ええ、餅論です

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嫌いな食べ物が一つもない、という話はすでに何度かした。ただしタコ焼きなどの「丸まり系」や、お好み焼きなどの「広がり系」には食指が動かないという話もした。

もう一つ、年中行事に絡んで「食べて当然」とされる物が治五郎は苦手である(味が嫌いなのではない)。おせちや雑煮=写真=など、正月の定番料理に対して心理的な抵抗がある。(何の因果でワシはこのような性格に生まれついたのだろうか)

今と違って丈夫な歯を持っていた子供時代から、正月になると「また餅の季節か」と少々ゲンナリしたものだが、モチろん、年を取れば変わるというものではない。

知る人は少ないが、祖父の代までは青森県の温泉街で老舗といえる餅屋だった。経営者の長男の長男だから、世が世であればワシも餅を作って一生を過ごしていたはずだ。それが何か「餅」への感情に影響しているのだろうか。(たぶん全く関係ない)

餅と虚心坦懐に向き合えない背景には、言葉の問題もあるような気がする。

尻餅をつく。焼き餅(嫉妬)を焼く。餅を使った言葉には、どこかに好ましくない要素が含まれる場合が多い。好もしいのは餅肌ぐらいのもんだろう。

ところで「好ましい」と「好もしい」の違いを知ってますか?

【好ましい】そのような▵状態(存在)をためらうことなく受け入れることが出来る様子だ。「ー結果/好ましくない人物」

【好もしい】どんな点から見てもこのましい印象を与える様子だ。

焼き餅は好ましくない。餅肌は好もしい。という風に使い分けるのが正しい様子だ。