なんで治五郎?

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治五郎といえば普通、思い浮かべられる人物は嘉納治五郎=写真=であろう。講道館柔道の創始者で、近代日本のスポーツ界・教育界に巨大な足跡を刻んだ(足のサイズが大きかったという意味ではない。念のため)。

で、当ブログの筆者がなぜ治五郎を標榜するのか。それは、嘉納先生とは全く何の関係もない(もっとも、嘉納治五郎は昔の東京高等師範学校の校長を務めた人で、ワシが卒業した大学はその東京高師の後身に当たる。今の筑波大ということになっているわけだが、ワシの在学中は筑波移転反対闘争というのがあって、胸の内には今も筑波大を母校とは認めたくない虫がいる)。

どうも、カッコの中が長くなって話が先に進まないな。なんで治五郎なんだっけ? そうそう、嘉納治五郎とは全く関係ないというところまで来たんだった。

勘の鋭い読者が、早くも「ジゴロじゃないの?」と突っ込んできた。ご名答。

新解さん新明解国語辞典)でジゴロを引いてみよう。フランス語でgigoroと書くらしい。【男妾(ダンショウ)や情夫など、女性の経済力に頼って生きている男】。う~む、簡にして要を得た語釈だ。が、この辞書の厄介なところは、次から次へと確かめたくなる言葉が登場するので不眠を覚悟しなければならない点だ。

【男妾】「男めかけ」の意の漢語的表現。ジゴロ。

【男めかけ】情夫として女に養われている男。ジゴロ。

【情夫】[芸者・ホステスなどと]内縁関係にある男性。

世間で言う「ジゴロ」のイメージは、どんなものだろう。まず、金はない。働けば相当に稼ぐ能力はあるのだが、その意欲がない。しかし体力はある。〝夜のホームラン王〟などと呼ばれるくらいの絶倫系でないと、ジゴロは務まらないのだ。

ホームランどころか盗塁もしたことのない筆者(そもそも野球をした経験がない)に治五郎を名乗る資格はあるのだろうか。(ないよ)

嘉納先生、ちょっと下世話な話になりました。お許し下さい。