イルカさんたち自身の気持ちはどうなのか?

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神奈川県で開かれたセーリングW杯の開会式会場で、イルカショー=写真=を披露したところ、海外の選手からネットに「不快だ」「ショックを受けた」という書き込みがあり、日本側が謝罪したそうだ。

治五郎などは「良かれと思って見せたのに、なんで謝るんだ?」という疑問と「余計な催しをしたもんだ」と呆れる思いとが相半ばする。主催者側の浅慮である。

ワシはイルカを食べたいとは思わないが(うまいだろうな)、鯨肉(特にベーコン)が大好物。しかし、イルカ・クジラ問題は世界を二分する一大テーマだ。

イルカやクジラの捕獲を憎む人々は、彼らの「高い知能」を拠り所にする。が、民族によっては猿や犬を平気で食う。(ワシは羊の脳みそが好きだが、猿のそれは食えない)

水族館で、イルカの飼育係(というか調教担当者)に取材したことがあるが、実に「幸せな職業」だと感じた。馴染んでくると、イルカとは〝会話〟が可能だという。

捕まえた動物にアメとムチで芸を仕込み、人間のための「見せ物」にする。それはイルカやアシカに限らず、サーカスの馬や熊、ゾウ、猿廻しのサルもいる。これらを一概に「動物虐待」と断じていいかどうかは難しい問題だ。

そんな見せ物を見て無邪気に楽しめる人もいれば、楽しめずに心が痛む人もいる。動物自身はどう感じているのか? 個体によって「生きる為に、泣く泣くやってます。宿命だから諦めてるけど」と言うイルカさんがいる一方では「ご心配なく。こっちも結構、楽しんでやってますから」と言うアシカ君もいるだろう。

当事者の意見を聞くことが大切だが、どうすれば意見が聞けるかという難題がある。こういう時こそ「第三者委員会」の出番なのだが、第三者はどこにいるのか?

こういうことを考え始めると、治五郎はまた夜も眠られなくなるのである。