「翔」の付く名前が多すぎないか

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(写真左から)櫻井翔中田翔白鵬翔。哀川翔というのもいた(今もいる)。翔+αでは大谷翔平中川翔子、少し古いが「Wink」の相田翔子etc・・・芸能界もスポーツ界も翔だらけの感があり、一般人の間でも子供に翔の字をつけたがる人が多い。

治五郎の若い頃は、翔なんてのは珍しい名前で「されどわれらが日々―」の芥川賞作家・柴田翔ぐらいしか思い出せない。タカシとかキヨシとかヒロシとかオサムという名の少年たちは、どこへ行ってしまったのだろうか?(どこへも行ってないよ)

名前に流行り廃りがあるのは当然といえば当然で、翔の付く名前の隆盛に文句をつけてもショウがないが、太郎君も花子さんも滅多にいなくなったのは寂しい気がする。

(11月の大相撲九州場所が始まるまでは、まだ1か月も待たなければならないので、ここらで少し「相撲ロス」を解消させてもらおう)

現役力士で「翔」の付く四股名は、どのくらいあると思いますか? すごいことになってます。剣翔、大栄翔 大翔丸、翔猿(とびざる)、大翔鵬・・・まだまだいる。もっとも、これらは追手風部屋の力士で、師匠(元前頭2枚目の大翔山)が弟子に片っ端から翔の字を与えた結果。同部屋で本名を名乗っているのは、あの遠藤ぐらいだ。

剣翔(つるぎしょう)という力士の場合は安彦剣太郎(あびこ・けんたろう)という、時代劇の主人公みたいな堂々たる本名を持っているのだが、昇進に伴って剣翔桃太郎になった。桃太郎になった時、剣太郎の心の中では葛藤というかアイデンティティーの崩壊・揺らぎみたいなものはあったのだろうか、なかったのだろうか?

「スー女」ならぬ「スー男」(南スーダンとは無関係)になると、こういう余計なことにまで想像の翼を広げてみる楽しみがあるのです。(ご退屈さま)