物事には多様な側面がある

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「今日は何の日?」と5月5日に聞かれたら、普通は「こどもの日」「男の子の節句」=写真は鯉のぼり=と答えるだろう。5日早朝、そう聞かれたのでそう答えたが、相手が確認したがっている正解は違うらしい。「待てよ、誰かの誕生日だったかな?」

これも違って(違っているわけではないのだが)、求められている答えはなんと「燃えないゴミを出す日」なのだった。このように、物事は常に多面性を帯びている。

「雪が解けたら何になる?」と聞かれれば、大人は「水になる」と答えるのに対して、子供は「春になる」と答えるそうで、発想力の柔軟さにおいて大人は子供に敵わないということの実例として、よく引き合いに出される。

この場合、質問を「雪がー」ではなく「雪はー」で始めていたら、正解は「水」であって「春」は間違いということになる。助詞の「が」と「は」は、そこに大きな違いがある。(少し難しくなるが、大事なことなので日本語学習中の留学生諸君は留意せよ)

そもそも「-が」は格助詞だが、「-は」は副助詞に分類される。ワシは高校生の頃、この事実を知ってビックリ仰天した記憶がある。では格助詞と副助詞の違いは何かと言うと・・・ああ、面倒になってきた。(体だけでなく頭も疲れやすくなっているのだ)

若くて向学心の旺盛な留学生諸君は、面倒がらずに新明解国語辞典で「格助詞」と「副助詞」を比べてみて下さい。納得してスッキリできるか、それとも混乱して日本語が嫌いになるか、それは治五郎の知ったことではありません。あしからず。