買った傘は失くするが、拾った傘は無くならない

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ずいぶん古い話になるが、JR飯田橋駅に近い「警視庁遺失物センター」を訪ねたことがある。自分が何か落とし物をしたわけではなく、〝現代おとしもの事情〟みたいな記事を書くための取材である。

変わったところでは骨壺や位牌なんかが届けられることもあるそうだが、最も多いのが傘=写真=。何千本、何万本あるやら広い倉庫に収まり切らず、どんどん処分しないことには、あふれてしまうに決まっている。

当時、急速に普及しつつあった携帯電話も何百個、何千個と保管されていて、常に十数個の着信音が鳴ったりブルブル震えたりしている様子は壮観であった。

拾得物の保管期限は普通3か月だが、傘や衣類などは置ききれないから2週間で処分されるそうで、警察が手続きを踏んで売り払うのは構わない。よほどの高級傘や特別な記念品なら別だが普通、傘1本を受け取りに飯田橋まで行く人はいないだろう。

ところで、タイトルを読んで「確かに、言えてる」と思う人が多いはずだ。(「傘を拾うなんて貧乏臭いことはしたことがない」と言う人は、どっか行ってなさいね)

ワシが過去7年ほど愛用した傘は、8年前にどこかの居酒屋でもらったもの。急な雨で困っていると、店員が「返さなくて結構ですから」と貸して(捨てて)くれた。その後2~3本の新しい傘を買っては失くしたけれども、この傘だけは無くならない。

安っぽい紫色で何かの宣伝ロゴ入りで、やむなく使うたびに「どこかに置き忘れてくればいいや」と思うのだが、なぜか置き忘れずに持ち帰ってしまうのである。

これに似たような普遍性のある人生の局面が、何かあったような気がしてならない。ことわざにもありそうだが、う~ん、ピッタリ来るものが思い出せない。いっそ、新しいことわざとして申請登録すべきであろうか。(どこに申請するんだ)