あゝ上越国境(承前)

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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(川端康成「雪国」の冒頭)

この国境は「くにざかい」であって「こっきょう」と読んではいけない。なぜなら外国との境界ではなく、上野の国と越後の国との境目という意味なのだから。

な~んてね、治五郎も生意気盛りの頃はそんな理屈を主張していたような気がする。しかし、よく調べてみると川端自身は「どっちでもいい」と思っていたようだ。確かに上越国境=写真=を「じょうえつくにざかい」とは読まないだろう。

ワシには若い頃、上越国境を越えられなかったという、悔やんでも悔やみきれない思い出がある。1976年4月のことだった。

新聞社に入ると最初の1か月間、本社で研修を受ける。それが終わる頃「キミは、どこの支局に赴任したいか」と尋ねられたので「新潟あたりかな」と正直に答えた。

なにしろ「酒はうまいし、姉ちゃんはきれい」な土地柄だ。それは言わないでおいたのだが、数日後に発表された赴任先は「前橋支局」だった。これは会社が仕掛けた陰湿なワナであって、行きたい所へは行かせないという不文律があったのだ。

(前橋って、どこだっけ。群馬県? 栃木県?)と首を捻った。その日から、20代の貴重な6年間をワシは前橋で過ごすことを余儀なくされた。(前橋市に責任はない)

もしも、希望を聞かれた時に「群馬県」とでも答えていたら、新潟支局に着任していた可能性が大いにあったと思う(今となっては詮無い話)。

あゝ、上越国境! 長いトンネルを潜りながら、さまざまな思いが去来した。