沖縄はモンゴルに似ている! という民俗学的発見

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「何を寝ぼけているんだ。沖縄=写真左=は四方八方、海だらけ。モンゴル=写真右=は面積が日本の4倍もあるのに海とは全く無縁。気候も人々の暮らしも180度違う。どこがどう似ているというのか?」と、首をひねる人が多いだろう。しかし!

治五郎はモンゴルにはまって以来、なぜか南の島々を訪れる機会が激増した(自分で用を拵えて出張するわけだが)。米軍がのさばっている沖縄本島よりも、八重山諸島が中心である。石垣島西表島波照間島竹富島久米島・・・ずいぶん行った。

人気(じんき)が妙にモンゴルと似ていることに気づき、考察を続けること1~2年。あるとき忽然として悟った。「海=草原」「舟=馬」だったのだ。

ここからどのような合意・信仰が形成されるかというと、水平線(地平線)の彼方からやって来る未知の人間を「敵」ではなく「神」だと感じる穏やかで平和な心根だ。折口信夫の言う「まれびと=まろうど」(来訪神)にほかならない。

だから知らない人が訪ねてくると、とりあえず最大限のもてなしをする。モンゴルでは一家の何十日分もの食糧である羊を一頭、殺して供されたりすると恐縮してしまうが、こっちはなにしろ「神」なのである。(ずいぶん俗物的な神がいたもんだが)

時間の感覚もソックリで、待ち合わせの時刻に1時間や2時間遅れるのは遅刻のうちに入らない。(もっとも地球規模で考えれば、これはウチナンチュ=沖縄人=を除く日本人の感覚の方が特殊で異常だと言えるかもしれない)

 宴会の道具立てなども共通点が多い。沖縄の蒸留酒泡盛」に相当するものが、モンゴルでは「アルヒ」と呼ばれる。アルコ-ル度は(いろいろあるが)平均40度。早く確実に酔えるが翌朝はスッキリしていて、治五郎の体質には最も合っている。

10人なら10人が集まって飲む時に「どうしても三味線を聴きたい」という日本人は今どき珍しいと思われるが、沖縄ではどうしても「三線(蛇皮線)」が必要だし、モンゴルでは「モリンホール(馬頭琴)」がないと物足りない。

ウチナンチュの〝主食〝は穀物ではなく豚、モンゴル人のそれは羊と目される。耳から爪先、尻尾に至るまで無駄にしない(できない)ところも同じだ。

こうして列挙するだに「ただ事ではない」と痛感される。だれかキチンとした民俗学者文化人類学者が、この問題を体系的に解明してくれないものだろうか。