エレベーターの怪事件

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治五郎が1階に居住している賃貸マンション(と言ってもアパートに毛の生えたような1DK)は6階建てで、ワシ以外の入居者は全戸が単身者らしい。

ドアを開ければエレベーターホール=写真=だ。(ホールというほどの面積はない)

草木も眠る丑三つ時・・・ドアを開けたら、上階からエレベーターが下りてくる途中だった。こんな時間である。ワシの他にも誰かアル中ハイマー(©山田風太郎)がいるのだろうか? 好奇心に勝てず、いったん部屋に戻り一呼吸おいてドアを開けた。

エレベーターは今、1階に止まったところだ。2秒、3秒、5秒・・・10秒経っても、誰も出てこない。変ではないか。中で何か起きているのではないか。上階に用はないけれども「▲」ボタンを押してエレベーターのドアを開ける。

もぬけの殻であった。

【蛻の殻】〔人が逃げたあとなどの様子〕

さあ、こうなれば名探偵ジゴローの出番だろう。「この密室から、犯人は一体どのような方法でどこへ消えたのか?」(そもそも何の犯人だ)

さすがは名探偵だけあって、謎は間もなく解けた。彼が語るには・・・。

「それはねえ、ワトソン君。目的階に着いた住人が、エレベーターを出た直後に腕を伸ばして1階行きのボタンを押したのだよ。訪問先で靴の向きを変える人のように律儀な性格なのか、ストーカー対策なのかは分からないがね」

なあ~にが「怪事件」だ。

 

 

 

はしなくも口を突いて出た「ウナギ文」

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【端無くも】ふとした折に全く予想もしなかった事態に遭遇する様子。

どうしてそんな事態に遭遇したのかを語らねばなるまい。(誰も望んでいまいが)

「俺はウナギだ」という、日本語学では有名な文章がある。英訳すれば〝I am an eel.〟となるわけだが、漱石じゃあるまいし「吾輩は鰻である」と言う日本人はいない。

例えば給料日直後に同僚と昼飯を食いに行って「僕は黒毛和牛のステーキにしようかな。治五郎さんは?」「俺はウナギだ」。(どういう店へ行ったんだ)

ごく自然な会話なのだが、「俺はウナギだ」は「ウナギ文」と呼ばれるほどになった。なぜ「ステーキ文」や「かつ丼文」ではなく「ウナギ文」が定着したのか? それはまた今後の難しい研究課題である。

んーっと、何だっけ。あ、端無くも口を突いて出たウナギ文の話ね。

病気療養中だった妹から、見舞い御礼らしいギフトカタログが届いた。治五郎にとって菓子や衣類は迷惑なだけだから、こういう選択余地の多い贈り物は嬉しい。貧しき夫婦が額を寄せ合ってカタログに見入る場面を想像して見給え。

「俺はウナギだ!」

言ってから「あ、これが正真正銘のウナギ文だ」と気づいた次第である。

 

訃報のフライングは、いかんよ

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時事通信社は19日、俳人文化功労者金子兜太(とうた)さん(98)が死去したという誤った記事を配信し、約1時間後に記事全文を取り消した。>=読売新聞20日付

<俳壇の重鎮で戦後の前衛俳句運動をリードした、文化功労者俳人金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日、急性呼吸促迫症候群のため死去した。>=同21日付

 どういうことかと言うと、時事通信は犯してはならない訃報の〝フライング〟を犯してしまったのだ。業界用語では「殺しちゃった」と言う。おそらく金子兜太さん=写真=の容体は、誰からも一両日が山場と思われるような状況だったのだろう。

時事通信にとっては不運なことに、そこへ間違った情報が飛び込んできた(詳細な経緯は未詳)。本来は100%間違いないというウラを取るのが記者の鉄則なのだが、「確認が不十分でした」では済まされない結果を招いてしまった。社の幹部が詰め腹を切らされることになるだろう。

しかし治五郎には、金子さん自身がこう言っているのが聞こえるような気がする。「1日ぐらい日付を間違えたぐらいで、そうガタガタ騒ぐこたあない。98まで生きれば、そんな細かいことはどうでもよくなるもんだよ、ハハハ」

それというのも、ワシは9年前、89歳だった金子さんにロング・インタビューをするため、埼玉県熊谷市の自宅に4回ほど通ったことがあるのだ。

俳壇の大御所に対して、こっちは俳句の門外漢。聞き書き「時代の証言者」という企画は今も続いているが、400字詰め原稿用紙に換算して約3枚分の原稿をほぼ毎日、30回近く連載するのは結構な力技で、大過なく終わった時はグッタリしていた。

「私が顔も体形も似ていた母親は、104歳まで生きた。同じくらいまで行けるんじゃないか、と実は思ってるんだ」と磊落に笑った顔が思い出される。

お悔みは申しません。満足してるでしょうから「おめでとう」と申し上げます。

子供の命名は人気者に「あやかる」べからず

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昔、田中角栄=写真中央=が「庶民宰相」と呼ばれて人気絶頂だった頃、生まれた息子に「角栄」と名付けた親がいた。のちに〝本尊〟がロッキード事件で逮捕・起訴され有罪判決が確定すると、その少年はイジメなど甚大な被害を受け続けたらしい。

角さん、角さんと持ち上げたマスコミにも責任の一半はあると思うが、時代の寵児にあやかった命名でご利益を得ようとする、あまり賢明とは言えない親心に、一番大きな問題があるだろう。

なぜ今頃こんな話を持ち出すかと言うに、治五郎は30歳の冬、被告人となった元首相に数か月、朝から晩まで付きまとえという〝社命〟を受けて張り付いた時期がある。角栄の「バンキシャ!」である。

 彼の車をハイヤーで追い回していると、頭に来た早坂茂三秘書=写真 右の人物=が下りてきて「どこの社だ! 名刺をよこせ」と気色ばんだこともあった。

 いや、そんなことはどうでもいい。命名の話だ。

今月は、全国各地の産院で生まれた赤ちゃんに「結弦」や「奈緒」と名付ける親が少なくないのではないか。と、ワシは心配しとるんじゃよ。羽生クンや小平サンが将来、被告人になるようなことはよもやないだろうが、命名は慎重にね。(周りを見回して、これから子供が生まれそうな知り合いは一人も見当たらないが)

 

3月3日に生まれて(その2)

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〽 あかりをつけましょ ぼんぼりに・・・

年中行事が概して苦手な治五郎は気が滅入る。サトウハチロー作詞の童謡「うれしいひなまつり」が街に流れる季節も同前なのだが、雛祭=写真=が誕生日となると、そうも言っていられない。

雛祭は女の子の健やかな成長を願う行事であって、男の子は全くお呼びでない。その日に生まれた男児が、歪んだ心を植え付けられることは想像に難くないだろう。

おはじき、綾取り、羽根つきなど、幼年時代は女の子と遊ぶ方が楽しかった。成長してからは、飯を食うのも酒を飲むのも風呂に入るのも、男じゃなくて女と一緒の方が心安らぐ。(これは男なら誰でもそうか)

ワシは自分なりに理論武装したがる傾向があるようで、「誕生日によってフェミニズムを宿命づけられたのではないか」と感じるようになった。

フェミニズム】㊀女権拡張論。女性解放論。㊁女性を大切にする主義。

㊀は少し大げさなので、まあ㊁だと思ってもらえばいい。以来「先天性フェミニスト」を以て任じることになるのも、自然の成り行きというべきであろう。

フェミニスト】女権拡張論者。男女同権論者。〔女性に甘い男性の意に用いるのは、日本での特用〕

 むろん、治五郎の場合が〔日本での特用〕に該当するのは言うまでもない。

この誕生日は(特に女性には)記憶しやすいので、思いがけない人から祝意を告げられる機会も結構、多かった。(過去形であるところが少し寂しい)

ちなみにモンゴル人力士の草分け、旭鷲山(本名バトバヤル)は3月8日生まれ。この日が向こうでは「女性の日」で、これには「解放記念日」の意味合いがあるらしい。お互いに「いやあ、なんだか嬉しいような悲しいような」と、同じ屈折を抱えていることを感じ合ったものであった。

3月3日に生まれて(その1)

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映画ファンなら誰でも知っているように、7月4日と言えば俳優のトム・クルーズ=写真左=の誕生日である。映画「7月4日に生まれて」(1989年、米国)という自伝的作品は、今どきの若造も聞いたことぐらいあるだろう。(治五郎という男は常識があるように見えても時々、とんでもない非常識を発揮することがあるので注意して下さい)

なに、違う? それはオリバー・ストーン監督の誕生日だって? そう言われりゃそうだったかも知れん。(それも違います。低レベルの事実誤認が増幅している)

あの映画は確か、アメリカの独立記念日に生まれた青年が愛国心に燃えてベトナム戦争に志願するのだが、いろいろ心身ともに辛酸をなめて人生観が変わる。反戦平和の色合いが濃くて全米で賛否両論を巻き起こした問題作、とワシは認識しておるんじゃが。(その辺はまあ大体、当たっているんじゃないでしょうか)

ところで、右の写真の男は誰だ? おや、サッカーのジーコではないか。懐かしいな。どういう関係で出てきたんだ? (自分で載せといて何を言うか)

治五郎(別名ジッコ)は、1953年3月3日に生まれた。同じ日にブラジルで生まれた赤ん坊が、のちのジーコである。容貌にも才能(特に身体能力)にも天と地ほどの開きがあるが、赤の他人とは思えない親近感を抱くのは無理のないことだろう。

日本で3月3日に生まれた男の子は、ブラジル人が経験したことのないような経験をしなければならない(それほどのことでもないが)。続きは明日。

 

しばらく断酒せむとぞ思ふ

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治五郎が断酒? まさか! 御冗談を。

やはり、そう思いますか。あなた、分かってますね。

禁煙に関して、作家のマーク・トウェインが言った(とされる)名言が有名だ。曰く、禁煙なんて簡単さ。私はもう千回もやめてきたんだから。 Quitting smoking is easy. I've done it a thousand times.  あれと同じだ。

「蛇に見込まれた蛙」という言葉があるが、「酒に見込まれた治五郎」という言葉もある。(ないか)

【見込む】㊂どこまでも とりつく。「悪魔に見込まれる」

昨夜のサンド会は、計4人。平均年齢を電卓で計算すると「53歳」と出た。分別ざかりと言えるだろう。

三ノ輪から寒風の中、顔を引きつらせながら自転車で駆けつけた加藤画伯(♂)。銭湯で「ゆづ」(羽生結弦)の優勝を見届けたという松本記者(♀)。

それぞれに銘酒を携えたうえ、風邪で欠席の大野画伯(♂)から限定版の新酒「雪渡り」の1升瓶が届いたので、酒は十分(というか適量)だ=写真=。

記憶は途中から飛んでいるが、ワシは40年前から風邪をひいたことがなく、20年前から二日酔いをしたことがないので、今朝もスッキリした気分で目が覚めた。さあ一日、酒を断とうと思う。

 

そっくりさんの名言

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<私の顔は政治的過ぎる。でもこの顔で生まれたのだから、この顔で生きていかなくてはならない>。なかなか含蓄に富む一言ではないか。その記事は、以下の通り。

 

江陵市 14日 ロイター] 平昌冬季五輪のアイスホッケー試合会場で14日、北朝鮮の「美女応援団」の前に金正恩朝鮮労働党委員長のそっくりさんが突然現れ、応援団や観客らを驚かせた。そっくりさんは「統一旗」を手に持ち、観客に笑顔で手を振るなどしたが、応援団の何人かはすぐにそっくりさんから目をそらした。そっくりさんは警備担当者らによって応援団から引き離され、会場からも退場させられた。

 この日は、韓国と北朝鮮の代表が結成したアイスホッケー女子の南北合同チームが日本と対戦中だった。そっくりさんは試合中は警察署内に拘留されたが、その後、その場を立ち去るよう丁寧に求められたという。

 ハワードと名乗るそっくりさんは、アイスホッケー場の外をゆっくりと歩きながら「私の顔は政治的過ぎる。でもこの顔で生まれたのだから、この顔で生きていかなくてはならない」と話した。ハワード氏は、9日の開会式でも、会場にトランプ米大統領そっくりさんとともに姿を現し話題を呼んでいた。(写真はロイター提供ではない)

 

なぜか治五郎は、この種のニュース(B級)が好きでしようがない。別の新聞によるとハワード氏はオーストラリア人で、北朝鮮が残酷な独裁国家であることをアピールしたかったのだという。

将軍様〟に似ているといっても髪型や眼鏡の助けを借りているし、「映像が世界中に流れれば話題になるだろう」という魂胆が見え見えで、「この顔で生きていかなくてはならない」という悲壮なまでの覚悟は伝わってこない。しかし「政治的過ぎる顔」には笑わせてもらった。

それより、トランプのそっくりさんが気になる(カツラの助けは借りているが、こっちの方が似ている)。どういう人で、どんな言葉を口にするのか。あ~、気になる!

 

メダルの話題ではなく、またも人名の話

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「ちわーッス。へるまんデ~ス」

「まだ来るのか(いいけど)。で、また日本人の名前に関する質問か?」

「質問イウ程ノモンヤナインヤケド・・・」

「なんだか、今日は関西弁だな」

「ヘエ。実ハ来日シテ最初ノ1年半、大阪ニイテマシタサカイ」

ヘルマンの日本語はカタカナ変換が面倒なので(変換しなきゃいいのか)、会話の形はここまでにしとこう。

彼が言うことに、日本人の名前は性別の判定が難しい。ドイツではヘルマンと言えば男で、ガブリエルと言えば女に決まっているのに・・・うんぬん。

そこでんがな。(こっちまで大阪弁にならなくていいのか)

ヘルマンは我々が想像する以上に実証的な学究肌なので、いちいち例を挙げる。歩夢、美帆、暁斗、奈緒・・・毎日、オリンピック関係で聞く名前だ。「どれが男でどれが女か、治五郎はんは区別できまっか?」と彼は問う。「まあ一応、見当はつくが」「なぜ名前だけで見当がつきまんねん?」 う~ん、そう来るか。

ヘルマンよ。日本人の名前には、過去10~20年に限っても大きな変化が観察される。それを説明するにヤブサカではないが、治五郎にも少し考える時間が欲しい。またね。

 

「明日、ウランバートルに行きます」

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先日、モンゴル人妻(モンゴルの人妻ではなく、モンゴル人たる妻)が言った。

(里帰り? しかし、ずいぶん急な話だな。とうとう日本での暮らしに見切りをつけて家を出るのか)と思ったのは治五郎の勘違いで、「ウランバートル」は墨田区両国にあるモンゴル料理店の名。モンゴル出身の元力士の母親が経営している。

もちろんモンゴル人の客が多く場所柄、相撲取りがよく来る。貴ノ岩の消息などという情報は貴乃花部屋相撲協会ではなく、こういう店に出入りしないと入手できない。

この週に店が忙しくなっているのは、旧正月が今年は2月16日(金)だから。アジアでは現代でも1月1日より旧正月の方を大切にする国が多いようだが、モンゴルの場合は「ツァガーンサル」(白の月)という。遠い昔の日本のように、親類中が集まって盛り上がる。

彼らのDNAとして「ツァガーンサルには、集まって皆で坊主を食べる」というのがある。(あ、訂正します。「坊主」ではなく「ボーズ」。確認が不十分でした)

ボーズ=写真=というのは、見ての通りシュウマイやギョーザを連想させる(その連想に大過はない)。ただし中身は羊(挽き肉)が原則で、在日モンゴル人はなかなか〝本物〟を味わえないので、旧正月が近づくと両国に足が引き寄せられるのだろう。

てなわけで、冷凍庫には「ウランバートルの坊主(いやボーズ)」が蓄えてある。17日のサンド会で「ブログを見ました」という人がいれば、いくらでも提供します。(クーポン券などは不要)