「超」のつく門外漢が知りたい指揮者の世界

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まず伺いたいのですが、どうすれば指揮者という職業に就けるのでしょうか?

幼時に音楽の世界に入って天分を発見され、苦労と挫折を繰り返しながら一段一段、上に進んでいくというのであれば、分かりやすい。歌手や相撲取りも同じだろう。

しかし、指揮者という世界は別格なんだな。高齢の小澤征爾=写真=が次回公演に出られないとなれば新聞に載る。回復して出るとなれば、それもニュースだ。が・・・

 例えばだよ。第二バイオリン奏者が、家を出がけに奥さんと食事のことで口論になり、むかついている。あるいは打楽器奏者が腹を下していて、シンバルを思い切り打ち鳴らすことができない。そんな事情までも指揮者は把握し、対処するのだろうか?

ド素人の目からすると、名指揮者は感情に任せて無闇に腕を振り回しているように見える。「さすがはカラヤンだ」「フルトヴェングラーだ」「オザワだ」と、どうして聴き分けられるのか? そこんところが、さっぱり分からんのですよワシは。

ベートーベンでもチャイコフスキーでもいいが、彼らが楽譜によって表現した〝音楽思想〟とでも呼ぶべきものを、名指揮者は完全に理解しているのだろう。

今はチャイコフスキーの五番をウットリしながら聴いている治五郎だが、誰が指揮しているのかは見当もつかない。どなたか隣に来て教えて下さい。