通訳に罪はなけれど

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日本サッカー協会は9日、ワールドカップ(W杯)ロシア大会(6月開幕)に出場する日本代表のハリルホジッチ監督(65)を解任したと発表した。

 解任は7日付。後任は、西野朗・協会技術委員長(63)。

 記者会見した田嶋幸三会長は「(ハリルホジッチ氏と)選手との信頼関係が薄れてきたことなどを総合的に判断した。(W杯まで)2か月であることを考え、内部で一番(チームを)見てきた西野氏を監督と決定した」と理由を説明した。>(Yomiuri Online より)

田嶋会長でなくても、サッカーファンの多くが気になっていたのは「コミュニケーション」の問題だ。シーズン中は単身赴任で、どこへ行くにも通訳が一緒=写真=。この通訳がまた(ご覧の通り)目立つ風貌なので、治五郎は「この通訳が隣にいない時、ハリルはどう暮らしているんだろう?」と心配でならなかった。

 試合後のインタビューは何年たっても「アリガトウ」「ガンバリマス」+α 程度の日本語で、例えば大阪に行ったら「今日はシンドカッタけど応援、オオキニ」ぐらい言ってもええやん、と大阪人は思ってたんちゃうやろか?

外国からの〝助っ人〟は野球でもサッカーでも、あきれるほど日本語が上達しない。理由は明らかで、通訳がいるから「言葉を覚えなくても生きていける」のだ。ここに「覚えなければ生きていけない」力士との決定的な違いがある。覚悟の差と言ってもいい。

そこで我が身を振り返ると、何年たってもモンゴル語が少しも上達しない。モンゴル人の妻が普通に日本語を話すので、勉強する気にならないのだ。困ったことである。