四谷怪談ならぬ目白怪談

f:id:yanakaan:20180804214136j:plain ©不明(誰か教えて下さい)

暑い夏だから、ちょっと怖い話をしようか。

 「目白三平」こと中村武志という作家(1909~1992)=写真=を知る人は、もうあまりいないだろう。1950~60年代に、映画化もされたサラリーマン小説「目白三平」シリーズで一世を風靡した人である。(ペンネームは、目白に長く住んだことに由来)

国鉄(JRの前身です。こんなことまで説明が必要な時代になった)の職員を定年まで勤めたが、途中から作家として有名になり、二足のわらじを履き続けた。

 彼は若いころ内田百閒の文章に心酔し、強引に弟子入り。百閒の「阿房列車」シリーズでは迷惑な見送り人「見送亭夢袋(けんそうてい・むたい)」氏として登場する。

 初めて「埋草随筆」を自費出版した際には、百閒に無理やり序文を書いてもらったが、その序文は辛辣なものだった。「この人の文章は『面白がらせよう』と思って書いている。だから、面白くない」。百閒の圧勝である。

 治五郎が目白三平に取材したのは、晩年の1990年。中野区の通称「鍋屋横丁」の山小屋みたいな自宅にお邪魔した。横丁を散策して写真部員に撮影してもらったが、ジーパン(今はそう言わないの?)、ベレー帽、ブレスレット(腕輪)。そして凝った造形のステッキ(杖)。よく言えばオシャレだが、悪く言えばキザだ。

そんな印象をにおわせた記事を書いたんだが、本人は読んで気に入ったらしい。後日、改めて鍋屋横丁に招かれ、希少品となった「埋草随筆」をもらった。

訃報に接したのは、約2年後。目白のホテルで開かれた「お別れ会」に行ってみる気になったが、時間ぎりぎりで歩道が妙に混んでいる。

前から来た老人が、すれ違った後で「おーい」と振り返って右手を上げた、その手に、見覚えのある例のステッキがあった。呼び止めようとしたが、相手はもういない。

1分後の開会寸前、ホテルに着いた。会場のホール前に故人の遺品が並べてある。アッと思った。そこには紛れもなく、さっき見たステッキがあったのである。