それで「かのこ」を抱いたあとはどうしたかというと

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バスに乗って東武東上線成増駅まで行き、電車で1駅の下赤塚に降り立った。駅前の商店街=写真=に来たのは1年ぶりだ。

治五郎は2011年春、3・11東日本大震災の直前に現在の妻アルタンのアパートに転がり込み、13年春の退職・離婚・再婚・都落ちまで2年と少々、特に〝激動の4か月〟をこの街で過ごしたので、とても懐かしい。

当時たいへん世話になった「鳥茂」(居酒屋ではなく鶏肉等販売店)に顔を出すと、土曜日の夕方だから経営者のM男・K子夫婦も、息子の嫁さんも忙しそうだ。

人の迷惑も考えずに(いや、考えはしたのだが)、作業場に通されて焼き鳥と焼酎をいただく。ワシにとっては帝国ホテルのフルコースより舌に合っていて、旨い。

このような者にも孫が生まれたという報告をしたら皆、最初はポカンとしていたが事情を聞いて一応、納得したようだ。

人生いろいろ。笑って呑み込んでくれる人の存在は、ありがたい。