もなかなか味わいのある街だ。家を出て2分も歩けば、お稲荷さんの祠=写真=があったりして、夜の風情などは申し分ない。

突然の一周年企画、これを以て最終回としましょう。ご退屈様でした。