ボケを自覚しなくなること、これ即ちボケなり

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ぼけ【惚け】㊀ぼけること。「いよいよーが来た / 寝ー」

ぼける㊀【惚ける・耄ける】〔年をとったりして〕記憶力・弁別力・集中力が弱くなる。「寝ー / とー」

治五郎は、50代半ばで「ああ、記憶力・弁別力・集中力が弱くなってきたなあ」と自覚したので、60で退職すると同時に田舎に「ひきこもる」ことにした。(結果的に、その生活も4年で破綻したのだが)

もともと運転は好きじゃないし、運転しようと思えば出来ないこともないが、64歳で免許証を返納した。尾久警察署の係員は「早いですね」と少し驚き顔だったけれど、なあに、運転なんか何十年もしてないペーパードライバーなのだ。苦しゅうない。

自分の利便を考えれば、70になっても80になってもクルマは捨てられないだろう。しかし万が一、そんな自分のボケが原因でアクセルとブレーキを踏み間違え、通学児童の列に突っ込んだりしたら・・・

「そんな事態は想像もできなかった」という、今は拘置所にいるおじいちゃん。どうしても想像力が働かなくなってくるのが、ボケというものの本質じゃないでしょうか。

巨匠・倉本聰のドラマに欠かせないもの二つ ②

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 (承前)昨日のことかと思ったら、もう3日が過ぎている。しかし、そんなことに今さら驚くような治五郎ではない。倉本ドラマの続きの話だ。

テレ朝が平日の12時半から放送している連ドラ「やすらぎの刻(とき) ~道」=写真=は、NHKの朝ドラばりに1回15分少々のドラマを1年間ぶっ通しで続ける企画。

84歳になった倉本が、脚本家人生の集大成というべき意気込みで全力を注いでいる様子が分かる。(と言っても、治五郎が毎日そんなに熱中して見ているわけではない)

舞台は、元大物芸能人ばかりが入居している高級老人ホーム。主人公の老脚本家は、もちろん作者自身がモデルだ。これに加えて、入居者仲間(橋爪功)に青春時代の原風景=写真=を語らせるという二重構造になっている。倉本作品らしい〝ピリ辛・ホロ苦の人間愛〟とでも呼ぶべき世界だ。(ストーリーは、例によって面倒だから省略)

主演の石坂浩二が気の毒なのは、極端な愛煙家という設定なので、四六時中(特にシナリオ執筆中のシーンは)のべつまくなしにタバコを喫う点だ。石坂という俳優自身は、タバコが苦手なのではないかと思う。(喫い方が下手というか不味そうだ)

モデルがモデルだけに、石坂浩二は観念するしかないだろう。なにしろ倉本聰といえば〝喫煙の権化〟であり、古い映画やドラマの喫煙シーンさえも禁止したがるような〝禁煙ファシズム〟とは体を張って闘ってきた人だ。

人に聞いた話だが、北海道・富良野にある自宅や仕事場を訪ねると「喫煙自由」の立て札があり、タバコの嫌いなマスコミ関係者などが取材に行くと「非喫煙室」に通されるんだそうだ。動物園の檻の内と外が逆転したような具合である。

中島みゆき(の歌)が好きでたまらないらしいのも、倉本の昔から変わらないところ。今回のドラマでは主題歌の2曲を彼女に委ねている。治五郎の場合、中島みゆきを昔ほどは聴かなくなった。

思うに、彼女の本領は「恋が成就しない者のウジウジ」である。「ダメだった者のツブヤキ」なのである。

うじうじ つまらぬことを気 にしたり ためらってばかりいたりして、思い切った行動ができないでいる様子。「いつまでもーするな / めそめそー泣き言ばかり言っている」

昔の倉本作品で、中島の「ホームにて」が流れた時は「なんちゅう場面で、なんちゅう曲を流すんだろう」と失禁しそうなほど感動したものだが・・・「麦の唄」とか「地上の星」とか、みゆき姐さんは時々〝演説調〟になって声を張り上げるので、こちらの気持ちが少し萎えてしまうという事情はある。

倉本聰は、いよいよ「最期」に向かって歩きだしているように見える。静かに見守りたいと思うが、寿命ばかりは思い通りになりませんからね。

「あ、115歳になった。あとは何を書こうか」。何もないんじゃないでしょうか。

巨匠・倉本聰のドラマに欠かせないもの二つ ①

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それは「タバコ」と「中島みゆきの歌」じゃないでしょうか。

倉本聰ドラマとの出合いは、もちろん1980年代の「北の国から」=写真左=シリーズだ。ほかの作品も含め、脚本が出版されれば大体は読んできたくらいのファンである。

どこが好きかと言うに、社会や人間に向ける視線とか反骨精神とか、いろいろあるけれども突き詰めれば、キャスティングを始め役者への注文、音楽の好みに至るまで一切、妥協することの出来ない「頑固さ」にあると思う。好きなものはトコトン好き、嫌なことは絶対に嫌なのだ。中間はありえない。(ワシの場合は、中間もアリ)

彼のスタンスは、専門分野やタイプこそ違え黒沢明や内田百閒に一脈通じるところがあって、治五郎のように「かなり変」な者は、いちどハマるとなかなか抜け出せない。黒板五郎役を演じた田中邦衛や、さだまさしのテーマ曲がなかったら「北の国から」は、テレビドラマの歴史に残るほどの名作にはならなかったような気がする。

治五郎も中年期以降は波乱が多く、実生活で場数を踏んだので、倉本ドラマに熱中している余裕はなかったのだが去年、妹Bに薦められてテレ朝の昼ドラ「やすらぎの郷」を見るともなく見ていたら、だんだんハマってきた。

今は続編の「やすらぎの刻(とき) ~道」=写真右=を放送していて、これがまた

あ~、眠くなってきた。タバコや中島みゆきの話はどうしたんだっけ?

ま、続きはまた明日ね。

「字解き」のイロハ

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話題がどんどん古くなるので、若いというほどではなくても治五郎よりは若い読者にとって、少し退屈かもしれない。まあ、諦めてお読みなさい。

ワシが新聞記者になった頃は、ケータイやメールがないどころか地方では公衆電話が少ないから、大きな事件事故があって現場へ行くと社に連絡するのが大変だった。所轄の警察署や役場の電話を借りることが出来ても、その先がまた大変だ。

「いま現場に着きました」「よし、電話を切らずに原稿を送れ」「へ? まだ取材が」「いま見えてるものを電話で伝えればいいんだ」「目の前では、警務課長が電話対応に追われています」「バカモン!」

電話送稿で大切なのが「字解き」。音声だけが伝達手段なので、「いろはのイ」に始まって「おしまいのン」まで、仮名の字解き法が決められている。例えばマは「マッチ=写真。近年は見かけませんね=のマ」であり、キは「切手のキ」、テは「手紙のテ」、クは「車のク」という具合だ。

もう大半は忘れたが、駆け出し時代はそんなことを覚えるのにも苦労する。ヌを「ヌードのヌ」と字解きしたら「バカモン! 沼津のヌだ」と叱られ、ユを「湯たんぽのユ」と言ったら「バカモン! 湯島のユと言え」と怒鳴られる。

仮名だけならいいが、字解きは漢字にも必要だったから「バカモン度」は高まる。

「乃」という字の説明を、今の若いモン同士なら「乃木坂の乃」と言えば正しく通じるんだろうが、当時は「乃木大将の乃」である。(乃木大将って誰よ?)

人名などの固有名詞を間違えるのは、新聞にとって致命的だ。ワシも一度、危ない目に遭った。尚という字を先輩記者に電話で「和尚さんの尚」と言ったのを、相手は「お師匠さんの匠」と受け取ったのだ。

ゲラの段階で気づいたから大事には至らなかったが、数々の薄氷を踏んで、ワシは首になることなく定年に至ったのであった。

大相撲夏場所千秋楽、むくれた治五郎親方

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むくれる ㊀「怒っていることが はっきり分かるような、不機嫌な表情や態度を見せること」のやや口頭語的表現。 

<米国大統領杯授与の際に、トランプ大統領の介添え役としてサポートした、審判委員の西岩親方(43=元関脇若の里)は、夢見心地の様子だった。>(日刊スポーツ)

西岩君といえばワシと同郷(弘前市)出身の親方だが・・・面白くない!

前日に優勝を決めた朝乃山を意地で下した御嶽海が「(観客は)相撲を見に来たのかトランプ大統領を見に来たのか」とボヤいたそうだが、全くだ。どうして日本人は「アメリカ・ファースト」の片棒を担いで、こう卑屈になってしまうのだろう?

国民がこうだから、安倍晋三は当面「虎の威を借る狐」であり続けられるに違いない。改元&新天皇即位の過剰な祝賀ムードが、そもそも治五郎には気に入らない。

(う~む、また血圧が上がってきたぞ)

気に入らないと言えば、今場所は横綱白鵬も新大関貴景勝も不在で相変わらず〝二軍場所〟の感を拭えなかった。鶴竜豪栄道、高安はどうしたのだ(ドン!)

 (おっと、どこか毛細血管が切れそうだ。しばらく横になろう)

小沢昭一の名言をかみしめる

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人は死んだらどこへ行くか? 天に昇るとか土に還るとか、風になって空を吹きわたっているのだとか、諸説あるが・・・。

昔、俳優の小沢昭一(1929~2012)=写真左=にインタビューしていて、そんな話題になったことがある。前にも当ブログに書いたような気がするが、治五郎が覚えていないくらいだから読者は完全に忘れているだろう。彼は、こんなことを言った。

「昇天とか成仏とかいうのは、しょせん人間の頭が考えだしたものだから、どれもシックリこない。死んでから行く先は、その故人をよく知る人の『心の中』じゃないでしょうか。その知人たちが何十年か後に死に絶えたら、そこで初めて世の中から消え去るんだと思います。ま、素人の考えだから当てにゃなりませんがね。ふふふ」

これは、ワシの好きな放浪の歌人・山崎方代(1914~85)=写真右=の<私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう>の世界に限りなく近い。

「どうなる」と心配したくなる気持ちも分かるが、自分が死んでこそ相手は本当に消えられるのだという発想は悪くない。

先週の金曜日は敬愛する先輩記者「笠やん」の七回忌と称する宴会があって、ワシは有楽町から銀座まで歩いて往復するのも難儀だったが、まあ行って良かった。

彼が「人の心の中」から消え去るまでは、あと20年も30年も要しそうだ。(ワシゃそんなに要したくないんだぜ、笠やん)

 

「青い山脈」のヒロイン逝去

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「アッ、その女優なら知ってる。原節子でしょ? うちの死んだじいちゃんが崇め奉っていた」。ブー、原節子=写真右=は若い女教師役で、映画「青い山脈」のヒロインは女生徒・新子を演じた杉葉子=写真左=である。

<映画「青い山脈」出演で知られる女優の杉葉子(すぎ・ようこ)さんが15日、結腸がんのため東京都内で亡くなった。90歳だった。葬儀は近親者で済ませた。

1947年、東宝に2期ニューフェイスとして入社。49年「青い山脈」でヒロインに抜てきされデビュー、青春スターとなった。(以下略、読売新聞23日付夕刊)>

1992年11月のこと。夕刊で新年から「あの人は」という企画を始めることになった。週刊誌がよくやる「消えた芸能人」に似ているが、新聞は社会性とか時代性とか登場人物の意外性とか「個人の内面」とか、いろいろ難しいことを考えたがる。

取材チームの一員になったが、企画は最初から難航した。第1回の本命たる原節子は、鎌倉で隠遁生活に入って久しい。担当記者は何度も文通して、電話で直接交渉するところまでは行ったのだが、相手がどうしても応じない。

キャップは「青い山脈」にこだわっているので「原節子がダメなら杉葉子か。おい治五郎(ではなく本名)、すぐ取材に行け。時間はないぞ」

調べたら、杉葉子はロサンゼルスにいた。ホテル・ニューオータニの「アソシエート・ディレクター」をしているという。行きたくもないロスに行った。空港でもタクシーでも英語が十分に通じず、大いに難儀した。

「あの時は、お互いに大変でしたね」と、一時帰国中の杉葉子の訪問を受けたのは数年後。年は親子ほど違うが〝戦友〟みたいに懐かしかった。

そうか、90で亡くなったか。感無量の治五郎であった。

人生七十近来ザラなり

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こき【古希・古稀】〔杜甫の詩の「人生七十古来稀なり」に基づく語〕七十歳(の長寿の祝い)。

 この言葉は、どこに消えたのだろう。現代日本において、70歳というのは長寿でも何でもなく、それを祝うような対象ではなくなった。

先日の同期会で痛感したことは、出席者の全員が四捨五入すれば「七十」なのに、誰にも長寿の実感がないことと、周囲への感謝の念も薄れてきてしまっていることだ。ほっといても90や100まで生きるのが当たり前の時代になったのだ。

70という年齢が「稀」ではなく「ざら」というより「序の口」になる。これは人間にとって「幸せ」なことだろうか?

ざら 🈔〔もと、「ざら」は「ばら銭」の意で どこにでもたくさんある意から〕同類がいくらでもあって珍しくない様子だ。〔口頭語的表現〕「世間にーにある話」

じょのくち【序の口】①始まったばかりのところ。発端。「…などはーで〔=始まったばかりで(これから先の本番が大変だ)〕

同期会に出かけて有楽町界隈を(無駄に)歩き回った治五郎は、週明けから右脚(特に膝)の調子が良くないので、バンテリン=写真=を塗るようになった(この第2類医薬品は結構、昔から効果があるような気がする)。

始まったばかりで、これから先の本番が大変だ。(新解さん、ご親切にどうも)

会社の同期会というものが面白い理由

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まあ、大体こんな景色である。土曜日の午後3時、有楽町の老舗ビヤホール「ニュートーキョー」2階。

「5500円飲み放題コース」の客(12人)は、ハゲや白髪はもちろん、老人性のシミが浮き出ている(そういう現象と無縁で、50前後に見えないこともないのが2~3人)。

飲み放題と言ったって、大半は生ビールかワインが2~3杯あれば十分だし、次々と出てくる料理も食べきれる量ではない。しかしモトは取らなければならないし、いわゆる「食品ロス」は現代の罪悪だ。独自路線の治五郎は、血糖値を考慮せずに一人で日本酒(2合)を2本いただいた。(家内と医者には内緒だぜ)

なにしろ〝花の(昭和)51年組〟であるからして、顔ぶれは多彩だ。関連会社の社長になったのもいれば、大学教授になったのもいる(さすがに引退組も増えたが、まだ現役もいる)。60歳の誕生日に退職した治五郎などは「隠居の先駆け」なのだ。

「来年の税金は大変だぞ」と労務の幹部経験者が元社長に言う。家族に聾者がいるというT田の手話実演には、久しぶりに「感動」を覚えた。糖尿病にも「不運型」と不摂生を貫いたワシみたいな「自業自得型」があって、前者に属する愛妻のボケが始まったというK藤の介護談には、己を省みて深く恥じた治五郎であった。

5時半で一応の解散となったが少~し物足りないので、5~6人で年甲斐もなく二次会へ。予想していたことではあるけれど、社会的に偉くなったかどうかとは全く関係なしに「ああ、こいつはやっぱりこういう老境に至ったか」と得心できる。

20代前半で出会った頃の印象は、40数年を経てもあまり変わらないちゅうことだわなあ。「この会、毎年やろう!」という声も出るわけだが、治五郎は同意しません。

人間は何より「あ~、もう気が済んだ」という境地を大事にせにゃあかん。

行く人、来る人

 

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妻アルタンが、テレビのスポーツニュースを見て噴き出している。

「何だ」

「こんな子供が相撲を取っていいの?」

「子供じゃないよ。そいつは炎鵬といって・・・」

<現役関取ただ一人の体重90キロ台力士として奮闘する、新入幕で西前頭14枚目の炎鵬(24=宮城野)が、この日も178キロと腰の重い同12枚目の矢後(24=尾車)を手玉に取り、上手ひねりで転がし5勝目(1敗)。幕内前半の土俵をわかせている。>(日刊スポーツのデジタル版より)

相手との体格が違いすぎるので、土俵に上がると子供に見えても仕方がないのだが、炎鵬の活躍は今場所の救いだ。初日から休場の横綱白鵬に続いて新大関貴景勝も五日目から休場となれば、もう「誰が優勝したって興味ねえや」と、好角家の多くが思ってしまいそうな今年の夏場所

しかし力士たちの新陳代謝は着実に進んでいて、昨日まで現役だと思っていたら今日は花道奥の椅子に座って、新米親方として警備の仕事に就いていたりする。体の重量化などによる大怪我も増え、往年の舞の海を彷彿とさせる軽業師・炎鵬が出てきた陰では宇良が消えてしまった(完全に消えてはいないが、復活には長い月日を要する)。

歳歳年年 人 同じからず。あゝ無常。