治五郎親方の大相撲夏場所総評

 

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失礼なこととは承知しているのだが、治五郎は「鶴竜」という横綱の名前を聞くと、どうしても鶴=写真①=ではなく土竜(もぐら)を連想してしまう=イラスト②はモグラたたき=。悪口ではなく顔の印象だから、失礼を詫びるほどのことでもないか。

顔の印象から万人が認める「角界ニコラス・ケイジ」こと栃ノ心が、今場所はベラボウな強さを発揮して大関の座を射止めた。優勝まではさせまいぞ、と踏ん張った横綱白鵬ではなく土竜いや鶴竜だったことには一応、敬意を表すべきだろう。(相変わらず「引く」癖が抜けず、あまり胸を張れないような取り口もあったが)

ジョージア(旧グルジア)出身の力士は(臥牙丸もそうだが)、本番が近づけば緊張と興奮で顔も体も紅潮(変色)する。モンゴル人や日本人などの「モンゴロイド」にはあまり見られない現象ではないだろうか。誰か自然科学系の学者の意見が聞きたい。

それにしても今場所は、休場者が多すぎた。横綱大関は計5人だが、うち過半数の3人(稀勢の里豪栄道・高安)が休場した。(終盤の土俵に出てくるのは外人ばっかりじゃのう、と嘆く日本の老人は一体、誰を応援すればいいのだ)

問題の本質は、どうも「怪我」にある。ワシが密かに応援していた照ノ富士なんか、来場所は「昭和以降、大関から幕下まで落ちた初のケース」になる。今場所で何より印象的だったのは、1勝もできない照ノ富士の痛々しさだった。

相撲の世界には、そういう厳しさがある。新大関ニコラスも覚悟せにゃあかんぜよ。