テレビ局は声優を多用しすぎていないか
念のために言っておくが、治五郎は声優という職業が嫌いなのではない。まして、彼らの仕事を減らせなどと言う気は毛頭ない。
【声優】外国映画の吹替え・放送劇やアニメのアテレコなどに 声だけで出演する俳優。
往年の「巨人の星」や「刑事コロンボ」を語る場合、主人公の声を演じた声優の存在を抜きにはできまい。アニメ全盛の時代に、将来は声優になりたいと夢見る子供が多いことにも納得がいく。ワシが問題にしているのは、そういうことではない。
テレビのニュース番組その他で、声優(あるいはプロのナレーター)を使った〝印象操作〟が多すぎないか。
例えば外国で起きた事件について、その国の〝一般市民〟の感想を伝えるシーンがあるとしよう。いかにも「おしゃべり」で「お人よし」のお婆ちゃんが画面に登場する。すると、その人物にピッタリの「声」が必要になってくる。翻訳された原稿を棒読みしたのではダメなので、たっぷりと感情移入された声をTV局は欲するものだ。
ところが、普通の日本人の口調は外国人とは違う。「私はねえ、もうビックリしたんですよ。だってアナタ・・・」なんて言う老女の吹替えは、明らかに声優(ナレーター)が声色を使っている。日本で、こんな話し方をする人がいたら相当ヘンだろう。
あるいは日本国内の事件で、逮捕直前の容疑者にインタビューできた局が、声を加工して流す。いかにも後ろ暗いところがあるような声、となれば声優の出番である。
ワシが憤っているのは、ここなんだよ。
「まあ、ワタシが広い世界の中で誰よりも愛しているアナタったら。もう、お願いですから、そんなウソは言わなくていいのよ」って、なあにがワタシだアナタだ。そんなの日本語じゃないだろう(ドンドン!)
いかん、また血圧が異常値を示しそうだ。