新解さんは、鳥肌が立つほどヤバイ

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新解さん新明解国語辞典)で「やばい」の項を読んでみよう。まずは2005年に発行された第六版から。

やばい 〔口頭〕〔もと、犯罪者や非行少年の社会での隠語〕㊀警察▵につかまりそうで(の手が回っていて)危険だ。㊁不結果を招きそうで、まずい。

続いて、2012年発行の第七版。よ~く読み比べてみよう。

やばい 〔もと、香具師や犯罪者仲間などの社会での隠語〕㊀違法なことをするなどして、警察の手が及ぶおそれのある状態だ。「そんな偽物を売ったらーぞ」㊁自分の身に好ましくない結果を招く様子だ。「今のままでは単位不足で卒業がやばくなる」〔㊀㊁とも口語的表現〕

七版からは「運用」という欄が新設された。「やばい」については、こう説明する。

<最近の若者の間では「こんなうまいものは初めて食った。やばいね」などと一種の感動詞のように使われる傾向がある。>

 確かに、最近の若いモンは男女を問わず、「すごい」も「すばらしい」も「やばい」で済ませている。女子高生が「わっヤバヤバ、めっちゃヤバイ!」と叫ぶので、何事かと思って振り向けば、歩きながら食べて(飲んで)いるタピオカとやらが極めて美味だという感想に過ぎない。治五郎みたいなジジイがキレそうになるのも当然だろう。

「鳥肌」に関連して、第七版の「運用」欄は次のように記す。

<慣用句「鳥肌が立つ」は、本来の寒さや恐ろしさでぞっとする意から転じて、「負けたと思っていた味方チームが九回裏に逆転満塁ホームランを打ったのを見て鳥肌が立った」などとひどく感激する意に用いることがある。規範的な立場からは容認されていない。>(下線は引用者)

規範的な立場の新解さんは、こんな風潮を決して容認していないのだ。偉い!

今どきの高齢者には誤解を与えるに違いないが、若いモンになら通じる言葉で新解さんを褒めるとすれば「鳥肌が立つほどヤバイ」となるだろう。

次の新解さん(第八版)は、いつ出るのだろう。改訂の周期からすれば「そろそろ」という頃合いではあり、三省堂筋によると「時期は明かせないが準備は進んでいる」らしい。その時までワシが生きているかどうか、他人事のようだが少し興味がある。

やむにやまれぬ野次馬根性

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やむにやまれず【止むに止まれず】どうしてもそうしないではいられない(で)。「止むに止まれぬ▵事情(提言)」

やじうま【野次馬・弥次馬】当人とは無関係の事件に、興味本位から見物に繰り出したり おもしろ半分に騒ぎたてたり する▵こと(人)。「―根性」

治五郎も若い頃は野次馬根性が盛んだったので、火事があると消防車の後について信号を無視しながら現場に一番乗りするようなことが多かった。(それがブンヤ魂だ、という無茶な社内教育のせいもある。後で消防署長から厳重抗議を受けたものだ)

あれから40年以上。今では「君子、危うきに近寄らず」という姿勢が身に着いたから、台風の晩に家から出るような愚行は決して犯さない自信がある。

しかしモンゴル人妻(モンゴルの人妻ではなく、モンゴル人である妻)は、そこまで達観できないのであろう。本格的な台風19号で荒川=写真=が暴れ始めたと知って、じっとしてはいられないらしい。

「荒川まで行ったりするなよ」「大丈夫、近くの隅田川を橋の上から見るだけ」

しばらく帰ってこないので心配になって外へ出たら、マンション(賃貸です)の前で風雨が吹きすさぶ往来を陶然として眺めている。

とうぜん【陶然】気持よく酔う様子だ。〔広義では、心を引き付けられて、うっとりとする意にも用いられる〕「酒にーとして酔う / 美しさにーとする」

モンゴル人にとっては大きな台風が珍しいということもあろうが、自然の脅威を体で感じてきた先祖のDNAがよみがえるのかもしれない。「遥かなる呼び声」だ。

避難所(尾久八幡中学校)へ行こうか行くまいかという、微妙な判断を迫られた今回の台風19号。「何よりも大切なのは、あなたと大切な人の命」と連呼する〝公共放送〟を見ながら、「誰でも死ぬ時は死ぬものだ」と説き続けてきたワシも、いろ~んなことを考えさせられた。

日本ーモンゴル戦を見るのがつらかった理由

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モンゴル人の妻は、日本に住んで久しい。サッカーW杯2次予選を見ていても「柴崎は出てる? なぜ久保を出さないの?」と、もう日本人の目になっている。

対して日本人の年老いた夫(治五郎)は、なんとなく「弱い敵」モンゴルを応援したい気持ちである。試合前、サッカーに詳しい横綱鶴竜は「モンゴルは、いくら頑張っても0-5で負ける」と予言していたそうだが、ほぼ的中した。(ちなみに白鵬は「私はもう日本人だから、日本を応援する」と断言した由。だから彼は母国で好かれない)

 モンゴルを応援すると言ったって個々の選手に関する情報は皆無に等しく、聞いたような名前の選手だらけなのに応援のしようがないまま、試合は終わった。

日本代表チームで10年ぶりに得点した長友が「喜び方を忘れていた」と言ったり、元横綱朝青龍が「サッカーの思い出」(休場中にモンゴルでサッカーを楽しんでいたのがバレた件)を語ったのが、面白いと言えば面白かったが・・・。

国際化の時代、国際試合の楽しみ方は難しくなってきている。と実感した。

 

哀しきかな「猪突猛進」と「横流し」

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この1週間、読売新聞を読んでいて(というか、眺めていて)「よく分からなくなってきました」の感が強い。

いつの間に、日本人は「ラグビー大好き民族」に変貌したのだろう。南洋の小国に勝てば1面トップ+スポーツ面+別面特集記事。試合の何日も前から大騒ぎだ。

治五郎は、月光仮面のように「憎むな、殺すな、許しましょう」主義なので、どんなスポーツにも等しく愛を注ぎたいと念じている者であり、ラグビーを憎んだりする気は毛頭ない。そこんところをよ~く理解してもらわないと、議論は先に進まない。

ある程度ルールなどが分かってくると、ラグビーも確かに面白い。が、ゲームを見ていて、ワシの衰えた脳裏に浮かぶ単語は次のようなものだ。

「押しのける」「ごり押し」「猪突猛進」「力ずく」「邪魔だ、どけどけ」。いちいち新解さんの定義は引用しないが、ワタクシがどうしても好きになれない諸概念である。

ルール上、許された(手による)パスの渡し方には「横流し」という言葉が浮かんだ。

横流し】配給品・統制品などを不正に転売すること。

いや、それとこれとでは意味が違うんだけどね。どうも、嫌な言葉を連想するんだ。

南半球の強豪国が、試合前に披露する「ハカ」などの儀式=写真=には「敵に対する敬意」も込められているそうで、ワシなどは「さすが先住民」と思ってしまいがちだが、ハカの本質は「力の誇示=強がり」だろう。好かんとよ。

アメリカとかイギリスとか具体名は挙げないが(挙げてるじゃねえか)、国際政治からも「猪突猛進」や「横流し」は消えてほしいものです。

力士は相撲のプロ、弁護士は入れ知恵のプロ

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治五郎親方の直感を言おうか。この勝負、貴ノ富士と弁護士=写真=に勝ち目はない。

あまりに出来の悪い付け人に業を煮やした十両・貴ノ富士(22)が、相手に差別的な言辞を吐き続けたうえ、カッとなって顔を殴った(2度目)というのが発端。ワシも見に出かけた稽古総見が終わった後の出来事だという。

 「自主的に引退した方がいい」と繰り返す千賀ノ浦部屋の親方(元小結・若三杉)に納得できず、弁護士を雇って日本相撲協会を敵に回した貴ノ富士の気持ちも分からんではないが、それは「世間知らず」というしかない。

世間知らず】実社会の事情に暗い▵こと(人)。世間見ず。

ちなみに「実社会」とは何かと言えば・・・(もう何度も書いてきたが)

実社会】実際の社会。〔美化・様式化されたものとは違って、複雑で、虚偽と欺瞞に満ち、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す〕

 最後の相談相手として親方や女将さんではなく弁護士を選んだというところに、この有望力士の哀しい定めがあると思う。

彼は中卒後、しつけの厳しい貴乃花部屋で育ったから、千賀ノ浦部屋に移ったら、挨拶も出来ない若い衆の存在が信じられなかったに違いない。〝角界ドラえもん〟こと千賀ノ浦親方にも責任の一半はある。

「なんとかして相撲を取り続けたい」と思う貴ノ富士は、親方や双子の弟・貴源治からも「引退した方がいい」と言われて追い詰められ、弁護士に泣きついたんだろうが、弁護士というのは「入れ知恵のプロ」であって、記者会見で必要以上の「代弁」をすると角界どころか、世間一般の共感が得られない。

 日頃の〝いじめ〟まで報じられ、それを認めざるを得なかった以上、今の世の中で生き残る目はない。貴ノ富士よ、人間は諦めが肝心だよ。

後生畏るべし

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こうせい【後生】自分のあとから▵生まれる(学ぶ)人。「―畏(オソ)るべし〔=将来どんな偉物(エラブツ)になるか分からないのだから、若いからと言って侮るわけにはいかない〕」

国連の「気象行動サミット」に参加したスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリという少女(16)=写真=の演説に、その感を強くした。

<全生態系は崩壊しつつあります。大量絶滅の始まりに私たちはいるんです。
  なのに、あなたがたは、お金の話、永遠に続く経済成長というおとぎ話しかしていない。ありえない!
  もう30年以上も、科学は明快に示してきました。なのに、あなたがたは目をそらし続け、ここに来て、ちゃんとやってるとか言えるなんて。ありえない!> 

 はばかりながら治五郎は約50年前から、だいたい同じことを感じてきた。グレタの演説は「私たち(未成年の若者)」と「あなたがた(首脳会議に出てくるような大人)」を対峙させすぎていて、少しエキセントリックな印象を受けるが、言っていることはマトモだ。

指弾された「あなたがた」が盛んに拍手する姿も不可解だ(「あなたがた」の中には日本の新環境大臣も含まれる)。トランプや彼の支持者、追随各国の首脳者と、グレタとのディベートをやらせたら面白いことになるだろう。

 <永遠に続く経済成長というおとぎ話>によって地球は滅びる! とはワシも(16歳の頃から)確信している。手塚治虫の初期の漫画で、主人公が「人類は将来、発達しすぎた科学文明によって滅びるのではないだろうか」という趣旨のセリフをつぶやく場面に出合った影響かもしれない。

その予言が的中するとして、しかしそれじゃ「後生」が救われないわなあ。

「得」をしたくないという「欲」

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それは矛盾している! と、マトモな人なら思うのではないだろうか。

【矛盾】二つのものが、論理的に整合しないこと。「―が解消される / ―に満ちた / ―を▵おかす(はらむ・あばき出す・来す) / ーした発言 / ー撞着・自己ー」

得と欲は、ワンセットで「欲得」というように、得をしたいのが欲であり、相反する概念ではない。

しかし治五郎は、昔から「得」をしたくないと望む人間だった。特に「労せずして(知恵や運で)金=写真=を稼ぐ」ということに対する嫌悪感が著しい。投資とか、株を買うとかいう行為は死んでもしたくないのだ。蕪なら大好きだが。(ちなみに、あの野菜は煮過ぎないこと)

かつて「バブル」と呼ばれる時代があったが当時、ワシは1円の得もしなかった。が、バブルの崩壊で損をしたという覚えもない。もともと欲がないのだ。(会社の金で、行きたくもなかったモンゴルという国へ初めて行けたことが、バブル時代の得と言えば得かな)

宝くじを買ったことがない。賭け事なんてアンタ、公営ギャンブルや賭けマージャンは愚か、パチンコさえ学生時代に1~2回行った程度だ。金がないという状態に慣れ親しんできた、と言えば言える。グルメという言葉が嫌いで「ご馳走=うまい物の妙諦は、一流店に出かけるより腹を減らしておくこと」と確信して久しい。

みょうてい【妙諦】そのものの存在理由として高く評価できるよさ。みょうたい。「政治のー(〔=神髄〕」

老後に備えた貯蓄などには考えが及ばず、離婚に際してどのくらいの出費を要するかといった実社会の〝損得勘定〟が出来ない男なので、他人の目には「治五郎は、ずいぶん損をしている!」と映るだろうが、それはワシの知ったことではない。

しかし、よ~く考えると「得をしたくない」という生き方もまた、見方を変えれば一種の「欲」に支配されていると言えるのではないか。これを「矛盾」と一蹴することはできないだろう。う~む、「欲」を超えることは難しい!

「大歩危小歩危の時代」は加速している

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 大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)? うーん、なんだか知ってる地名だぞ。行ったこともあるような気がする。いつ、何の用でだったか? はっきり思い出せない。

いわゆる認知症の初期から中期にかけて、こういう症状が現れる。

いろいろ調べてみると、徳島県の〝秘境〟祖谷(いや)渓を「旅」面の取材で訪れた時のことだった。「かづら橋」に絡めて何か書きたいことがあって、渡りたくない(怖い)吊り橋を渡ったついでに、少し離れた大歩危=写真=へも足を運んだのだと思う。

このように、出張をすると予定を延期してブラブラする癖が治五郎には昔からあった。当時は「社の経費で」と後ろ指を指されたようだが、あとで必ず何かの役には立つ。紙面にとってプラスだという自負があったから、いまだに後ろめたさは感じない。

 それはさておき「大ボケ小ボケの時代」である。 92歳の父親がいよいよ「大歩危」の境地に至って今週、地元の老人ホームに入所したそうなのだが、彼は配偶者=母(91)がいないと「自活能力なし」と判定され、夫婦で一緒に入所(別室)したという。

妹Bが入所手続きなどで奔走してくれたのだが、彼女は東京で働き盛りの勤務医・医学者だから相当に忙しい。両親の家はワシに言わせれば〝立派な屋敷〟だが、ほっとけば空き家になり廃屋になる。どうすれば保持できるか? 「あ、暇を持て余している『お兄ちゃん』がいる!」と、こういう話になるのは当然の成り行きというものだ。

ところが、長男であるワシ(治五郎)は2年半前、例の4・10事件で実家への出入り禁止を厳命された「勘当の身」なのである。どうにも身動きが取れないではないか。困り果てた妹Bからの電話にも、そう答えるしかなかったわけだ。

「ふーん、治五郎も意外に苦労が多いんだね」と人は言うかもしれないが、いえいえどうして、もっと大変な経験をした人をワシは幾らも知っている。事件を起こして「犯罪者」にならないまま今日に至っている高齢者は、ラッキーな部類なのではないか。

 父が「大歩危」ならワシゃ「小歩危」。とっくに進行がスタートしている。しかも、小歩危大歩危に追いつき、やがてはきっと追い越す。いつ、その時期が来るだろうか。( そろそろ来てるんじゃありませんか?)

政府が「人生100年」とか「一億総活躍」とか、聞こえのいい言葉を振り回しているうちに日本全国、津々浦々で「大歩危小歩危の時代」は着実かつ急速に進行している。80代の親と50代の子の間に生じる軋轢が社会問題になりつつあるようだが、90代の親と60代の子の場合は、そんな生易しい問題ではない。切実度が違うのだ。

その渦中にワシもいよいよ身を置くようになったのだ、と実感せざるを得ない。

というわけで、脳天気な当ブログも今後は大幅な〝間引き運転〟を余儀なくされそうな雲行きだ。めったに更新されなくなっても、読者諸賢はとされよ。

【脳天気】〔関東・中部方言〕常識はずれで、軽薄な▵様子(人)。=もと、「能天気・能転気」と書いた。

【諒】相手の事情が どんなであるかを分かること。「―とする〔=事情やむを得ないものとして受け入れる〕」

折も折、愛用のPC(パソ子)にも認知障害の兆しがあり、明日にも突然「私は誰?」状態になる虞なしとしない。修理に出したり新調したりするのは「面倒でたまらん。いっそキッパリ捨てる!」と、キレるのが小歩危世代の特徴なのだ。

そういう次第なので近々、ブログが更新されずじまいになる可能性が大いにありそうだけれど、それもまた諒としていただきたいのであります。

起承転結の結

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<10年前の〝生前葬〟が発端。この3年は毎月第一土曜の晩に「いちど会」と称する小宴を催してきた。参加者は性も年も職業もまちまちだ。「来る者は拒まず」主義だから、顔触れは固定していない。

 ≪出会いは絶景である≫とは俳人永田耕衣の言葉だが、その≪絶景≫に毎回、立ち会ってきた。さまざまな個性の持ち主が出会って広がるそれぞれの世界……記者冥利に尽きる。

 異動の季節。入社以来ずっと在籍した編集局から本日を最後に転出することになった。幸い今後も原稿を書き続けられそうなので寂しさはないが、31年の記者生活を振り返っていささかの感慨なしとしない。

 折り返し点にあたる16年前の4月、厳寒のモンゴル草原で出会い「一宿一飯の恩義」という日本語を思い出させてくれた老映画監督Cの顔が浮かぶ。くしくも最近、彼はすでに亡くなったと風の便りに聞いた。

 ーーありがとう、そしてさようならC監督。あれからの16年が、とても充実した歳月に思えます。(顕)>(2007年3月30日付)

          * * * * *

と、これで「日没閉門」を迎えるはずだったのだが・・・いったん編集局を去った2007年から定年退職する2013年までの間に、また幾つかの波乱があった。同年の帰郷から、2017年4月の「4・10事件」まで4年。

その後も含めると、ワシの「起承転結」にはエンドレスの気配がある。いつか本当の「結」を書きたいものだ。(叶うまい)

なに、もう大相撲秋場所の初日が始まった? 序の口の取組が始まる? そろそろ治五郎親方にも起きてほしい? 分かった、すぐ行く。

ボケは、このようにして始まることが多いもののようだ。

 

起承転結の転

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<〝生前葬〟をやろうと思い立った。1997年、44歳の時。前年の暮れに年賀状を書きながら、だれかれに「本年もよろしく」「今年こそ一献」と毎年、同じ文言を記している自分に嫌気が差したのだ。

 限りある人生。日々の仕事に追われてばかりいると再会したい人と会えずじまいになりかねない。過去の取材で気脈の通じた人、一度ゆっくり話したいと思う相手を招いて一夜、池袋の飲食店を借り切った。記者と親しいという共通項を除けば、参加者の大半は初対面同士だ。

 画家、会社員、大道芸人、写真家、川柳作家、医師、モンゴル人留学生、主婦、公務員……40人近い老若男女が集まった。だれとだれが何を話したかは知る由もないが、異様に盛り上がった。99年の三回忌、2003年の七回忌と不埒な〝法要〟も盛況で、参列者の幅が広がる。「十三回忌はいつ?」「6年後ね」「そんなに待てないぞ」

 人と人をリンクさせられる自分の職業に感謝しながら思った。「一体、この先どうなるんだ?」(顕)>(2007年3月29日付)

          * * * * *

写真は、池袋西口のダイニングバー「アジュール」の高木健一マスター(老けてないが近影らしい)。1982 ~83年、若き治五郎が池袋警察署の記者クラブを塒(ねぐら)にしていた頃は「軽食喫茶」で、他社の記者が変な動き(抜け駆け)をしていないかどうか互いに警戒しつつ、毎日のように呉越同舟でランチを食ったものだ。(いない奴、特にポケベルが鳴って中座した奴が怪しい)

 各社とも個性的というか少し変わった記者が多く、ワシと特にウマが合ったA新聞の八板(やいた)俊輔という記者などは、のちに早期退職して郷里の種子島(鹿児島県西之表市)に帰ったと聞いたが、いつの間にか西之表市長(現職)になっていた。

ワシが〝生前葬〟を決行した会場がこの「アジュール」で、97年当時は軽食喫茶からダイニングバーへの過渡期にあった。今は池袋で一、二を争う「オシャレな飲食店」として若者の間でも知られる存在になった(オイほんとか?)。

 「一体、この先どうなるんだ?」と12年前にワシが書き残した22年前の予感は、ほぼ的中する。人間にはそれぞれ、いろ~んなことが起こりうるのだ。