もしも「治五郎食堂」を開店したら、お出しできるもの

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最初に断っておくが、この構想の実現可能性はゼロだ。理由を列挙しよう。

①開業資金がない ②資金があったとしても、経営する能力がない(そもそも計算が出来ない) ③足腰が弱っているので、厨房に長く立てない。調理中のケガも心配 ④店主に稼ごうとする意欲がない ⑤酒類も提供した場合、店主が飲んでしまう恐れが大

飲食店経営には向いていないことを重々承知のうえで昔、こんな構想=妄想を抱いたことがある。インスタントの古参「サッポロ一番みそラーメン」の専門店である。その味にワシが大満足してから、今月でちょうど50年になるらしい。

まず、駅前で潰れた立ち食いそば屋を(居抜きで)手に入れる。その辺のスーパーで材料を買い揃えれば、このくらいのもの=写真=は1食200円台で提供できる。朝・昼・晩、日本の貧しいサラリーマンが「ちょっと何か食いたい」と思った時、治五郎ラーメン=写真=の人気は爆発するだろう。(甘いか)

もちろん、メーカー(サンヨー食品だったかな)の許可を得なければならないし、始めたら始めたで大変なことになるだろう。(本気じゃないから心配しないでね)

ワシが「もったいない」と思うのは、せっかく磨いた料理の腕が(同居者以外は)誰にも知ってもらえないこと。結構、うまいと思うんだけどね。

レバニラ炒めは、レバーを牛乳に浸す時間が大切なこと。豚肉の生姜焼きは、ショウガが多すぎても少なすぎてもダメなこと。豚汁は・・・

お出しできるものは、ないかもしれませんね。

治五郎親方の大相撲秋場所総評

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治五郎親方が日頃、さんざん悪口を言っている「NHK のど自慢」=上=の一番イヤなところは、「予定調和」という体質にある。45分間の生放送だから、やむを得ない側面があるのは認めるが、あまりにも「予定通り」に縛られていて、意外性がない。

あらかじめ「今週のチャンピオンはAさん、特別賞はBさん」と決まっているんじゃないか? という疑惑が生じるわけだ。予選段階で「鐘二つ」の人が本番で突然、圧倒的な歌唱力を発揮したり、何も話せなかった年寄りが雄弁に語りだしたりしては困る。

ひょっとしたらNHKが作ったシナリオを、出場者は演じさせられているのではないだろうか?

ま、それはそれとして今場所の話だ。総じて「のど自慢」的だった。

①14日目で横綱白鵬が41回目の優勝と、幕内1000勝を達成した。

②1年以上も休んだ横綱稀勢の里が、なんとか引退せずにすんだ。

大関になったばかりでカド番の栃ノ心が勝ち越して、なんとか大関の座を守った。

④先場所〝参考優勝〟した御嶽海は、やはり横綱大関の敵ではなかった。

すべて、予想通りだ。何の意外性もない。これじゃ、つまらんぜよ。

二つのもののうち、一つを必ず忘れる

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「治五郎日記は毎回、愚にもつかないことばかり書いている」と感じる読者が多いのではないかと思う。書いている本人も実は同感だ。しかし・・・。

加齢とともに人間の体(特に首から上)が日々、どのように衰えていくかということに関して、このブログは赤裸々な告白に満ちている。貴重な臨床例が発見される可能性があるから、高齢者の医療に携わるような立場にある人は、心して読むべきだと思う。

さて写真は、今は亡き太神楽の海老一染之助・染太郎である(左が兄の染太郎、右が弟の染之助)。曲芸をやるのはもっぱら染之助の方で、染太郎はしゃべるだけだから、同じギャラをもらうのは不平等のような印象を素人は受ける。本当は、そういうものではなかったことを、我々は染太郎の死後にしみじみと思い知らされるのであるが、今はそういうことが言いたいのではない。

染之助染太郎のように最初からワンセットでやってきた二人の場合、どちらかを思い出せないということはない。曾根崎心中の「お初徳兵衛」や漫才の「やすしきよし」も同様だ。たとえが古いと言うなら、タカアンドトシを加えてもいい。

困るのは、属性や特徴を異にする二つのモノ(またはヒト)を同時にインプットされる場合だ。ワシの得意ジャンルに属する大相撲の取組を例に挙げよう。

幕下の下位で二人が呼び出されて土俵に上がる。「西、納谷(なや)。東、豊翔龍(ほうしょうりゅう)」とアナウンサーが言い、画面に四股名が出る。納谷といえば大鵬の孫にして貴闘力の息子、豊翔龍といえば朝青龍の甥。同期の大物同士だ。

これは見逃せない、と勝手に張り切るのだけれども、5~10秒後には一方の名前を思い出せなくなっている。納谷と豊翔龍に限らず、誰と誰の対戦であっても例外なく一方を忘れる。思い出した時はもう制限時間いっぱいだったり、勝負がついたりしている。

白鵬稀勢の里横綱対決でさえ、そうだという現実に直面してワシは愕然とした。

二つのもののうち、一つを必ず忘れる。ワシの場合は数年前から見られる現象のようですが、これは一体どういう脳の仕組みによるものなのでしょうか、先生。

 

 

「通院」と「珈琲」と「人魚」に関連性はあるか?

f:id:yanakaan:20180919151211j:plain f:id:yanakaan:20180919152047j:plain©水島爾保布

 ありませんよ、そんなもん。しかし「上の三つを関連づけて論述せよ」という、筆記問題が就職試験に出たらキミはどうする? (出ないと思うよ)

 昔は、入社試験でそんな三題噺を要求するマスコミ(出版社)があって、若き治五郎も往生したものだ(本命じゃないから落ちてよかった)が、劫(こう)を経た今となっては朝飯前だ。やってみようか。

【劫】㊀〔仏教で〕きわめて長い時間。「―を経る」

糖尿病のため、かれこれ30年も投薬治療を受けている。完治することが決してない病気ではあるし、あまり長生きしたいとも思わないのだが、深夜に発作が起きると怖いので(起きない、起きない)2~3か月に一度、薬をもらいに通院している。

歩8分のT病院で、普通は朝の9時に血液と尿の検査、10時から診察がある。もちろん時間通りに済んだためしはなく、検査は30分、診察は1時間も待たされる。

病院の向かいに「尾久珈琲亭」という古めかしい喫茶店=写真左=があって、朝から営業しているので毎回、待ち時間に利用するようになった。老夫婦がやっていて、コーヒー1杯600円は安くないし、老マスターがミルクの納入業者と電話で喧嘩したりするのは少しアレだが、それを除けば読書に向いた環境と言える。

昨日は、先日のサンド会で恵贈を賜ったアンソロジー人魚」(皓星社)を読んだ=挿絵右は、谷崎潤一郎「人魚の嘆き」より=。小川未明アンデルセン太宰治らの作品は読んだ覚えがあるが、〝性風俗研究家〟だという認識しかなかった高橋鐵(1907~71)の古き良き探偵小説「怪船『人魚号』」に出合えたのは、大きな収穫。長井那智子さんの解説も、なかなか含蓄に富む内容だ。

通院と珈琲と人魚、なんとか関連づけられたかな?

荒唐無稽だが何度も見てしまう映画

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伊賀忍法帖」は1982年公開だというから、もう36年前になる。山田風太郎の原作=写真は角川文庫版の表紙=を読んだのはもっと前だが、映画も見たいと思ったわけではないのに見る結果になったのは、確か出張先(確か盛岡)で珍しく時間が余ってしまい、映画館に入ったのだったと思う。

山田風太郎のことは前にも書いたが、かなり変わった作家だ。伝奇ロマンというのか、発想が奇抜で荒唐無稽、エログロの傾向も拭い難い娯楽小説の大家。自分の事を初めて「アル中ハイマー」と称した人でもある。

 映画の方はというと、成人向けではないからエロ度は抑えてあるが荒唐無稽ぶりは原作に劣らない。では退屈したかというと、そうでもなかった。主演は真田広之、一人三役の女優は新人・渡辺典子。千葉真一中尾彬ほか脇役陣も懐かしい。

商売上手な当時の角川映画が力を入れただけのことはあって「おいおい、こんなのもアリか?」と呆れるようなシーンが多いが、エンターテイメントはそういうもんだろう。

その後も、見たいわけではないのに(映画館以外で)1、2度見たが、昨日は無料動画GYAOでやっているのを知って、またも見る結果になってしまった。

ばかばかしくなるんじゃないかって? なるんだよ。なるんだけれども、つい見ちゃうんだよなあ。困ったもんだ。

イルカさんたち自身の気持ちはどうなのか?

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神奈川県で開かれたセーリングW杯の開会式会場で、イルカショー=写真=を披露したところ、海外の選手からネットに「不快だ」「ショックを受けた」という書き込みがあり、日本側が謝罪したそうだ。

治五郎などは「良かれと思って見せたのに、なんで謝るんだ?」という疑問と「余計な催しをしたもんだ」と呆れる思いとが相半ばする。主催者側の浅慮である。

ワシはイルカを食べたいとは思わないが(うまいだろうな)、鯨肉(特にベーコン)が大好物。しかし、イルカ・クジラ問題は世界を二分する一大テーマだ。

イルカやクジラの捕獲を憎む人々は、彼らの「高い知能」を拠り所にする。が、民族によっては猿や犬を平気で食う。(ワシは羊の脳みそが好きだが、猿のそれは食えない)

水族館で、イルカの飼育係(というか調教担当者)に取材したことがあるが、実に「幸せな職業」だと感じた。馴染んでくると、イルカとは〝会話〟が可能だという。

捕まえた動物にアメとムチで芸を仕込み、人間のための「見せ物」にする。それはイルカやアシカに限らず、サーカスの馬や熊、ゾウ、猿廻しのサルもいる。これらを一概に「動物虐待」と断じていいかどうかは難しい問題だ。

そんな見せ物を見て無邪気に楽しめる人もいれば、楽しめずに心が痛む人もいる。動物自身はどう感じているのか? 個体によって「生きる為に、泣く泣くやってます。宿命だから諦めてるけど」と言うイルカさんがいる一方では「ご心配なく。こっちも結構、楽しんでやってますから」と言うアシカ君もいるだろう。

当事者の意見を聞くことが大切だが、どうすれば意見が聞けるかという難題がある。こういう時こそ「第三者委員会」の出番なのだが、第三者はどこにいるのか?

こういうことを考え始めると、治五郎はまた夜も眠られなくなるのである。

 

 

幼き日の物語 奇跡の新訳

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(以下は10年前の8月、治五郎が自紙の文化面に書いた記事。上のタイトルは見出し)

幼いころ親に読み聞かせてもらった本は、人格形成に少なからず影響する。日本学術会議会長で宮内庁皇室医務主管の金澤一郎さんが60年以上前に親しんだ『わし姫物語』を思い出したのは3年前。有識者16人による「こころを育む総合フォーラム」」の席上、読書が議題になった時だ。

いたずら好きな王女キルディーンは両親に甘やかされてわがままな子に育ち、国の外れの高い塔に置き去りにされた。厳しい目をした鷲たちのもとで、感謝する心や礼節を少しずつ身につけていく。フランスの画家が描いた精密で美しい挿絵も、金澤少年の心に深く刻み込まれた。

「主人公を囲んで立つ鷲たちの姿など、とても印象的だった。紙は粗末だし絵も白黒でしたが、深みのある物語に何か大切なものを学んだように思います」

原作者は、19世紀末に英王室からルーマニア王家に嫁いだマリー女王。1942年に日本で出版された本を訳したのは精神分析学者の故・大槻憲二氏だった。金澤さんは今の子供にも読ませたいと思ったが、本はとっくに絶版。一昨年、国際子ども図書館でようやく見つけ、復刻できないかと大槻氏の縁故者を探した。難航の末、インターネット検索で「私の祖父、大槻憲二」の一節に出合う。

その孫娘、長井那智子さんはイギリス経験が長く、英文学に詳しいエッセイスト。金澤さんの相談を受けて、自ら新訳を引き受けようと決意した。原作は容易に見つからなかったが、ロンドン在住の友人に協力を求めたところ、古書店で1922年発行の希少な初版本が奇跡的に発見された。

こうして今夏、読みやすい文章にカラーの挿絵も多い『わしといたずらキルディーン』(春風社)=写真=が出版された。長井さんは<手元に届いた布張りの大型本を開いた時、不思議な感動が私を包みました>と、あとがきに記す。祖父の励ましが聞こえるようで、縁ということを思ったという。

書物の「生命力」を象徴するような出来事である。<2008年8月5日付「読売新聞」>

(長々と転載したのは、今夕のサンド会に長井那智子さんが来てくれるという情報が入ったから。一緒に取材させてもらった〝天皇の主治医〟金澤一郎さんは2年ほど前に亡くなったが、長井ナッちゃんとは一昔前の思い出話に花が咲くことだろう。しかし、ワシのウサギ小屋みたいな隠居所に足を運んでくれるとは奇特な人である)

 

「痴漢」にされていたかもしれない私

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<電車内で女性に痴漢をしたとして東京都迷惑防止条例違反に問われた埼玉県の20歳代の会社員男性に対し、東京地裁は12日、無罪(求刑・罰金30万円)とする判決を言い渡した。井下田(いげた)英樹裁判官は「満員電車の揺れや周りの乗客に押されて生じた接触を、意図的に触られたと女性が誤認した可能性がある」と述べた。(以下略)>(13日付読売新聞朝刊)

治五郎は満員電車というものに、もう何十年も乗ったことがない。従って、今はどういう状況になっているのかよく知らない。しかし、学生だった1970年代前半の満員電車は「殺人的」と呼べるほどのものだった。

東武東上線だったか地下鉄丸ノ内線だったか覚えていないが、雨の日の朝だったことは間違いない。乗る時に傘を落としたので、もみくちゃになりながら必死に傘を拾ったのだが、上下を逆に持った状態で奥に押し込まれた。

当時は流行していたミニスカートの女性に、自分の体を後ろから押し付けられた。身動きが全く取れない。「満員電車の揺れや周りの乗客に押されて生じた接触を、意図的に触られたと」誤認されて当然の不幸な事態である。

悪条件が重なる。「?」のマークを逆にしたような傘の取っ手=写真=が、相手の股間に食い込んでしまったのだ。何とかして外そうとするのだが、そうすればするほど外れない。むしろ、ますます食い込む。相手も、これが意図的な行為ではないことを理解できる状況なので、声を挙げたりはしない。

さらに悪条件が重なって、架線かポイントのトラブルで電車が5分以上も止まった。もう、ダメだこりゃ。

しかし、止まると多少は身動きできるようになるものらしく、傘の取っ手はようやく外れた(というか、抜けた)。あの時ほどホッとしたことはないなあ。

就職先を決めなければならない時期だった。ワシが新聞社を選んだのには幾つかの理由があるが、その一つは「勤務時間が不規則で夜勤や泊りが多いのは構わない。ただ、満員電車で通勤する会社員にだけは、なりたくない!」だった。

 井下田とかいう裁判官は、ワシとは違って司法の道に進んだエリートだが案外、雨の朝に満員電車で傘の取っ手による難儀を経験したことがあるのではないだろうか? 余計なお世話ではあろうが、そんなことまで想像してしまう治五郎なのであった。

 

診察予約を急に延期する人々の諸事情

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どこの病院ということは言わない。(写真は、あくまでイメージだが、たまたま現実の外観と一致している)

朝の8時半、病院の女性事務員Aに、通院している男B(65歳)から電話があった。

B「あのう・・・予約を1週間、延期したいんですが」

A「はい。BさんのID番号と担当の先生は?」

B「番号は〇✖〇✖、△△先生ですよ確か」(延期の理由は聞かないの? 聞かれたら「いとこが急死した」とか、いろいろ妥当な口実を考えといたんだが)

A「先生は、薬が足りなくなってなければ来週でOKだそうです」

B「あ、薬なら、ちょうど1週間分が残ってます!」

Bというのは、もちろん治五郎のことである。昨夜は、2週間近い自由で不便な「一人暮らし」の最終日なので、残っている酒類を一気に片付けた。

4時半に朝刊を取りに行ったら、地球の自転が自覚される状態。このまま9時前に尿と血液の検査を受けるのは、いくら何でも無謀というものだろう。

電話受付のAさんは毎日、予約延期には慣れているに違いないが、患者それぞれの事情を想像してみることはあるのだろうか? 

中には「3か月前に予約したんだけれども先月、事件を起こして逮捕された。先週、弁護士の接見直後にアクリル板を破って逃走。潜伏中の今は診察どころではない」という人もいるだろう。(そんな人が電話してくるかなあ)

ワシの場合は事情を何も聞かれなかっただけに、Aさんはすべてを「お見通し」なのではないかという過剰な心配をしないわけにいかない。医療関係者というのは、その職業を聞いただけで愚かな患者・市民をして不安と恐怖のどん底に突き落とすほどの〝威信バエワ〟と言えまいか⁈ (言えまい)

 

「ハーフ」今昔

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写真はビールの「ハーフ&ハーフ」というやつだが、今夜のところはお呼びでない。

新解さんに、意外なことが書いてあった。

ハーフ 🈔〔←half blood〕混血(の人)。〔差別表現として用いられることがある〕

本当か? 混血児は昔「間(あい)の子」などと呼ばれて、これが不当に〔侮蔑の意を含意することもある〕時代が長く続いたことは、治五郎も承知している。

しかし、時代は移った。今どき「ハーフ」を差別表現として用いる人がいたら、その人こそ〔侮蔑の意を含意〕した目で見られるだろう。

ダルビッシュ有ケンブリッジ飛鳥ウエンツ瑛士、国山ハセン、ホラン千秋・・・今やハーフは差別の対象どころか、憧憬と羨望の的だ(テリー伊藤は違うと思う)。「パパとママは、どうして日本人同士で結婚しちゃったの?」と恨みごとを言う子供もいるとか。

テニスの大坂なおみ(20)が「日本人プレーヤー」として頭角を現した頃はワシも、意表を突く外貌に接して相当ビックリしたものだが、あれよあれよという間に全米オープンで日本人初の4大大会優勝を遂げた。

マスコミが全面的に称賛している陰では、(なんだか面白くねえなあ)と感じている年寄りもいるに違いない、というワシの懸念は(幸い)杞憂に終わったようだ。

なおみが生まれたのは(計算が正しければ)20年前。すでに国際結婚が珍しくはなくなっていたが、40年前や60年前は事情が全く違っていた。長女に紹介された恋人が黒人だったりした場合、親御さんの周辺で一体どんな騒動が持ち上がったか。

20年前も、田舎では同じ状況だったろう。北海道・根室で漁師を続けてきたという祖父の鉄夫さん(73)に、(現役記者だったら)その辺の話をジ~ックリ聞いてみたい。

日本社会の〝国際化〟は総じて、悪い方向へは進んでいないと思う。(なおみは、おじいちゃんと深い話も出来るようになるよう、日本語の勉強に励みなさいね)