行っといで、沖縄

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モンゴルから来日中の義妹バルジンが、16日(月)から来月下旬まで沖縄=写真=へ行く。モンゴルで日本語を勉強している中高生が20人ほど、研修というか修学旅行というか、よりによって沖縄に長期滞在するという。いい時代になった。

引率教師がいるから、あまり心配しなくていいのだが、なにしろ日本は初めてという中高生20人だ。ヒツジを柵の中に追い込むのとは別な技術と人手が要る。とは言え人件費は、なるべく抑えたい。それでバルジンの出番となったのだろう。

モンゴル人の少年少女が沖縄へ行ったら何を感じるか。当ててみましょう。

「へえ、海というものの広いことと言ったら、まるで草原みたい!」

東京や大阪で何週間か過ごした経験のある子なら、こうも感じるに違いない。

「沖縄の人は日本人なのに、時間の観念がモンゴル人にそっくりだ。予定が1時間や2時間狂っても、まったく気にしない」「外国から知らない子供がたくさん来ても、自分の子や孫が訪ねてきたような歓待ぶり。僕の田舎の祖父母と同じだ」

彼らは馬頭琴の腕前も相当なものらしいから、沖縄の三線(蛇皮線)と共演する場面もあるだろう。こうして彼らはオキナワが大好きになる。いやぁ、いい時代になった。

今日は午前零時から2時まで、W杯の決勝(フランス 4-2 クロアチア)を見たもんだから、バルジンの義兄(ワシ)はグッタリしているのだが、平気を装って6時前に起き、夫婦で羽田空港まで見送りに行ってきた。

(ワシはこう見えても気配りの人なので、100円ローソンに寄って税込108円のビーチサンダルを買い与えることも忘れなかった。後で気づいたが、ワシが108円を支払ったわけではない)

現役記者時代に100~200回は利用しているはずの羽田空港だが、5階の展望デッキで飛び立つ飛行機を見送るのは実に久し振りだ。炎天下、熱中症寸前まで頑張ったが、次々に離陸するANA機のどれにバルジンが乗っているかは確認しようもなかった。

とにかく、無事でな。(あ~眠い。寝ます!)

 

 

 

 

今場所で優勝する力士の切ない未来

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今から20年後のNHK大相撲中継。実況中継は新米のK・Yアナウンサー、解説役のゲストは杵柄(きねづか)親方である。

【杵】〔「ね」は、もと接辞〕▵穀物(蒸した米)などを臼に入れてつくための用具。

【杵柄】杵の柄(エ)。「昔取ったー〔=昔鍛えた腕に(今も)自信のあること〕」

K・Y「親方は、え~っと幕内最高優勝を遂げた経験をお持ちなんですね」

杵柄「・・・はい、まあ」

K・Y「いつでしたっけ」

杵柄「平成30年の名古屋場所

K・Y「あ~、あの有名な!」

杵柄(ムッ)

K・Y「横綱が3人いるうち稀勢の里が最初から休場、序盤で白鵬鶴竜も休場して新大関栃ノ心まで休場。残る2大関は、豪栄道も高安もカド番。私は小学生でしたが、クラスの皆は〝本命不在の二軍場所〟と悪口を言ってました。いや、私は言ってませんよ。ああ、あの平成最後の名古屋場所で優勝なさったんでしたか、杵柄親方は」

杵柄「・・・おい、ちょっと表へ出て涼んでこようか」

K・Y「いや、放送中ですし外は暑すぎますから」

だれが優勝することになるか、今はまだ誰にも分からない。が、優勝した力士(のちの杵柄親方)が20年後、つらい思いを強いられはしないか。治五郎は、そこまで忖度してしまう性格なのだった。

 

治五郎日記の1年 ~歪んだ時計~

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どう~しても、1年が過ぎたとは信じられんのですよ。

サンド会(第三土曜)の当日、常連の加藤画伯に少し早めに来てもらい、ブログ開設の一切を取り仕切ってもらったのは今年の1月か2月のことのような気がしていたが、それは1年前の7月15日の話だった。( ナンタルチア!)

人間は、ある時期を過ぎると時間の流れ方が激変する。不謹慎な物言いかもしれんが、豪雨被災地の川にも似て「いきなり暴れだす」のだ。

サルバドール ダリの芸術=上=がワシにはよく理解できていないのだけれども、彼が描いた時計の歪みには妙~に引き寄せられる。「うん、時間ってこういうものだ」と。

「この1年」を他の年と区別するのは結構、難しいことのような気がする。当ブログは性質上、ずいぶん昔の話が頻繁に紛れ込むので一層、時計の歪みに拍車がかかるのだ。読者諸賢の場合、いかがなもんでしょうか。(如何せんイカせんべい)

「扇風機」と寿命を競うかどうか

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 妻のアルタンと、来日中の妹バルジン(合わせるとバルタン)が、扇風機=写真=を買ってきた。隅田川の向こう(足立区)にある大型家電店までは片道10分以上、治五郎が荷物を持って歩いたらヘトヘトになるが、アラフォー姉妹は平気の平左だ。

【平気】いかなる外的事情にあっても気にすることが全く無く、悠然として平常心を失わない▵こと(様子)。「-を装う」「ーの平左〔=平気の擬人化した表現〕」

 ワシが扇風機というものを初めて購入したのは、20歳の貧乏学生時代。全く陽の当たらない4畳半(家賃6000円)にクーラーなどは付いていないので、おもちゃみたいな扇風機を買ったのだが、音がうるさかった。戦闘機「ゼロ戦」に乗っている気分だ。

当時に比べると、今どきの扇風機(日立製)は凄い。まず、音がほとんどしない。首振りの角度やタイマーなど、細かい設定も簡単に出来る。「ワシのような者には、もったいない」と、あちこちいじっていたら、こんなシールが貼ってあるのに気づいた。

<製造年:2018年

 設計上の標準使用期間:10年

 設計上の標準使用期間を超えて使用されますと、経年劣化による発火・けが等の事故に至るおそれがあります。>

寿命10年、というわけだ。となれば、ある連想が働くのは自然の成り行きだろう。扇風機の寿命と治五郎の余命、どっちが長いか?

「こんな機械に負けてちゃダメよ」と二人の女は言ってくれるのだが・・・ワシの場合は<経年劣化による事故>が、きょう発生しても全く不思議ではない。

薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 (北原白秋

胸に手を当てて「人口と増減数の推移」を見る

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総務省の発表によると、日本人の人口は今年の元日で1億2520万人。2009年をピークに9年連続の減少で、減少幅は調査が始まって以降、最大となった。

調査開始以降、昨年の出生者数は94万人台と最も少なく、死亡者数(134万人台)は逆に最多だった。

深く考えてみるまでもなく、当然の結果であろう。結婚する人も子供を生みたいと思う人も少なくなったから出生者数は減るし、超高齢化が進んだとは言え「お迎え」の来ない人はいないから死亡者は年々、着実に増える。

これを、治五郎自身を取り巻く現実に引き付けて考えてみよう。

ワシの両親(90代)はどちらも9人きょうだいだが、昔はそれが普通だった。戦後、結婚して生まれた子は3人(ワシ、妹A、妹B)。そのうちワシは先妻との間に息子と娘(どちらも今は30代)を成したが、結婚した息子に子供(ワシから見て孫)はいないし、娘は未婚。妹Aは晩婚で子宝に恵まれなかったし、妹Bはずっと独身だ。

ワシの周りの環境は〝ネズミ算の逆〟とでも言おうか、まるで絵に描いたような「少子高齢社会」の縮図の観がある。しかし、このような日本国の現況は前々から予想されたことであり、誰にも今さら当事者を責める資格はないと思う。

懸念されるのは、運転免許なども取り上げられた老人が家や施設から一歩も出歩けなくなって何十年も「お迎え」を待たなければならなくなったり、結婚しない人や子供を生まない人が非難がましい目で見られ続けるような風潮だ。

<電信柱が高いのも、郵便ポスト=写真はレトロタイプ=が赤いのも、みんな私が悪いのよ>と、イジケる人が増えないことを願うばかりだ。(ワシは少~しイジケとる)

半世紀前のサッカー少年の現在

f:id:yanakaan:20180709060038j:plain ②f:id:yanakaan:20180709060107j:plain ③f:id:yanakaan:20180709060657j:plain

 「おお、エウゼビオ=写真①=じゃないか! 懐かしいな」

「誰ですか、それ」

「本当に知らんのか? オイセビオとも読んだ。南海の黒豹だぜ」

「南海の黒豹と言ったら、大相撲の若島津じゃないかなあ。今の二所ノ関親方

「あ、南海じゃなかった、ポルトガルの黒豹だ」

「サッカーのW杯で活躍した選手なんですね? 間違いない?」

「Oh・・・(処置なしのポーズ)。1966年のイングランド大会で優勝したのは地元イングランドだが得点王(9点)はポルトガル代表の彼だった」

治五郎が話をしている相手は、10歳ほど年が違う。この差が、実は大きい。

「写真②は? 見たことはあるような気がするんだけど」

「西ドイツのゲルト・ミュラーじゃないか。1970年のメキシコ大会で、ブラジルに優勝は奪われたが、9点を入れて得点王になった。ズングリした体形なのに、動きが素早くてゴール前の動物的な勘が『半端ない』んだ」

「③は確かイタリアの・・・ロッシ! この辺からは良く覚えてます」

「そう、パオロ・ロッシね。1982年のスペイン大会で優勝したイタリアのストライカーで、細身の優男だが6点取って得点王になった。ただ、ワシがサッカーに詳しいのはこの辺までで、以後は新しいことを覚える能力がすみやかに衰えた。高校を終えると新しい英単語が覚えられず、忘れる一方なのと同じ原理だな」

「じゃ今は? 今回のロシア大会は見てなかったの?」

「いや、録画を含めればほとんど全試合を見てる。ただ、選手の顔と名前が覚えられないんだ。エウゼビオミュラーの得点シーンなんか、今でもシュートのコースまで覚えてるんだが。不思議というしかない」

「Oh・・・(処置なしのポーズ)」

歴史は繰り返す。

今大会を夢中で見ている少年たちは52年後も、かつてロシアで行われた試合の詳細を覚えているだろう。しかし、2070年のW杯がどこで開かれるか知らないが、その大会で活躍する選手の顔と名前は、見ても覚えられなくなっているだろう。

 

 

 

「生れて墨ませんべい」の真実③

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当ブログの読者は数が少ない代わり、勘と洞察力に恵まれた人が多いようだ。「生れて墨ませんべい」の真実、というタイトルを見て「はっはあ、治五郎が言おうとしているのは煎餅の話ではなく著作権の問題だな」と気づいただろう。

(えっ、そんなこと思いもしなかった。「生れて墨ませんべい」は食べてみたいけど)という人がいたとしても、それはそれで問題ナッシング(no problem)。同じメーカーから「如何せんイカせんべい」=写真=という商品も出ています。(いずれも通販で入手可)

 <18日に選考会がある芥川賞の候補作、北条裕子さん(32)の「美しい顔」(「群像」6月号掲載)に主要な参考文献が明記されなかった問題で、出版元の講談社は3日、同社のホームページで近日中に全文を無料公開すると発表した。「甚大なダメージを受けた著者の尊厳を守るため」であり、作品の評価を「広く読者と社会に問うため」という。

講談社は先月29日、東日本大震災の現場をルポルタージュした石井光太さんの「遺体」に類似した箇所が同作にあると明らかにし、次号の「群像」でおわびを掲載すると発表。それを受け、「遺体」の発売元である新潮社が「参考文献として記載して解決する問題ではない」とコメントしていた。>(以下略、©朝日新聞

問題の個所は、読み比べると明らかなパクリである。現場へ行かずにこんなことが書けるなら、新聞記者なんか一人も要らない。(ノンフィクションとフィクションの間には、そういう厚い壁があるということだろう)

【ぱくる】〔ぱくりと食べる意〕㊀(ひったくるようにして)盗む。だましとる。「手形をぱくられた/人のアイデアを-」㊁犯人を逮捕する。「すりを-」 

そこで、再び太宰治の話だ。彼の「生れて、すみません」は他人の一行詩のパクリだったわけで、本人も〝盗作〟を指摘され(パクって、すみません)と後悔したらしい。

しかし文芸史上、盗作や剽窃(ひょうせつ)が問題視されるようになったのは比較的、最近のことと言えるだろう。和歌における「本歌取り」などは、ちょっと意地の悪い見方をすれば〝剽窃の宝庫〟ということになる。

太宰は第1回の芥川賞候補になったが次点で落選。この賞が欲しくて欲しくてたまらなかったようで、いろいろ悪あがきした様子が伝えられている。

当時と違って、今は「著作権」の保護が叫ばれる時代だ。18日だかの芥川賞選考会では北条さんの「美しい顔」が受賞したらしたで、しなかったらしなかったで、新聞社の文化部などは騒動を覚悟しなければなるまい。如何せんイカせんべい。

 

 

7月6日は死刑記念日?

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「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日

俵万智の「サラダ記念日」が、歌集としては驚異的なベストセラーとなったのは1987年(昭和だと、えーっと・・・62年か。換算が難しい)のことだそうだ。

万智さんとは一度、3~4人で食事したことがあって、その時に聞いた話はすっかり忘れていたのだが最近、スポーツ紙の記事を読んでいて思い出した。あの歌の「サラダ」が実はサラダ=写真=ではなく「鶏の唐揚げ(カレー味)」だったこと、七月六日は音の感じがいいだけで何月何日でも構わなかったこと。ま、どうでもいい話ですけど。

1987年というのは、オウム真理教という宗教団体が生まれた年でもある。何もサラダ記念日を選ばなくてもいいと思うんだが、7月6日に麻原ナンタラこと松本カンタラ以下7人の死刑が執行された。幹部級が、まとめて〝ポア〟されちゃったのだ。

治五郎は別に憤ったり悲しんだりする立場ではないが、法務大臣(♀)の記者会見を見ていると、この役職には♂より♀の方が向いているような気がする。♂は概して優柔不断でいかん。執行命令書に判を押すと寝覚めが悪いと思ってしまうのだ。

【寝覚(め)】目が覚めること。「-が悪い〔=自分のした(悪い)行いが気になり あと味が悪い〕」

死刑という制度は畢竟、国家権力による「殺人」にほかならないので、ワシは(被害者側の感情は分かるが)手放しで支持する気にはなれない。

人の命は「地球より重い」だなんて、よく言うよ。現実には「鴻毛より軽い」のではないか。(ドン!)

【鴻毛】〔鴻(オオトリ)の羽の意〕きわめて軽いもののたとえ。「死はーよりも軽し」

能天気のようでいて、治五郎にもいろいろ難しいことを考える日はある。上川陽子法相の寝覚めやいかに。(案外、スッキリ目覚めたりするんだよなあ)

 

「生れて墨ませんべい」の真実②

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 A「太宰治の『生れて、すみません』という有名な言葉があるね。『人間失格』だっけ、それとも『斜陽』だっけ」

B「ああ、それはどっちも違うよ。『二十世紀旗手』という短い作品の冒頭に置かれたエピグラムだな。確か昭和12年(1937年)に雑誌『改造』に載ったんだ」

世の中にBタイプの人は結構、いる。きのう調べて知ったことを、前から知っていることのように開陳せずにいられない。ところが実はAの方がクセモノなのだ。

A「それは本当に太宰の言葉なんだろうか」

B「・・・え?」

A「当時、寺内寿太郎という名を持つ〝無名〟の詩人がいて、『遺書』と題した一行詩を書いている。それが<生れてすみません>なんだよ。人づてに知った太宰が勝手に借用したんだが、寺内が〝盗用〟に激怒したと聞いた太宰が落ち込んだという証言も残っている」

B「恐れ入りました。この煎餅、ちょっと食ってみないか?」

A「ほう、『生れて墨ませんべい』=写真=? 俺もそこまでは知らなかった」

このような会話が毎日、どこで何百回繰り返されているかは知らない。それでいいのではないでしょうか。

 

 

「生れて墨ませんべい」の真実①

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つい去年のことのように思えるが3~4年は経っているらしい。治五郎が「生れて墨ませんべい」=写真=という、あまりと言えばあんまりな名前の煎餅と遭遇したのは。場所は、青森県五所川原市の「斜陽館」改め「太宰治記念館」の向かいにある土産物売り場だった。

<平成24年度 第53回全国推奨観光土産品審査会で当店の「生れて墨ませんべい」が「全国観光土産品連盟会長賞」を受賞しました。 いか墨を生地に練り込み、ほんのり甘くサクッとおいしい、いか墨せんべいの詰合せです。青森県金木村(現・五所川原市)に生まれた小説家、太宰治の生誕100周年を記念し企画した商品です。パッケージもユニークなイラストでお土産に大変喜ばれている商品です。>(南部せんべい本舗 八戸屋)

「う、うまいっ ‼ 」と驚くほどではないにしろ、黒というかドブ色の外見とは違って、かなりイケる味だが、ヒットした理由は味よりもネーミングだろう。

「生れて、すみません」というセリフの知名度は高い。が・・・

A「誰の言葉だっけ」

B「そりゃ太宰治だろう」

A「太宰の、何?」

B「・・・やっぱり『人間失格』じゃないの? いや、ひょっとしたら違うかな。違うような気もしてきた」

そこそこの文学好き同士が、飲み屋で交わす会話の〝定番〟と言えよう。酔って帰宅すれば記憶からは消えるので、AとBが半年後に会うと同レベルの話が繰り返される。

治五郎が「そこになんとか風穴を!」と気負っているわけではないので、①の続編を期待されても困る。サッカーも相撲もない今夜は、静かに寝ましょう。