自分の写っている写真を持ってない!

 

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元新聞記者だから、自分で何かを撮った写真が(下手ながら)新聞の紙面に載ったことは何百回となくある。ところが今春、「あおもり草子」という隔月刊の地域雑誌から寄稿を頼まれた際「自分が写った現役時代の写真」を所望された。

探してみたのだが、これが見事なほど残っていない。40代で事実上の一人暮らしを始め、その後3回も4回も転居したから残ってないのも当然なのだが、自分の葬式で遺影として使えそうなものすらない(ま、葬式はやる気がないから構わないんだが)。

そこで元同僚の青木久雄カメラマン(今も現役)に「なんとかならないか」と頼み込んで、やっと見つけてもらったのが、この1枚=写真=だ。当時38歳の治五郎が、変な格好でモンゴルの少年にサッカーの手ほどき(足ほどき)をしている。

これは1991年=平成3年の4月、初めて訪れたモンゴルの小さな村で遭難・凍死しそうなところを、助けてもらった忘れられない旅の産物である。

厳寒の草原を走ること(足ではなく車で)2日半、ガソリン切れと同時にたどり着いたホテル(といっても平屋建てで定員10人そこそこ)が満員で、「もはやこれまで」と覚悟したら、先客が1部屋を譲ってくれた。映画のロケ隊だという。

翌朝、モンゴルの小津安二郎みたいな監督に丁重な礼を言ったら、不思議そうな顔をして何か言うので、通訳に聞くと「この国では『困った時はお互い様』が当たり前なんだが」と言っている由。ワシゃ痺れましたね。モンゴル狂いは、これが発端だった。

写真の少年ガンバヤルは子役で、その姉のアディルツェツェグというのが健康美そのものみたいな新人女優。(あゝ、写真を見せられないのが残念!) これもワシがモンゴルにハマった一因と言えないことはない、こともなくない。

風の便りによれば、モンゴルの小津安二郎(ソムフーという名監督)は惜しまれながら亡くなったそうだが、アディルツェツェグはどうしているだろう。生きていれば(そりゃ生きてるだろう)40代後半かな? ガンバヤルだって、いいオヤジになっているに違いない。ダヒンオールズマールバイナー!(また会いたいなあ、と言うとる)