本当に寒かった話

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「首都圏に今冬一番の寒波襲来か」なんてニュースを聞くと、主たる先祖が北方民族らしい治五郎は正直なところ心が躍る。「さあ、来るなら来てみろ」という気になる。

しかしワシの体験なんか大したことはないようで、郷里の青森県内でマイナス10度以下になることは滅多にないし、あたかもモンゴル通みたいに振る舞っているが実は、真冬のモンゴルへは一度も行ったことがない。

20世紀が21世紀に変わる頃、「海外に移住して未知の生活に挑んでいる日本人」という1面企画が持ち上がった。(いかにも新聞が思いつきそうな企画ではないか)

「おい治五郎君(ではなく本名)、何かネタはないか」と聞かれたから「あります」と答えた。本心は「アラスカに行ってみたい」なのだが、当てがないわけではない。こういう場合は、とりあえず「手を挙げる」ということが肝心だ。

英語ペラペラの写真部員がワシントンだかニューヨークだかに赴任中だったので、通訳を兼ねて取材に付き合ってもらう。落ち合うべきアンカレッジ空港までは独力で行けたが、外へ出るとマイナス30~40度だろうか。通訳によると、現地案内人が早口で「息を吸う時は、そーっとね。勢いよく吸うと肺をやられますよ」と言った(ようだ)。

立ち小便をするとオシッコが弧を描いたまま凍る、ということはなかった(濡れタオルを振り回していると数分でパリパリに凍る程度)。それでも珍しい経験ではある。

おや? 夜空の一部が少し変な色になったなあ、と思える瞬間は何度かあったが、由緒正しい立派なオーロラ=写真左=には出合えなかった。 

何の因縁で、ワシは20世紀最後の年の暮れにアラスカで夜空を見ているんだっけ? と考えたら、数年前に熊野古道和歌山県)でバッタリ遭遇した女性の姿がよみがえった。オオカミ=写真右=が介在している。(もう眠いので、続きは明日) 

 

湯沢の仇を江戸で討つ

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 ちょうど1か月前だ、「旅行読売」の取材で新潟・湯沢温泉=写真左=へ行ったのは。人妻を同伴したが、彼女はフリーカメラマンで仕事なんだから道徳的に問題ナッシングだという話は、もう書いた。文春砲よ、来るなら来い! (来ないって)

革靴やスニーカーで雪道を歩くことの大変さを知っているから、雪国仕様の長靴=写真右=を買って(というか買ってもらって)、東京から履いていくと築地市場で働く人みたいだから、リュックに入れて背負って行った。

ところが湯沢に着いてみると、クリスマス前のこととて積雪 が少なく、テーマが川端康成の「雪国」であるにもかかわらず長靴の出番はない。大枚(?)をはたいたというのに、また背負って帰るしかなかった。この恨み、晴らさでおくべきか!

そしたら、東京で大雪だ。思わず頬が緩もうというものではないか。

何の用もないけれど、ちょっとそこのコンビニまで歩いてみる。赤い鼻緒のジョジョを初めて履いたミーちゃんみたいな心境である。

帰宅を急ぐ荒川区在住の勤労者諸君が滑る足元にワッとかキャッとか言いながら歩いているのを尻目に、雪道の正しい歩き方を披露してきた。(ふん、ラチもない)

【埒も無い】とりとめも無い。

【取り留め】(はっきり認められる)目的やまとまり。「いつまでもー(の)無い〔=一貫性に欠け、要領を得ない〕ことを言っている/ーも無く想像する」

明日は歯医者という、はっきり認められる「目的」があるから堂々と、雪が解けないうちに履いて出掛けてこようと思う。

 

 

読者を増やしたくないブロガーもいる

 

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「花シリーズには飽きた言うとんのや! もうやめたんとちゃうか? オンドリャー」「まあまあ。ただのカット写真ですやんか」

〽春は菜の花=写真左= 秋には桔梗=写真中=

 そしてあたしは いつも夜咲く アザミ=写真右=

若かりし治五郎が、若かりし中島みゆき姉さんに傾倒するきっかけとなったデビュー曲「アザミ譲のララバイ」である。だからどうしたという話ではない。

 

「治五郎日記」みたいなブログにも、どこで見つけたのか「比較的よく読んでる」という変わったファンがいる。中には「読者を増やす方法」を伝授してくれる向きもある。ご厚意には感謝するが、筆者は性格が少しナニなもんだから、タイトルに掲げたような感懐を抱くことが多い。

ブログというものは、きのう何人が読んだか、今日は何人いるかということをアクセス解析機能で知ることができる。読者登録したりコメントを寄せたりすると、それが大体どういう人々なのかという見当もつく。が、どうも、あまり読者を増やしたくない。

まあ、理想的な読者数は高校の学級日誌ぐらいでしょうかね。北海道は富良野のラベンダー畑みたいに人に群がられては迷惑だ。いつも夜咲く〝アザミ爺〟でいたいんだな。

 

 

 

アジサイ・マンジュシャゲ

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 「おい、まだ続くんかい! 『花』シリーズは」「もう今回で終わりますさかい、堪忍しとくれやす」

アジサイ=写真左=は好きだ。鬱陶しい梅雨の季節に、これほど心を晴らしてくれる花はない。ただし、桜とは対照的に〝散り際〟が良くない。6月の盛りを過ぎて7月になっても8月になっても、腐りながらダラダラ、グズグズと咲いている。見苦しい。そこが、日本人にはあまり好かれない理由のようだ。アジサイに責任はないんだが。

マンジュシャゲ=写真右=は、もっと好きだ。秋の彼岸が近くなると田舎の田んぼの畦道や、都会でも(なぜか)墓地・霊園の近くで見かける。有毒成分があるそうで、縁起が良いか悪いかというと明らかに悪く、この花を愛でるために外出したという人の話は滅多に聞かないが、そこが好きだという変人もいる。色も姿形も申し分ない。

 

昨日のサンド会に訪れたのは、元後輩の女性新聞記者1名。松本由佳という。半年ぶりぐらいで会ったワシに「あ、老けましたね」と直言できる数少ない人物である。

【直言】(上の)人に対して、遠慮せずに言うこと。

損得・利害・愛憎などが絡む余地のない「清談」に終始した。(と記憶する)

【清談】〔金もうけ・暮らしむきの話や人のうわさ話とは関係の無い〕趣味・芸術・学問・信念などについての話。

う~む、〔暮らしむき〕や〔人のうわさ話〕が少しでも混じると「清談」とは言えないのか。上記の「清談」は取り消します。

 

ヒマワリ・チューリップ・スミレ・ドクダミ

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昨日の続きです。計8種類の花が登場したが、これを治五郎の好きな順ではなく、好きとは言えない順に並べたらどうなるかーー。

 ①ラン②ヒマワリ③チューリップ④サクラ⑤レンゲ⑥タンポポ⑦スミレ⑧ドクダミ

となる。「みんな違って、みんないい」と言ってるくせに、実はかなり厳格な序列があることに人は釈然としないかもしれない。(釈然も何も、関心自体がないだろう)

 ワシが概して、派手な花より地味な花、観賞用よりも野草系に愛着を感じている様子が見て取れよう。同じサクラでもソメイヨシノヤマザクラでは評価が分かれるし、アジサイはどこに入るか、曼珠沙華彼岸花)はどうかとなると、話はまた難しくなる。

困った性分の一つと自覚しているのは、手入れの行き届いた庭園、特に「花壇」というものに対して全く心を動かされないこと。ヨーロッパの宮殿なんかへ連れていかれると気分が悪くなる。「百花繚乱? ふん」てなもんや。

標高の高いモンゴルの草原で、前を行く案内人が踏んで歩いているのが高山植物エーデルワイスだと気づいた時「おいおい、まずいんじゃないの? 日本だったら〝自然愛好者〟が目を三角にして怒るよ」と言ったら、相手が「いや、花の方は気にしてませんから」と応じたのを思い出す。自然というのはこういうもんだと教えられた。

庭園や花壇のような〝見せ物〟ではなく、コンクリートの割れ目から出てきたタンポポにだったら心は動く。しゃがみ込んで「おっ、よく出てきたなあ」と話し込みたくなるけれども、通行人の不審そうな視線に気づく。(まだまだ修行が足らぬ)

 

ラン・サクラ・レンゲ・タンポポ

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「おい治五郎、今は真冬やで。そのくらいは認知できとるんやろな」

「分かってまんがな。けど、なんや今日は花の話がしとうなりましてん」

「花がどうしたちゅうねん。治五郎の脳にだけ春が来たんとちゃうか?」

 

ワシは「みんな違って、みんないい」という普遍的な真理にたどり着いたと自覚している者である。しかし例えば女性の魅力について、同じ言葉を公言すると気分を害する人(男ではない)もいるということを、長年の経験で学んだ。花なら問題あるまい。

蘭は蘭、桜は桜、蓮華は蓮華、蒲公英は蒲公英。それぞれの良さがある。どれが好きでどれが嫌いという色分けはできない。特に好きではない花にも、いいところが必ずあるものなのだ。(異性の話じゃないんだってば。分からないかなあ)

とは言え、左の皿に「あんきも」があり右の皿に「あんまん」があれば、ワシの手は迷わず左の皿に伸びる。ランとサクラとレンゲとタンポポを、治五郎の好きな順に並べたらどうなるでしょうか?(もう誰も付き合わなくて結構です)

それは縷々また論じるとしよう。ちなみに、ワシはヒマワリやチューリップよりも、スミレやドクダミの花が好きです。

 

 

クイズはボケ防止に役立つか

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結論から申します。役には立ちません。

電車に乗ると、スマホやゲーム機ではなく、クロスワードパズル専門の雑誌に熱中している人を見かけることがある。推定50歳以上の人が多いようだ。ボールペンを片手に、必死で問題を解く姿には何か鬼気迫るものが感じられて、楽しんでいるというより「修行」や「治療」という言葉を思い出させる。

テレビではクイズ番組が全盛期を迎えているらしく毎日、どこかの局でやっている。往年の「クイズ高校選手権」みたいに高レベルなものではなく、「高校までマジメに勉強して、その後も世の中のこと全体には人並みの関心を持っている」程度の視聴者を対象にしている。漫画家・やくみつる=写真左=や女優の宮崎美子=写真右(何十年か前)=らが常連だが、最近は若い芸人なども活躍している。

治五郎も、見たいわけじゃなくても見る機会が増えた。20年前だったら、やくさんには及ばなくても宮崎さんに近い成績を収められたような気がするのだが、還暦を過ぎると大きな変化が生じる。

まず「早押し」問題ね。正解は知ってるんだよ。知ってるんだが、心身の反応が鈍っているから正解者がボタンを押す前に答えられるわけがない。早押しは無理です。

次に「アレ」問題がある。「この写真の人物は?」と聞かれて、それが西郷隆盛なら大丈夫なんだが、大久保利通高杉晋作になると「アレだ、ほらアレだよ」の世界が待っている。2択(二者択一)や4択にしてくれると高齢者は優勢に立てるんだが。

クイズ番組のお陰で、むかし覚えたことを思い出したり新しい知識を得たりすることは多い。しかしボケというものの本質は、そんなに生易しいものではない。

試しに一度、2~3か月前の放送を見てみたい。正解を知っているはずなのに、その正解に達することはできないだろう。記憶力よりも忘却力の方が進行は確実に早い、という真実に人間は50過ぎたらそろそろ向き合わにゃいかんぜよ。(坂本龍馬の有名な言葉=ウソだよ)

最初の海外出張先が果たした役割

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治五郎は、6~10歳の3年半をヨーロッパで過ごしたが、その後は30代半ばまで海外に行く機会がなかった。新聞社の社会部での労働環境は厳しかったもののワシの場合、まあ、いわば〝働かない奴隷〟という感じだったと思えば間違いない。

1989年の2月初旬、いきなり「ミクロネシアへ行ってこい」と言われた。社が行なっている福祉事業の一環として毎年、南洋の島々に医師・看護師を派遣していた。その同行取材である。「海外未経験の暇そうな記者」に白羽の矢が立ったのだろう。

ミクロネシア連邦は当時、アメリカの信託統治時代が終わる頃だった。グアム経由で現地入りしたトラック諸島の「モエン島」は、千代田区ぐらいの面積に約1万人がパラパラと住んでいる。眼の風土病患者が多く、医療チームは大歓迎された。

眼の手術なんて見てもしようがないから、住民との雑談が仕事みたいなもんだ。戦時中は日本の支配下にあっただけに、高齢者は日本語が出来てカメラをシャシン、飛行場をカッソーロと言う。働いている人を見かけないのが、とても印象的だった。

ほとんど一日中、ヤシ=写真=の木陰で寝そべっている。病院の内外を走り回る看護婦(まだ看護師という職業名ではない)の姿を見ながら、「なんで日本人はあんなに急いでばかりいるんでしょう?」と、力士みたいな体格の女子高生が言うのを聞いたら、思わず「そうだよなあ」。自分の視点が相手と同一化しているのに気づかされた。

 

これが始まりだった、と言えるだろう。翌90年の末に、ペレストロイカ時代のロシア(まだソ連だった)に3週間。せっかくの機会だからとキリル文字の読み方を覚えたら、その4か月後にモンゴル(まだ人民共和国だった)へ行くことになった。

人生の前半と後半がクッキリ分かれる前段として、あの島で過ごした1週間には感謝しても感謝しきれないのだ。

 

 

 

それで「2646」問題はどうなったのか

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 う~ん、あまり語りたくないなあ。予備校の出席番号が2646(二浪しろ)だった現実に心の傷を受けつつも、4人部屋の寮=写真=に入って勉強生活に入った。

他の3人は、U:福井県出身、東大志望。O:茨城県出身、一橋大志望(ダメなら外語大)。F:福岡県出身、KO大ひとすじの3浪目。とても面白い1年間だった。

勉強というものは、こういう風にしなくては! と、UやOを見て思った。しかしワシときたら数学も理科も20点以上は望めないので、文系の科目でカバーするしかない。

小説を読んだ。新潮文庫山本周五郎シリーズを次々と刊行するもんだから、片っ端から読むしかない。そのうちに日本酒の味を知った。(人間、もうダメです)

UやOが、それとなく忠告してくれるんだが「べらぼうめ、山周を読みだしたら方程式なんか解いてられるかってんだ!」てなもんだ。

それが、どうしてワシだけ第一志望に合格したのか? ワタクシはいまだに納得がいかない。若かった彼らの顔を思い出すにつけ、忸怩たる思いに駆られるのです。

 

 

スー女の造詣、畏るべし

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大相撲初場所の初日。15日間、全取組を無料で生中継するという「Abema TV」を、朝から見た。案の定、CMが多いが「一日中タダ」となれば不満は言えない。

観客もまばらな序の口からの取組を解説付きで見られるというのは画期的である。

スー女(相撲女子)で知られるタレントの山根千佳(22)=写真=がゲスト解説を担当していたが、相撲に詳しいことと言ったら治五郎ごときの出る幕ではない。

好きな決まり手を聞かれたら「上手出し投げ」だそうだ。上手投げではなく上手出し投げですぜ。ワシには両者の違いがよく分かってない。

期待している若手力士は? の問いには、新十両の水戸龍(錦戸部屋)だか幕下の朝日龍(朝日山部屋)だかと、もう一人、幕下の霧馬山(陸奥部屋)を挙げた。どれもモンゴル出身でワシは注目しているが、霧馬山(ムバサンではなくキリバヤマと読む)とはまたシブイ選択だ。ただならぬ眼力を感じる。

こんなアイドル娘が取材に来たら、大抵の相撲取りは舞い上がるだろう。千佳ちゃんは将来、どこかの有力な相撲部屋の名物女将になるのではないだろうか。

しかし、そういう話をしている場合ではない。

横綱が3人になったが、3人とも安泰とは言い難い。立行司はと言えば、木村庄之助が空位のうえ式守伊之助が例の事件で引退せざるを得ない。代役の勘太夫は初日早々、負けた稀勢の里に軍配を上げてしまって味噌をつけた。

日本の国技は大丈夫か? という点でも今場所はターニング・ポイントだろう。