首を右へ30度、傾けて見る

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するとどういうことが起きるかというと、何事も起きない。

しかし、以下のようなことは誰にでも容易に想像できるであろう。すなわち、真上には「12」でなく「1」が来る。真下は「7」である。「3」の位置には「4」が、「9」の位置には「10」が来ることになる。

この数字を「~時」ではなく「~月」と読み替えるのである。すると8月中旬なら8月中旬で「今、自分は1年全体のどの辺にいるか」を目で理解できる。

治五郎の頭の中では昔から、この〝仮想文字盤〟が1年というものを視覚的に把握する方法であった。時計ならぬ「年計」とでも言おうか。これは「1年の計」を立てるべき元旦からスタートするのであるから、とても理にかなっていると言えると思う。 

時計の文字盤を(時計回りに、いや反時計回りになるか)30度傾けた「年計」が、いまだに開発・商品化されていない(らしい)のは不思議と言えば不思議である。

ワシがこの端倪すべからざる?着想を得たのは、東京・有楽町のガード下にある焼き鳥屋においてだった。ガード下という立地条件から狭い店は壁の片側が傾いていて、そこに座った客は首を右か左へ30度ほど傾けながら飲まなければならない。

よくしたもので、首を傾げると人間は物事を深く考える習性があるようだ。「年計」のような人類の知恵が生かされずにいるのは、もったいないことである。(鼻で笑うな)