「生れて墨ませんべい」の真実③

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当ブログの読者は数が少ない代わり、勘と洞察力に恵まれた人が多いようだ。「生れて墨ませんべい」の真実、というタイトルを見て「はっはあ、治五郎が言おうとしているのは煎餅の話ではなく著作権の問題だな」と気づいただろう。

(えっ、そんなこと思いもしなかった。「生れて墨ませんべい」は食べてみたいけど)という人がいたとしても、それはそれで問題ナッシング(no problem)。同じメーカーから「如何せんイカせんべい」=写真=という商品も出ています。(いずれも通販で入手可)

 <18日に選考会がある芥川賞の候補作、北条裕子さん(32)の「美しい顔」(「群像」6月号掲載)に主要な参考文献が明記されなかった問題で、出版元の講談社は3日、同社のホームページで近日中に全文を無料公開すると発表した。「甚大なダメージを受けた著者の尊厳を守るため」であり、作品の評価を「広く読者と社会に問うため」という。

講談社は先月29日、東日本大震災の現場をルポルタージュした石井光太さんの「遺体」に類似した箇所が同作にあると明らかにし、次号の「群像」でおわびを掲載すると発表。それを受け、「遺体」の発売元である新潮社が「参考文献として記載して解決する問題ではない」とコメントしていた。>(以下略、©朝日新聞

問題の個所は、読み比べると明らかなパクリである。現場へ行かずにこんなことが書けるなら、新聞記者なんか一人も要らない。(ノンフィクションとフィクションの間には、そういう厚い壁があるということだろう)

【ぱくる】〔ぱくりと食べる意〕㊀(ひったくるようにして)盗む。だましとる。「手形をぱくられた/人のアイデアを-」㊁犯人を逮捕する。「すりを-」 

そこで、再び太宰治の話だ。彼の「生れて、すみません」は他人の一行詩のパクリだったわけで、本人も〝盗作〟を指摘され(パクって、すみません)と後悔したらしい。

しかし文芸史上、盗作や剽窃(ひょうせつ)が問題視されるようになったのは比較的、最近のことと言えるだろう。和歌における「本歌取り」などは、ちょっと意地の悪い見方をすれば〝剽窃の宝庫〟ということになる。

太宰は第1回の芥川賞候補になったが次点で落選。この賞が欲しくて欲しくてたまらなかったようで、いろいろ悪あがきした様子が伝えられている。

当時と違って、今は「著作権」の保護が叫ばれる時代だ。18日だかの芥川賞選考会では北条さんの「美しい顔」が受賞したらしたで、しなかったらしなかったで、新聞社の文化部などは騒動を覚悟しなければなるまい。如何せんイカせんべい。

 

 

7月6日は死刑記念日?

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「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日

俵万智の「サラダ記念日」が、歌集としては驚異的なベストセラーとなったのは1987年(昭和だと、えーっと・・・62年か。換算が難しい)のことだそうだ。

万智さんとは一度、3~4人で食事したことがあって、その時に聞いた話はすっかり忘れていたのだが最近、スポーツ紙の記事を読んでいて思い出した。あの歌の「サラダ」が実はサラダ=写真=ではなく「鶏の唐揚げ(カレー味)」だったこと、七月六日は音の感じがいいだけで何月何日でも構わなかったこと。ま、どうでもいい話ですけど。

1987年というのは、オウム真理教という宗教団体が生まれた年でもある。何もサラダ記念日を選ばなくてもいいと思うんだが、7月6日に麻原ナンタラこと松本カンタラ以下7人の死刑が執行された。幹部級が、まとめて〝ポア〟されちゃったのだ。

治五郎は別に憤ったり悲しんだりする立場ではないが、法務大臣(♀)の記者会見を見ていると、この役職には♂より♀の方が向いているような気がする。♂は概して優柔不断でいかん。執行命令書に判を押すと寝覚めが悪いと思ってしまうのだ。

【寝覚(め)】目が覚めること。「-が悪い〔=自分のした(悪い)行いが気になり あと味が悪い〕」

死刑という制度は畢竟、国家権力による「殺人」にほかならないので、ワシは(被害者側の感情は分かるが)手放しで支持する気にはなれない。

人の命は「地球より重い」だなんて、よく言うよ。現実には「鴻毛より軽い」のではないか。(ドン!)

【鴻毛】〔鴻(オオトリ)の羽の意〕きわめて軽いもののたとえ。「死はーよりも軽し」

能天気のようでいて、治五郎にもいろいろ難しいことを考える日はある。上川陽子法相の寝覚めやいかに。(案外、スッキリ目覚めたりするんだよなあ)

 

「生れて墨ませんべい」の真実②

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 A「太宰治の『生れて、すみません』という有名な言葉があるね。『人間失格』だっけ、それとも『斜陽』だっけ」

B「ああ、それはどっちも違うよ。『二十世紀旗手』という短い作品の冒頭に置かれたエピグラムだな。確か昭和12年(1937年)に雑誌『改造』に載ったんだ」

世の中にBタイプの人は結構、いる。きのう調べて知ったことを、前から知っていることのように開陳せずにいられない。ところが実はAの方がクセモノなのだ。

A「それは本当に太宰の言葉なんだろうか」

B「・・・え?」

A「当時、寺内寿太郎という名を持つ〝無名〟の詩人がいて、『遺書』と題した一行詩を書いている。それが<生れてすみません>なんだよ。人づてに知った太宰が勝手に借用したんだが、寺内が〝盗用〟に激怒したと聞いた太宰が落ち込んだという証言も残っている」

B「恐れ入りました。この煎餅、ちょっと食ってみないか?」

A「ほう、『生れて墨ませんべい』=写真=? 俺もそこまでは知らなかった」

このような会話が毎日、どこで何百回繰り返されているかは知らない。それでいいのではないでしょうか。

 

 

「生れて墨ませんべい」の真実①

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つい去年のことのように思えるが3~4年は経っているらしい。治五郎が「生れて墨ませんべい」=写真=という、あまりと言えばあんまりな名前の煎餅と遭遇したのは。場所は、青森県五所川原市の「斜陽館」改め「太宰治記念館」の向かいにある土産物売り場だった。

<平成24年度 第53回全国推奨観光土産品審査会で当店の「生れて墨ませんべい」が「全国観光土産品連盟会長賞」を受賞しました。 いか墨を生地に練り込み、ほんのり甘くサクッとおいしい、いか墨せんべいの詰合せです。青森県金木村(現・五所川原市)に生まれた小説家、太宰治の生誕100周年を記念し企画した商品です。パッケージもユニークなイラストでお土産に大変喜ばれている商品です。>(南部せんべい本舗 八戸屋)

「う、うまいっ ‼ 」と驚くほどではないにしろ、黒というかドブ色の外見とは違って、かなりイケる味だが、ヒットした理由は味よりもネーミングだろう。

「生れて、すみません」というセリフの知名度は高い。が・・・

A「誰の言葉だっけ」

B「そりゃ太宰治だろう」

A「太宰の、何?」

B「・・・やっぱり『人間失格』じゃないの? いや、ひょっとしたら違うかな。違うような気もしてきた」

そこそこの文学好き同士が、飲み屋で交わす会話の〝定番〟と言えよう。酔って帰宅すれば記憶からは消えるので、AとBが半年後に会うと同レベルの話が繰り返される。

治五郎が「そこになんとか風穴を!」と気負っているわけではないので、①の続編を期待されても困る。サッカーも相撲もない今夜は、静かに寝ましょう。

 

 

 

 

「持たざる者」の高枕

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かつて治五郎が埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)の分譲マンション「Gシティ」に居住していた頃、近所にゴム会社で財を成したらしい社長の豪邸があった。

敷地面積はそれほどでもないのだが、邸宅の周りを囲んだ高い塀の上に、50センチほどの巨大なクギによる「忍び返し」=写真左=が張り巡らしてある。どんな金銀財宝を蓄えているのか知らないが、資産家というものは、ここまでしないと安心して眠れないのかと驚き、呆れ、寒々しい思いに捕らわれた。(哀れなものよのう)

以来「よし、ワシは財産家にだけはなるまい」と肝に銘じ、その望み通りに生きて今日に及んだ。(決して負け惜しみや強がりじゃないということを理解したまえ)

今の賃貸1DKに暮らしていると、物を盗まれたりする心配が全くない。無い袖は振れないので、詐欺に遭ったり強盗に押し入られたり、空き巣に狙われたりする可能性がゼロ。狙った輩は、己の不明を恥じて後悔するしかない。こっちは高枕だ。

【高枕】〔枕をしない不安定な状態と違って、枕をして安眠する意〕㊀〔敵の来襲や不時の事態に備える、着衣のままの仮眠状態と違って〕寝間着に着かえ、枕をして、気を許して寝ること。枕を高くする。㊁(日本髪を結った時にする)高く作った枕。

写真右は㊁と思われるが、ワシは日本髪を結うことがないので、ここでは㊀の意。寝間着に着かえる習慣はないが「着衣のまま気を許して」グッスリ寝ている。

枕は、もちろん高い方がいい(値段の話ではない)。理想を言えば女の腰ほどの厚みがあって、なるべく硬い枕がいいのだが、なかなか手に入らないから普通の枕を二つ重ねて使っている。酒さえ足りていれば必ず熟睡できる。

ワシが私淑(というより崇拝)する内田百閒先生は、戦災で焼け出され掘っ立て小屋で暮らした後は、三畳間が三つだけの〝三畳御殿〟を自宅とした。自ら号して曰く「夢獅山房(むしさんぼう)」。夢獅山=無資産である。

「何も持っていない」という境遇が、安心・安全に最も近い。これは、不肖・治五郎が先人の知恵と自身の経験を通じて学び得た真理であります。

 

白虎隊とW杯の間に何があるか

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「最近の治五郎は平気でブログを休む」「飽きてきたのだろうか。書くのが大変なほどの内容には見えないが」「ついには『死んだふり』までするようになった」

いや、違いまんねん。まあ聞いとくんなさいまし。

先日のW杯、日本・ポーランド戦=写真左=の終了後、案の定「負けるが勝ち」のパス回し作戦を巡って賛否両論が巻き起こった。意外なことに、国内では容認・支持派が多いのに対して海外メディアは「サムライらしくない」と厳しい声が目立った。

 ここは一つ治五郎の出番だろう。構想を暖める〔=もっとよくするために、発表しないでおく〕こと2~3日、会津藩の「白虎隊」=写真は古い映画のポスター=まで引き合いに出し、普段の2~3倍の行数を費やして問題の本質に肉薄したのだが・・・。

記事を公開する段になって手元が狂い全文、消えてしまった。(待てよ、慌てるな。何か、消したものを復元する方法があるんだ。どのキーを押すんだったか・・・)

それが、分からない。まあいいや、ひと眠りしたら少しずつ思い出して書き直すか。そう思ったが、そんな作業ほど虚しいものはない。賽の河原の石積みみたいなもんだ。

【賽の河原】死んだ子供が父母供養のため小石を積んで塔を作るといわれる、三途の川の河原。積んだはしから鬼が崩すという。【ーの石積(み)】むだな努力のたとえ。

ひと眠りして起きたら、素面に戻っていることではあるし暑さは暑し、すっかり気持ちが萎えてしまった。

最近は時間の過ぎ方がブラジルやベルギーのFW陣の速攻より早いもんだから、見なさい。気がついたら日本はベルギーに2-3で逆転負けしているし、桂歌丸師匠はとうとう死んでるし、タイの奥地で洞窟から出られなくなった13人の子供らは、奇跡の生存が確認された。もはや日本・ポーランド戦などニュースでも何でもないのだ。

 それにしても、W杯と白虎隊の相関関係について、ワシはどのような論理を展開してどんな結論に至ったのだったか? 逃がした魚は大きいのである。

「ブログが何日も更新されてない。何か事情が?」

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 (妻より)「夫の治五郎は糖尿病の急激な悪化により逝去しました。常々、数少ない読者の皆さんに『よろしく』と申しておりました。(真っ赤なウソで~す)」

【真っ赤】赤以外の何物でもない様子だ。「恥ずかしくて顔がーになる/ーになって〔かんかんに〕怒る/ーな〔=まぎれも無い〕うそ

ワシが敬愛してやまない新明解国語辞典ではあるが、この項の説明は完璧とは言えないと思う。

【真っ黒】黒以外の何物でもない様子だ。

【真っ青】青以外の何物でもない様子だ。

それぞれに適切な用例が付記してある点はサスガだが、なぜ「真っ赤なウソ」があって「真っ黒なウソ」や「真っ青なウソ」はないのか? そこを、日本語勉強中の外国人に突っ込まれたら、どう答えるべきか。新解さん、考えといて下さいよ。

 (それは頼りにされる国語辞書にとって、義務以外の何物でもない様子だ)

審判の存在意義

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スポーツにおける「審判」というものの位置が、治五郎にはよく理解できない。柔道=写真①=にしろサッカー=写真②=にしろ、この人たちは何をもって人生の喜びとし、生きがいとしているのであろうか?

本人がオリンピックでメダルを取ったとか、W杯で得点したとかいう経験があるわけではなさそうだ。高給取りが多いとも聞かないし、競技によっては選手と同等の体力が求められる。割が合わないではないか。

しかし、彼らの立ち居振る舞いが実に毅然としていて、自信に満ちている。まるで「私の目に狂いはない」「私自身がルールブックだ」と言わんばかりだ。

とは言え、人間であるからには「間違い」を避けられない。そこで、どの競技でもビデオ判定の導入が進んでいる。サッカーW杯では今回からVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)というものが登場して結構、出番が多い。

VARだなんて、日本の老人にとってはまた一つ、覚えなければならない横文字の略語が増えて難儀なことである。これによって判定が覆るケースが少なくないところを見ると、従来いかに誤審が多かったかが想像できる。

ビデオ判定の普及は喜ばしいことに違いない。ただ、ワシが人類の未来のために心配しているのは、そのうちに失業者が増えるのではないかということだ。

駅の改札が自動化したことによって、切符に鋏を入れる駅員=写真③=という仕事が激減した。今や都会は自動改札、田舎のローカル線は無人駅という二極分裂が日本全土を覆っている。鋏を奪われた駅員はどうすればいいのだ! (ほかの業務があるか)

自動運転が当たり前になれば、運転手という職業人が減るのは目に見えている。スポーツの審判も、ビデオ判定が優先されるようになると、人間は最初から不要という日が来ることにならないか?

炎天下、汗かきベソかき今日も走り回るサッカーの審判諸君を見るにつけ、ワシは彼らの労を多とし、その将来よ安かれと祈り憂えるものである。

実は不眠症と無縁な私

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治五郎は「睡眠」=イラスト=で苦労したことがない。夜中に「寝苦しいな」と思うことはあるが、それは酒が足りないからに決まっているので、焼酎を2合も飲めば問題はたちどころに解決する。

若い頃から、会社のソファで昼寝するのが得意だった(素面でだよ)。枕などは不要。首の後ろ下に広辞苑か何か、分厚くて硬い物が当たっていれば、部屋が明るかろうが周りがうるさかろうが、短時間で熟睡できるのだ。

ここ3週間ほどモンゴルから義妹が来ているので、夜は「川の字」になって寝ているのだが、並び方によっては世間の誤解を招きかねない(思い過ごしか)。それで、妻と姉の立場を兼務する責任者が真ん中に寝ている。

W杯の最中で、ワシはテレビに最も近い場所でかじりつきたいのだが、それだとトイレに立つたびに二人の女を踏み潰しかねない。ボールの所在や選手の顔はよく見えないが、3等席で音のボリュームを最小にして(もちろん叫んだりせずに)観戦している。今は韓国・ドイツが0-0で前半を終えたところ。

よくしたもので、この姉妹は寝つきがいい。韓国が攻め込もうがドイツが守り切れなかろうが、ひとたび眠れば「我関せず焉」。いいぞ、その調子その調子。

えん【〈焉】〔終助詞的に〕漢文訓読調の文の末に置いて、言切りの意を強める語。「我関せずーという〔=自分は全く関知しないんだという態度を取る〕人ばかりだ」

(補記)前回優勝のドイツが0-2で敗れた。Ach!(アッハ=英語だとOh!)

時差ボケ老人

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【時差】㊀地球上の二地点における時刻の差。〔時刻として、各地点の地方時を採用すれば、時差は、経度差一五度差につき一時間。実用上は、それぞれの地域の標準時を採用する〕「東京とパリのーは八時間/ーぼけ」

ぼけ【〈惚け】㊀ぼけること。「いよいよーが来た/寝ー」㊁何か他の状態が長く続いたあと、しばらくの間 元の通りには頭が働き出さないこと。「連休ー・時差ー」

時差ボケというものは、飛行機に長い時間乗らなければ避けられるというような生易しい問題ではない。寝るべき時間に起きている状態が何日も続くと、誰でも居ながらにして時差ボケに陥ることが出来る(というか、陥らざるを得ない)。

「いよいよーが来」ているというのに、W杯は面白い試合に限って(日本時間の)午前3時から始まるもんだから効果てきめん、ボケに拍車がかかってきた。ボケ老人が時差ボケになったらどうなるか? 「時差ボケ老人」になるのは自明の理だろう。

地球は丸い=写真=ということの不都合な真実を、こういう時ほど実感させられることはない。今はフランス ✖ デンマーク戦をやっているところだが、日付が変わって3時になればアルゼンチン ✖ ナイジェリアだ。どうしてくれる?