「笑点」をめぐるアンビバレンス

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【アンビバレンス】〔ambivalence〕 同一の対象に対して作用する全く相反する感情の併存と、両者の間の激しい揺れ。例、父親に対する愛と憎しみなど。

 この番組が半世紀を超す人気番組になっている理由を、治五郎なりに考察してみた。

まず、歴代の出演者(座布団運び以外は落語家)のキャラが立っている。ある人は、弁が立つが腹黒い性格で友達がいない。ある人は女風呂が好きで、放置自転車や自販機の下を狙う癖がある。また一人は頭の中が空っぽで、まずい味で有名なラーメンを売っている。司会者はといえば、還暦近いのに未婚でお城マニアだ。

彼らがそれをネタに互いをいじり合うもんだから、後楽園ホールでの収録(無料)を見に行った善男善女(大半は若くない)は素直に笑い、喜んでいる。視聴者たるワシは若くもないし素直(?)だから、大相撲の中継がある時を除けば見る。面白いと思う。日本人は、おしなべて「約束事」が好きなのだ。

しかしワシは経歴が少しアレなので、後楽園ホールのお客さんほど素直にはなれない。人気番組には必ず「裏」がある、と疑ってかかる性癖を培われてきたのだ。

大喜利で爆笑を誘う名答・珍答の陰には、誰か〝作者〟がいるのではないか? こう言えば必ず受けるというストーリーがありはしないか? そうだとすれば、ワシが憎むところのNHK「のど自慢」に匹敵する「予定調和」と同罪の世界だ。

「とんでもない! 違いますよ」と言ってくるなら、証拠を添えて言ってきたまえ、日テレの担当スタッフ諸君。(何を急に偉そうに)

 

 

射幸心ゼロのギャンブル・アレルギー

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今年の有馬記念は大方の予想通り、キタサンブラック武豊騎手)=写真=が逃げ切って制し、有終の美を飾った。馬主の北島三郎が感涙にむせんだのも結構、いい光景だった。「なに、治五郎は競馬もやるのか。知らなかった」ですって?

やりませんよ。競馬場へ行ったこともないし、馬券を買った経験すらない。テレビ観戦は好きになってきたが、そんなド素人が競馬を語るな! という叱責は、ごもっとも。

「賭け事」というものに対して、ワシは異常なまでのアレルギーがあるのですね。勝ちたくない、金を儲けたくない。運に恵まれて勝ったり儲かったりするのが、嫌で嫌でたまらない。パチンコでさえ過去に3度やったかどうか。宝くじを買うなんて、そんなこと滅相もない! こういう人は変でしょうか? (変です)

男の道楽をよく「飲む・打つ・買う」と言うけれど、ワシの場合は昔から「飲む」に一極集中させてきた感がある。「打つ」や「買う」にまで手を広げると、酒の味が明らかに落ちるような気がするのだ。どの馬が勝ったっていいや、というのが本音。

それはそれとしてキタサンブラックは良かった。サブちゃん、おめでとう。

スポーツ界とヒエラルキー

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その昔、「カメラのドイ」のCMにこんなのがあった。ジャイアンツの内野手土井正三=写真左の背番号6=が「ドイはカメラの王です!」と言おうとするのだが、王といえば王貞治=同背番号1=なので、後輩の土井としては呼び捨てに出来ない。なにしろ相手は「世界のホームラン王」である。

それで「ドイはカメラの王…さんです」と、どうしても敬称をつけてしまう。ほほえましいような情けないような、不思議な味わいのあるCMだった。

 

ヒエラルキー】〔ヨーロッパ中世封建社会などの〕ピラミッド型の階級組織。ヒエラルヒー

理事長を頂点とする日本相撲協会ヒエラルキーは、プロ野球など他のスポーツとは比べ物にならない。しかも、同じ親方衆=写真右=と言っても現役時代の実力・成績は、さまざま。1度でも優勝経験がある人は少なく、三役まで行ったならまだしも平幕の下位で終わった人もいる。元「大横綱」とでは「格」が違いすぎるのだ。

日馬富士事件は、発覚から数十日で角界再編の様相を呈してきた。中心にいるのは元大横綱貴乃花部屋の〝プッツン親方〟だ。何か信念を持って改革に取り組もうとしているらしく、最近は全く口を開かないから真意は分からないけれども、支持したり追随したりする親方が予想以上に多いらしい。今週の動きから目が離せない。

なんだか保守政党の派閥抗争みたいでもあるし、反社会的勢力の跡目争いを連想させられるようでもある。

もともと「行く末は理事長になろう」と思って入門する力士はいない。相撲だけが好きで「勉強や会議は苦手」な子供たちだったのだ。それが、眉間にシワを寄せて協会運営に従事させられることになろうとは誰が想像しただろう。

組織に向かない人間が組織を率いなければならない。親方衆の苦しい胸の内、お察し申し上げます。

 

 

 

        

 

あゝ上越国境(承前)

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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(川端康成「雪国」の冒頭)

この国境は「くにざかい」であって「こっきょう」と読んではいけない。なぜなら外国との境界ではなく、上野の国と越後の国との境目という意味なのだから。

な~んてね、治五郎も生意気盛りの頃はそんな理屈を主張していたような気がする。しかし、よく調べてみると川端自身は「どっちでもいい」と思っていたようだ。確かに上越国境=写真=を「じょうえつくにざかい」とは読まないだろう。

ワシには若い頃、上越国境を越えられなかったという、悔やんでも悔やみきれない思い出がある。1976年4月のことだった。

新聞社に入ると最初の1か月間、本社で研修を受ける。それが終わる頃「キミは、どこの支局に赴任したいか」と尋ねられたので「新潟あたりかな」と正直に答えた。

なにしろ「酒はうまいし、姉ちゃんはきれい」な土地柄だ。それは言わないでおいたのだが、数日後に発表された赴任先は「前橋支局」だった。これは会社が仕掛けた陰湿なワナであって、行きたい所へは行かせないという不文律があったのだ。

(前橋って、どこだっけ。群馬県? 栃木県?)と首を捻った。その日から、20代の貴重な6年間をワシは前橋で過ごすことを余儀なくされた。(前橋市に責任はない)

もしも、希望を聞かれた時に「群馬県」とでも答えていたら、新潟支局に着任していた可能性が大いにあったと思う(今となっては詮無い話)。

あゝ、上越国境! 長いトンネルを潜りながら、さまざまな思いが去来した。

 

 

 

 

人妻と二人で湯沢温泉へ行った

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「治五郎が? 本当に? そ、そりゃしかしマズイんじゃないか?」

まあまあ、そう興奮せずに落ち着いて話を聞きなさい。

例の旅行雑誌が「昭和の鉄道旅」みたいなテーマで特集を組むことになって、Fという新編集長が川端康成の「雪国」をネタにして書いてくれ、と治五郎に言ってきた。文化部時代の後輩ではあるし、むげに断るわけにもいかない。

冬至の明け方、まだ外が暗いうちに出掛けた。上越新幹線に乗れるのは高崎までで、そこから先は上越線の各駅停車。水上で乗り換えなければならない。(こんな旅をする人は今どき、マニアックな〝乗り鉄〟や〝撮り鉄〟しかいない)

相棒として指定されたのが、Mという女性フリーカメラマン(年齢不詳)だ。既婚者らしいから「人妻」には違いない。

駅に近い民俗資料館「雪国館」を経て、川端が「雪国」を書いたことで有名な旅館に入る。「あ、この人はカメラマンです。写真を撮ったらすぐ帰りますから」と支配人に伝える。(何のやましさもないのに、なんでワシが卑屈な感じになるんだろう)

Mさんは仕事に厳しいタイプらしく、モデル兼務のワシにテキパキと指示をする。「浴衣に着替えたら、そこに座って下さい。そっちじゃなく、こっち。目線は、カメラではなく向こうの山の方をボーッと見る感じ。はい、そのままジッとしていて下さい」

昼飯も食わずに「温泉街の写真を撮って帰ります」と、14時前に慌ただしく去った。

残ったワシの方は女将の話でも聞く以外、寝るまで何もすることがない。駅で買っておいた地酒(紙パック入り)で独酌するしかないだろう。

この宿には「ミニシアター」があって毎晩、8時から上映する。むろん、いかがわしいフイルムなどではなく豊田四郎監督の「雪国」(1957年、東宝)=写真=だ。若かりし岸恵子八千草薫池部良らの名演に見入った。(つゞく)

 

「ローソンストア100」に対する複雑な感情

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「ローソン」という社名を聞くと、治五郎の脳内で点滅する2文字があった。

「労損」

苦労の労に損失の損である。なんという命名の仕方だろう。まるで「骨折り損のくたびれもうけ」を圧縮したような熟語ではないか。(熟してないから熟語とは言わない)

<1939年、米国オハイオ州にJ・J・ローソン氏が牛乳販売店を営んでいました。このお店は「ローソンさんの牛乳屋さん」として新鮮でおいしい牛乳が地域の評判を呼び、毎朝たくさんのお客様が牛乳を買いにやって来るようになりました。>

昔話のような語り口でローソンの歴史を紹介しているのは、同社のホームページ。あ、Lawsonという名の人物に由来するのね。(冷静に考えれば当たり前だ)

都内あちこちにある「ローソンストア100」=写真左=はコンビニ・スーパー・100円均一ショップを兼ねたような商業施設だが、貧しい庶民にとっては貴重な存在だ。

ワシが愛してやまず、ために体重が増えて困っている「大きなツインシュー(ホイップ&カスタード)」=写真右=も、各種インスタントラーメンも生うどん(3食入り)も一律100円(税込108円)。多機能の鋏や電卓、調理用タイマーなども同額だ。

「安物買いの銭失い」というから長持ちする品ではあるまいと思ったが、いまだに後悔させられた経験はない。どういう流通ルートを開拓したのか、よくは知らないけれども商品の質に全く問題はない。(あとは不祥事を起こさないように祈るのみ)

 

 ただ、しかし。

こういう便利な店が繁盛する一方で、個人経営の商店は激減し続けている。魚屋も八百屋も酒屋も、今では珍しくなった。店先での立ち話を1日の楽しみにしていたオバサンたちは、レジでの長話は禁物だから顔色が良くないように見える。

町内に2~3軒あった「牛乳屋さん」なんか一体、どこへ行ってしまったのだ? オハイオ州のJ・J・ローソン氏は、さぞかし草葉の陰で泣いておろう。

などとブツクサ言いながら、治五郎は今宵もサンダルを突っかけてローソンストア100に向かうのでありました。 

地蔵寺の鐘に諸行無常の響きありや

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治五郎も最近は「地元の老人」らしい雰囲気が身についてきたので、たまに道を尋ねられる。いつものようにサンダル履きでペタペタ、フラフラと往来を歩いていたら、喪服姿のお爺さん(同年輩)に呼び止められた。「この辺にお寺はありませんか?」

「どのお寺だろう。この辺は寺が多いんですよ。宝蔵院、華蔵院、大林院・・・」「なんといったかな。ちょっと待って下さいよ(ガサゴソ)・・・あ、地蔵寺だ」「それだと、ちょっと来すぎたね。あのコンビニの前まで戻って、信号を左折すれば50メートルです」「ご親切にどうも」「なんもだ?(北海道風)」

てなもんである。ちょっとした街歩きガイドなら務まりそうだ。

地蔵寺は、江戸・宝暦年間に建立された真言宗の寺。本堂である八角堂=写真左=は、なかなか優美な姿で風情もあるのだが、惜しむらくは隣接する鉄筋コンクリート3階建ての寺務所・会館が興ざめだ。その屋上には鐘楼=写真右=が乗っかっている。

この鐘が機械仕掛けで、朝の6時と夕方の6時に時を告げる。約30秒おきに6回ずつ鳴るのだが、人力ではなく機械で衝かれていることを知らなければ「ゴォ~ン・・・」と結構、味わいがある(知っちゃったから、ダメ)。

しばらく鳴らない時期があって、一部住民の「騒音だ」というクレームに屈したのかと思ったが故障だったらしく、そのうち復活した。機械でも、鳴らないよりはいい。

 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり(平家物語

七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽と響くなり(曾根崎心中)

日馬富士の暴行事件に多くの相撲人が巻き込まれ、破滅や凋落を繰り広げる有様は、さながら歴史物語や浄瑠璃のようである。そんなニュースに接しながら地蔵寺の鐘の音を聞いていると、そぞろに「諸行無常」「寂滅為楽」の感慨が胸に迫るのであった。

(それにしても、「あの鐘を鳴らすのはあなた」と特定すべき生身の人間が存在しない現実は寂しい)

 

 

老いるということ

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好きだなあ、こういう絵。どこか(例えば都電の三ノ輪橋駅あたり)で実際に見かけた二人連れなのだろうか、それとも作者の心象風景なのだろうか。

特に右の人物の背中と、左の人物の脚がいい。左の人は車に注意しているらしいが、右の人には何も見えていない。端倪すべからざるデッサン力だ。(と治五郎は思う)

中島みゆきが1980年代前半に歌った「傾斜」の詞と曲が耳に蘇えるようだ。

〽悲しい記憶の数ばかり
 飽和の量より増えたなら
 忘れるよりほかないじゃありませんか

中島みゆきといえば「アザミ譲のララバイ」でデビューした当時、1歳下のワシが最も注目したシンガーソングライターだが、人気が出るにつれて熱が冷める性分なのでコンサートなどに行ったことはないし、取材で会おうと思えば会えたのだが敬して遠ざけてきた。NHKの朝ドラの主題歌を歌うようになると、もう興味ナッシングだ。

1歳違いなんだから、ワシがジジイなら彼女だってババアのはずなんだが、世論は納得しないだろう。少し不公平ではないか? と治五郎は憤懣やるかたないのである。

 

本は天下の回り物

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半年以上も住めば、治五郎庵を訪れる変人も実数で十数人(延べだと数十人)になんなんとしている。(この部屋には何かが足りない)と感じる人が多いようだ。

当ててみましょう。それは「本棚」ではありませんか? (写真はどこかの古本屋)

(変だなあ。治五郎という人は大読書家というほどではなくても、いろんな本をそこそこ読んできた人のようにお見受けしたんだが・・・)

うん、それはね。ワシも昔は小さな古本屋を開けるくらいの書物は所有しておったんじゃよ。しかし後半生は転居に次ぐ転居という境遇に相成り、モノを保有することに煩わしさを感じるようになって、いわゆる「断・捨・離」を早めに励行してきた。その結果、今は台所の食器棚の下方に手放し切れなかった本が少々残っている程度だ。

作家・井上ひさし(1934~2010)が郷里の山形県川西町に建てた「遅筆堂文庫」に行くと、寄贈された22万点だかの蔵書や資料が並んでいて頭がクラクラする。

「子供より古書が大事と思いたい」という本を書いた仏文学者の鹿島茂は、稼げども稼げども古本(特に稀覯本)代に消えてしまうのを嘆いて(実は喜んで)いた。蔵書家というものは、度を超して病膏肓に入ると手に負えないようである。

【金は天下の回り物】金は常に流通するもので、今たくさん持つ者もやがては失い、今少しも持たぬ者もいつ手にするようになるか分からない、という教え。

本もまた、天下の回り物ではないだろうか(急に増えることはありえないが)。墓場まで持っていける物は何もないのであるから、なるべく減らしておく方が利口だろう。

 

 

「プッツン」という言葉はどこへ消えたのか

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 【ふっつり】それまで続いてきた状態▵がそこで急に途絶える(を以後絶つことにする)様子。「ー顔をみせなくなった/酒をーやめた」

【ぷっつり】㊀「ぷつり」の強調表現。さらに強調して「ぶっつり」とも。㊁「ふっつり」の強調表現。「ー消息が絶えた」

【ぷつり】張られた状態のひも・ロープなどが急に切れる様子。「ー(と)糸が切れる」

【ぷつん】「ぷつり」の口頭語的表現。「糸がーと切れた/連絡がーと絶たれた」〔強調形は「ぷっつん」〕

 

やっと出てきた。新解さんも見出し語としては載せていない「ぷっつん」。1986年の流行語大賞に選ばれ、ゆかりの有名人としては片岡鶴太郎=写真左=や石原真理子=写真中=らがいる。

この二人に共通するのは、類まれな才能や容貌に恵まれながら、どこかに〝危うさ〟が感じられる点であろう。文学者では太宰治寺山修司が、近いと言えば近い。一歩間違えば、何をやらかすか分からないのである。

流行語の「プッツン」がフッツリと聞かれなくなって寂しい思いをしていた治五郎の前に、〝期待の星〟が現れた。さよう、貴乃花親方=写真右=に他ならない。

「相撲道」に入る前から慣れ親しんできたはずのマスコミに見せる最近の表情は、プッツンを絵に描いて見せているようで、見事というしかない。彼は今週以降、どうなってしまうのだろうか?

かてて加えて「白鵬問題」もある。

【糅てて加えて】すでに挙げた事柄だけでもかなりなものなのに、その上さらに(程度のはなはだしい)別の事柄が加わる様子。〔多く、よくない事が続いて起こる場合に用いられる〕「年金の支給額が減らされたと思ったら ー 税金まで払わされる始末だ」

 苦労人ですよね、新解さんは。治五郎も最近、やっと分かって参りました。

【苦労】困難な条件下で何かをやろうとして▵肉体的(精神的)に多くの労力を費やすこと。

【苦労人】多くの苦労を経験し、世の中の事や人情に通じている人。

 

新明解国語辞典は、調べるものではなく読むものである。読んで泣くものである。