「仕方ないこと」と「詮ないこと」

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【仕方無い】㊀対処の方法がなく、そう▹する(なる)のを認めざるを得ない様子だ。(もう、いちいち出典は書かないよ。よほどのことがなければ全部、新解さん

「仕方ない」という言葉が、治五郎は昔から嫌いではない。内田百閒は、無目的な旅先の不愉快な出来事(地元の新聞記者が取材に来たり、女中さんの気が利かなかったり)を「やむを得なければ、すなわち仕方がない」で乗り切った。

人生は全般に「仕方無い」ものではないだろうか(ねえ、日馬富士関)。引退は、仕方のないことだったと思う。

本人も親方も被害者(貴ノ岩)も、内心ではこう思っているはずだ。「あの記事(スポニチ)さえ出なかったらなあ。手打ちは、とっくに済んでたのに」。しかし、そう思うのも今となっては詮ないことである。

【詮無い】それをすることによって▹得られる(報いられる)事が何も無い様子だ。

 

二月、四月、六月、九月、十一月には31日がない。これを、昭和時代の子供は「西向く侍、小なり」と覚えたものだ(侍は「士」で11)。昔の人は賢かったなあ、と感心しているうちに今年も師走に入った。ジングルベルが、うるさい。

11月の最終日は、恵比寿の画廊で加藤龍勇画伯の個展を見に行き、あろうことか気に入った作品を一つ買ってしまった。その足で吉祥寺の「原荘介リサイタル」へ。主役はもちろんだが、ゲストの加藤登紀子の歌にも大いに感動させられた。

やはり画家は絵がうまく、歌手は歌がうまい。プロなんだから、あたり前田のクラッカー。(ちょっと古すぎるか)

〝元横綱日馬富士の描いたプロ級の絵を添えておくとしよう。今となっては言っても詮ないことだが、ワシの大好きな相撲取りだった。