葬式と墓のことなら、この人に聞け!

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小谷みどりさん=写真=。第一生命経済研究所の主任研究員である。

初めて取材で知り合ったのは、治五郎が「生前葬」という名の酔狂な宴会を催して間もない頃だから、かれこれ20年前ということになる。

岩波書店から「変わるお葬式、消えるお墓」という本を出していて、当時は「若いのに変わった女性がいるもんだ」と思ったが、こっちもかなり変わっているからかミョ~に波長が合い、何年かに1度は会って飲むようになった。

彼女の研究テーマには、ワシが見込んだ通りの先見性があった(自慢してる)。今や、この問題では右に出る者がなく(左に出る者も)、テレビ出演や講演で多忙な身だ。

最近、岩波新書「<ひとり死>時代のお葬式とお墓」を出版し、ワシにも1冊送ってくれたので、さっそく拝読した。う~む、20年の間に現代日本はこういうことになってきているのか! と目から鱗が落ちるような情報が詰まっている。

どういうものか、ワシの知り合いには40代、50代で未婚・非婚の女性が多い(30代も60代も)。彼女らにとって、これは必読の1冊となるだろう。

「ひとり死」という言葉も、大変よろしい。「孤独死」には救いがないが、誰しも死ぬ時は一人なのであるから、「ひとり死」には〝明るい諦観〟とでも言うべき味がある。いずれは定着して新明解国語辞典にも載るようになるのではないだろうか。

みどりちゃん(とワシゃ呼んどる)は超多忙なので土曜も日曜もないのではないかと心配されるが、ご本人からは「10月のサンド会に参加希望」と連絡があった。そこの旦那もオバチャンも、定評のある講演内容をタダで聞けるチャンスでっせ。

ご近所の顔なじみ(大半は仮名ですが)

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荒川区西尾久に住んでまだ4か月とはいえ、しょっちゅう顔を合わせる人たちがいる。(どれも架空の人物ではなく実在するが、氏名・年齢はテキトーだと思いたまえ)

 

・伊藤アンジェリカさん(♀、35歳)フィリピン人。北隣のマンション住民。長い髪とホットパンツ姿が印象的で、いつも颯爽とした感じで歩いている。小学3年生の息子がいるが、夫らしい人を見かけたことはない。何か事情があるのかも。

・山田恭一さん(♂、40歳)歯科医。ワシのグラグラになった歯を4本抜いて、入れ歯にしてくれた。眼鏡とマスクを外した素顔は見たことがないが、温厚な性格。「この糸切り歯だけは残した方がいい。なぜかと言えば・・・」と、説明も丁寧。

・石井彰一さん(♂、42歳)これは実名。荒川郵便局の郵便配達員。誰にでも気さくに声を掛ける明るい人柄で、町内のことには極めて詳しいのではないかと思われる。近頃は人員削減の影響で配達区域が徐々に広がっているから結構、大変らしい。

・石郷岡豊一郎さん(♂、84歳)南隣のマンション住民。帽子にマスク、半ズボンという格好で毎日3~4時間、マンションの前に腰かけてボーッと往来を眺めている。どこかの施設の送迎車が来る日もあるが、家族が同居している様子はなく少し心配だ。

・ワン・カオシェンさん(♂、27歳)中国人。歩40秒の距離にあるコンビニ=写真=のアルバイト店員。ワシがタバコを買って、金だけ払って品物を受け取らずに店を出てきた時は「オ客サーン!」と、横断歩道を走って追いかけてきてくれた。謝々!

・ダムディンジャブ・アルタンツェツェグさん(♀、●歳=本人の抗議により年齢は削除)モンゴル人。これも実名で、通称はアルタン。オットいけねえ、これは顔見知りどころかワシの妻だ。アルバイト以外の時間は、日本文学の翻訳(訳書3冊)とフェイスブックに熱中している。

 

こうして並べると、西尾久界隈も急速にグローバル化が進んでいることが実感される。

「ハレンチ男」の出現率に関する一考察

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もう誰も見たくはないのに毎日毎日、国民がテレビのニュースで見なければならないのが、官公庁や大企業トップの「謝罪会見」=写真=である。

「一切の責任は、私ひとりにあります。もう今夜中に首を吊って死にますから」という人など、もちろん一人もいない。腹の中では(話をしたこともない部下という名の馬鹿のために、なんで俺がマスコミの前で頭を下げ、全国に頭頂部のハゲ具合までさらさなきゃならんのか?)と憤っているに違いない。(悔しそうな顔を見れば分かる)

「同じ過ちを2度と繰り返さないよう・・・」というのが常套句で、まあ、そう言っておくのが最も無難だろうが、同じ過ちが繰り返されなかった例があるだろうか?

彼らは、帰宅したら家族に何と言うんだろう。「どうだ、パパの会見はカッコよかったか?」と言うのは本物のバカで、優秀な子供の顔を見て(お前、明日からは学校でイジメに遭うだろうなあ)と恐れ戦くのが、まともな父親なのではないかと思う。

写真のお父さんたちの場合、部下が何の罪を犯したかというと(空想だが)殺人などではなく、いわゆる破廉恥罪(痴漢や盗撮の類)。どうも、この種の犯罪者の「出現率」は教育環境うんぬんの問題では片付けられないような気がする。

一般企業といわず自営業といわず、どんな職業にも必ず「変なオジサン」は一定の割合で出現する。教師、警察官、検事、医師、弁護士、マスコミ関係。それを裁く立場にある判事だって例外ではない。これは「難病」みたいなもので、何千人かに一人はどうしても〝発症〟するものなんじゃあるまいか。

他人事だと思ってちゃいけないよ、そこのオッサン。人間だれしも「魔が差す」ということがあるし、ワシなんかも実は記憶をなくしているだけで、間違ったことは何もしていないと言い切る自信はない。あらま、どうしましょ(尾木ママ風)。

 

 

 

 

もう金輪際、死ぬまで車の運転は致しません

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心配しないで下さい。死亡事故を起こしたり、酒酔い運転で逮捕されたりしたわけではありません。

治五郎が普通運転免許を取得したのは1977年、24歳の時のことである。少年の頃から運動神経の鈍さを自覚していて、運転なんか全然したくなかったのだが、新聞社の地方支局では運転が出来なきゃ仕事にならない。

最初に乗ったのはホンダのシビック=写真。型式も色も=。それからの5年間、車庫入れの失敗などで車体はデコボコになったが、なんとか無事故無違反で通した。東京本社に異動すると同時に車を手放し、全く運転することはなくなった。

いや、1度だけ福井県在住の旧友を訪ね三国港の寿司屋で飲んだ際、タクシーで旧友宅に戻ったため翌朝、彼が運転する小型トラックで三国まで乗用車の回収に行ったことがある。今度はワシが小型トラックを運転することになり、田舎の農道を走りながら「ワシは何をしてるんだろう」と不思議な気分になったことがある。(福井へは取材で出張したことになっているので、農道でトラックを運転していてはアレなのだ)

運転はしなくなっても身分証明書として長年、免許証の更新だけは続けてきた。もちろん、永遠の〝優良ドライバー〟である。「運転歴40年」となった今では、もう道路交通法なんてほとんど覚えてないし、アクセルとブレーキの踏み間違いなどは赤子の手をひねるより簡単だろう。さすがに免許証そのものを捨てる気になった。

今年5月上旬、荒川区民になって間もなく尾久警察署(徒歩3分)に出頭し、免許証を「運転経歴証明書」に替えてもらう手続きをした。ワシは実年齢より老けて見えるようで、同年輩の話し好きな交通課職員(たぶん嘱託)も「64歳で免許証返納とは今どき、ずいぶん早い方ですね」などとは言わない。「振り込め詐欺みたいな電話はかかってきませんか? 気をつけてね」と、適正な高齢者扱いをしてくれる。

発行された運転経歴証明書を受け取りに行ったら、今度は30前後の女性警官が「これまでは事故を起こさないように気をつけてきたでしょう。これからは、事故に遭わないように気をつけて下さいね」と言って、何か細長い記念品をくれた。

部屋に帰って見たら、腕に巻くタイプの蛍光塗料バンドである。なるほど夜中に徘徊しても、後ろから来た車に轢かれる危険は軽減する。

そこまで耄碌しとらんわい! と怒る年寄りもいるだろうが、治五郎は(普段は)穏やかな性格なので、ありがたい気持ちでいただいた。

ただし今のところ、夜中に徘徊したい気分になることがないので、活用の機会には恵まれない。(そもそも徘徊する前に「あ、蛍光塗料バンドを巻いて出なきゃ」と気が付くようだと、まだまだ「徘徊」の資格はないと言えよう)

 

 

1に良寛、2に西行、3・4がなくて5に賢治

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【あやかる】理想的状態にある人と何らかのかかわりを持って、自分もそうなりたいと思う。(新明解国語辞典

この新解さんの定義に従えば、治五郎は上記の3人に「あやかりたい」と願う者である。時代が違いすぎるので、どなたとも面識はないが(当然です)、彼らの共通点は欲を捨てた(あるいは、もともと持ってない)ことだと言えるだろう。

ワシも30前後で2子が幼かったころは人並みに欲もあり、ローンを組んで確か4LDKの分譲マンションを購入したりしたものだ。しかし次第に社会や家庭と己とのギャップを感じるようになり、ひとたび「富」よりも「貧」に味わいを見いだすようになると、あらゆることに価値観の逆転が生じる。

大より小、広より狭、高より低、長より短、明より暗、有より無・・・。

よりによって、そんな38歳の春にモンゴルを知ったもんだから、もうアカン(愛知方言でダチカン、岡山弁でオエン、青森県津軽地方でマイネ、同県南部地方ではワガンネと言う)。

自分が死んだら葬式は無用、という宣言のつもりで「生前葬」を挙行したのが44歳の時。ほどなく東京・谷中でアパートの1室を借り(第1次谷中時代と第2次谷中時代がある)、できるだけ「断つ・捨てる・離れる」を心掛ける生活に入った。

とはいえ仕事まで捨てたわけではなく、遊ぶ金はなくても会社の金で「旅の取材」という大義名分の下、行きたいところへ出張できる結構な立場が続いた。(昇進・出世をしたくないタイプだと社内で認定されれば、こういう道も開けるようだ)

ええ、そりゃもう随分いろんな所へ行きましたよ。新潟・国上山にある良寛の五合庵=写真=をはじめ、奈良・吉野山西行庵、宮沢賢治の岩手・花巻・・・。

ワシは5か月ほど前から、荒川区の外れにある賃貸1DKで雨風をしのぐ毎日だが、五合庵や西行庵に比べると何の不便も感じていない。贅沢なくらいだ。

良寛西行に詳しい作家や評論家、学者の著書には多くのことを教えてもらったし、自宅をお訪ねしたこともある。どうも、皆さん概して立派な屋敷に住んでますね(掃除だけでも大変そう)。な~んか違うんだよなあ、と感じてしまう治五郎である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院の廊下で、なぜか耳によみがえる80年代の1曲

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糖尿病の治療で2か月ぶりに病院へ。数値がよくなっているはずはないと思うんだが、腕は確からしい担当医がアッサリ「特に問題はない」と言う。たぶん、もっと大変な患者がたくさんいるからワシごときは物の数に入らないんだろう。

2時からの診察を前に採血や検査もあるので1時前に行ったが、診察が終わったのは3時半。これは、しかし日本の病院にあって「待たされた」とは言えない。

治五郎が何を言おうとしているかは、タイトルと写真を見れば分かりますね?

〽私 待つわ いつまでも 待つわ たとえあなたが 振り向いてくれなくても・・・

あみん=写真=が歌って大ヒットした「待つわ」である。どちらかと言えば好きな曲だ(報われない小娘の恋心を歌っていて、全体に暗いから)。そんな歌、聞いたことがないという若者はアイスカフェラテ、ずっと上の世代は抹茶でも飲んでて下さい。

ただただ待つしかないのが病院の廊下。たとえ、医師や看護士が振り向いてくれなくても「待つ」以外のことはできない。キレる〝暴走老人〟を見かけないのが不思議だ。

大震災に遭遇しても暴動を起こすどころか、整然と列に並ぶ日本人の姿に海外のメディアが驚いたと聞くけれども、それを自分の目で確かめたければ、ガブリエルさんもシュナイダー君も(誰だ?)日本の病院の廊下へ行ってみましょう。

 

 

「新」は必ず「古」になり、いずれは消える

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羽田孜さんが82歳だかで亡くなった。別に好きでも嫌いでもなかった人物だが、半袖スーツの「省エネ」スタイルに何の違和感も覚えなかった、と言えば噓になる。しかし今はそういう話をしようとしているのではない。

新自由クラブとか新生党=写真=とか「新」の付く政党が、ヨドミに浮かぶウタカタの如く生まれては消える歴史を繰り返してきた。かつては連日、新聞の1面に登場したのに今は「そんな党、あったっけ?」と、投票した人でさえ忘れているだろう。

結党以来1世紀近く、頑固に元の党名を変えないでいるのは、地下に潜るしかない(モグラみたいに穴を掘ったわけではない)時代も経験した日本共産党だけだ。

「新」が時間を経て必ず「古」になるのは、畳でも女房でも同じ道理。大人なら、そのくらいの分別はつくはずなのに、新しい政党は張り切っているからか浮かれているからか「新」の字を使いたがる。

よく飲食店の店先に「新メニュー始めました!」などと書いた張り紙があって、何年前に書いたものやら、すっかり変色してボロボロになっているのを見かけますね。「新」を伴うネーミングはあの哀しい光景によく似ているような気がする。

最近は、また新しい政党が出現しそうな雲行きだ。それが「新〇〇党」や「〇〇新党」になるか、ならないか。(治五郎としては、どっちでもいい話だが)

 

 

 

 

 

 

鳴かないホトトギスをどうするかという問題

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織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス

徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

 

古くから、3人の天下人の性格や政治戦略を表す言葉として人口に膾炙する言葉である。治五郎は子供のころ、3人がそれぞれの時代にアンケートかインタビューに答えたんだろうかと思っていたが、むろんそんなはずはない。

江戸の茶人(川柳作家や戯作者)あたりが、宴席の余興で悪乗りして作ったのではないかと思われる。しかし3者3様、どれもが「いかにも言いそう」なので、今でも強い説得力を持っているわけだ。

けれどもホトトギス=写真=の鳴き声なんてアンタ、「テッペンカケタカ」だろうが「特許許可局」だろうが(確かにそう聞こえるが)、どうしても聞きたくなるようなものだろうか。

だいたい信長も秀吉も家康も、ワシゃ大っ嫌い。平安末期~鎌倉初期の平家や源氏の武将たちと違い、ただの権力亡者であって「もののあわれ」を知らない。それは古代・中世より現代の政治家の方に近いような気がするんだが、どんなものでしょうか。

「鳴かぬなら・・・」のお題を与えられたら、ワシはこう答えたい。

治五郎「鳴かぬなら鳴かんでよろしいホトトギス

これじゃ天下が取れるわけがないが、天下取りなんてそんな面倒なことは夢想だにしたことのない治五郎である。そしてフツーの日本人は古来、こういう姿勢で花鳥風月=自然というものに接してきた。「やはり野に置けレンゲ草」と言うではないか。

治五郎も、たまには内容のある話をする。(自分で言っちゃうところがアレだが)

自分の写っている写真を持ってない!

 

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元新聞記者だから、自分で何かを撮った写真が(下手ながら)新聞の紙面に載ったことは何百回となくある。ところが今春、「あおもり草子」という隔月刊の地域雑誌から寄稿を頼まれた際「自分が写った現役時代の写真」を所望された。

探してみたのだが、これが見事なほど残っていない。40代で事実上の一人暮らしを始め、その後3回も4回も転居したから残ってないのも当然なのだが、自分の葬式で遺影として使えそうなものすらない(ま、葬式はやる気がないから構わないんだが)。

そこで元同僚の青木久雄カメラマン(今も現役)に「なんとかならないか」と頼み込んで、やっと見つけてもらったのが、この1枚=写真=だ。当時38歳の治五郎が、変な格好でモンゴルの少年にサッカーの手ほどき(足ほどき)をしている。

これは1991年=平成3年の4月、初めて訪れたモンゴルの小さな村で遭難・凍死しそうなところを、助けてもらった忘れられない旅の産物である。

厳寒の草原を走ること(足ではなく車で)2日半、ガソリン切れと同時にたどり着いたホテル(といっても平屋建てで定員10人そこそこ)が満員で、「もはやこれまで」と覚悟したら、先客が1部屋を譲ってくれた。映画のロケ隊だという。

翌朝、モンゴルの小津安二郎みたいな監督に丁重な礼を言ったら、不思議そうな顔をして何か言うので、通訳に聞くと「この国では『困った時はお互い様』が当たり前なんだが」と言っている由。ワシゃ痺れましたね。モンゴル狂いは、これが発端だった。

写真の少年ガンバヤルは子役で、その姉のアディルツェツェグというのが健康美そのものみたいな新人女優。(あゝ、写真を見せられないのが残念!) これもワシがモンゴルにハマった一因と言えないことはない、こともなくない。

風の便りによれば、モンゴルの小津安二郎(ソムフーという名監督)は惜しまれながら亡くなったそうだが、アディルツェツェグはどうしているだろう。生きていれば(そりゃ生きてるだろう)40代後半かな? ガンバヤルだって、いいオヤジになっているに違いない。ダヒンオールズマールバイナー!(また会いたいなあ、と言うとる)

 

 

 

 

 

 

 

メジャーよりマイナー 明より暗(続き)

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では応用問題。北島三郎=写真=が歌った次の3曲を、治五郎が好きだと思われる順番に並べ替えなさい。(誰にも答える義務はありません、当たり前ですが)

風雪ながれ旅 ②与作 ③まつり

正解は、並べ替える必要なし。この順番でよろしい。

①は、津軽三味線高橋竹山をモデルに「ボサマ」と呼ばれた門付け芸人の過酷な旅を歌っていて、すすり泣きしたくなるから「〇」。

②は、明とも暗とも判別しかねるので「△」(ヘイヘイホーは、喜んでいるのか悲しんでいるのかよく分からない。どちらでもなさそう)

③は、ノリノリでめっちゃ明るいから、それだけで「✖」。

治五郎は「みんな違って、みんないい」という広い心の持ち主のはずなんだが、歌の好みになると途端に狭量になる。美空ひばりの歌にしても「みだれ髪」が〇、「愛燦々」は△、「柔」は✖である。

苦手な歌は、いくらでもある。共通点は、明るくて元気で前向きな曲。たとえ敬愛する星野哲郎先生の作詞でも、水前寺清子三百六十五歩のマーチ」あ、それダメ。それやめて。坂本九幸せなら手をたたこう」 あッ、九ちゃん勘弁して。中村美律子河内おとこ節」ヒーッ、ご無体な。それだけは堪忍どっせ。

どうしてこうなったのか、ワシには一向に説明できんのじゃ。