花粉症を嗤う者は花粉症に泣く

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 治五郎は、地球規模で考えても「花粉症の先駆者」を自任する者である。まだ原因も治療法も確立していなかった1960年(7歳)前後から、桜の咲く季節には1~2か月にわたって七転八倒の苦しみを味わったものだ。

それが30代ごろになると、何の治療をしたわけでもないのに自然に症状がなくなった。周囲では逆に患者が急速に増えだした時代である。「50で初体験? ちっちっち、遅いね」てなもんで、愚かしい優越感に浸った時期もある。(浅ましいことだ)

天罰が下ったのだろう。今年の春は様子がおかしい。昔のいじめっ子に再会したようなもんで嫌~な懐かしさを感じる。数日の間にも症状は進行し、花粉症歴では初心者に属する妻の指導を仰いだが、目薬やマスクだけでは問題が解決しなくなった。

先覚者としては屈辱的だが、やむなく飲み薬(服用は毎朝、食後に1錠)=写真左=を分けてもらい、それでも足りずに点鼻液=写真右=を借りるまでになった。(これは下半身に挿入するものではなく、蓋を外して中身を鼻の穴に噴霧するものである)

しかし「人間は弱いものだ」ということを、こうして死ぬ前に実地教育してもらえるのは貴重な体験だ、とワシは感謝している。(たかが花粉症で、と思ってはいけない)

 

 

5年ぶりの谷中と有為転変

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治五郎の放浪遍歴(記憶が正しければだが)。

1999年~2007年 台東区谷中3丁目

2007年~2011年 台東区谷中7丁目

2011年~2013年 板橋区赤塚2丁目

2013年~2017年 青森県弘前市桔梗野2丁目

2017年~現在  荒川区西尾久3丁目

転勤があったわけでもないのに、普通だと生活が安定するはずの40代後半以降、これだけ住まいを転々とした男を私は知らない。「何があったのか?」と大雑把な質問をされても困る。一度に答えられるわけがないだろう。(どの引っ越しにも、のっぴきならない急を要する事情があったことには間違いないのだが)

【退っ引きならない】どうしても動きが取れない。どうしてもやらなければならない。「-用事」

一見して分かるように、通算12年に及ぶ「谷中時代」が長い。谷中墓地の花見なら短い「赤塚時代」にも出かけたが、それから数えても5年ぶりの谷中へ、今日は出かけてみた。花が盛りを過ぎたとはいえ、日曜の午後とあって「谷中銀座」=写真=界隈の賑わいは当時以上。観光客の群れに「今日は何の祭りだ?」と目を疑うほどだ。

猫グッズや小物を売る店が倍増した半面、昔なじみの飲食店が跡形もなく消えていたりして有為転変の実感がそぞろ身に染みるのである。

うい【有為】〔仏教で〕因縁によって生じたこの世の一切の現象。「-転変〔=この世の物事は移り変り・浮き沈みが激しくて、恒常的なものは一つも無いという仏教の考え方〕」

ワシの谷中時代は、狭い部屋に客人が多く(何か商いをしていたわけではない)、延べではなく実数で100人近い人々が来たり泊まっていったりしたものだが、時間の経過を考えれば、すでに亡くなったり夜逃げして消息不明になったりした人が少なくないのも当然だ。色即是空諸行無常。合掌!

 

 

淀川さんと満月

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はい、淀川長治さんですね。皆さん覚えてますか? えっ、もう忘れた? 仕方ないかもしれませんね。人は誰でも、死ねば忘れられるものなんです。

ほんの数年前のように思っていたが、指折り数えれば20年も前になる。映画評論家の淀川長治さん(1909~1998)=写真=が亡くなる前年に取材する機会があった。

都心のホテルの34階に住んでいる。生涯独身で、あらぬ噂を聞いたりしたこともあるワシは「気に入ったりしちゃヤーよ」的な脅えが無かったと言えば嘘になる。

「日曜日なのに、ごめんなさいね。奥さん怒ってませんか?」(喜んでます)

この時のインタビューは(自分で言っちゃダメなんだが)なかなか中身が濃くて、ヨドチョーさんならではの言葉を幾つも引き出せた。

「生きるということは、死が前提なんです。死ぬから生きてるの」

「僕は結婚しないでずっと一人で生きてきたけど、それは孤独が好きなわけじゃなくて、一人の方が楽だから。隣に人がいるとうるさいと感じる一方で、もし嫁さんをもらったら相手を好いてしまう性格だから、どこへ行くのにも一緒に連れていくと思う。世間や他人よりも自分の家庭が大事になってくる。そういうのが、僕は嫌なの」

「僕、実は神様を信じてないのね。でも長生きしたら『生きていること』のありがたさが分かってきた。空を見て『なんて綺麗なんだろう』と思う。太陽。雲。星。満月がすごいし、三日月もいい。神様がくれた最高のプレゼントとしか思えない」

「一生懸命に働いて苦労続きとしか見えない人は、晩年が充実してる。逆に、何の不自由もなく豊かそうな一生を送った人は、意外に最後が不幸なのね。帳尻が合う。数学が極端に苦手だった僕は、それで中学時代に自殺しかけたこともあるくらいだけど、人生って案外、算数みたいなもんかもしれないね」

治五郎の人生観は、この人に限りなく近いような気がする。今宵は綺麗な満月である。

 

 

懐かしき大塚

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「治五郎さんは夫婦円満で結構なことですね」

「ふむ、キミにはそう見えるかね。結婚なんちゅうイビツな制度に、人類の明るい未来があるとキミは本当にそう思うかね」

自慢するわけではないが、ワシは5か月に1度ぐらい(微妙な周期だ)夫婦喧嘩をして「家出」することがある。「ちょっと死んでくらあ」という感じで、どうせ1日か2日で戻ることになるのだが、携帯(ガラケー)などは置いたままプッツリと消息を絶つので、配偶者はそこそこ気を揉むらしい。

昨日またそれをやったのだが、都電で行った先は「大塚」だった(らしい)。ワシが18~19の頃は、大学を受験するのにも四通八達だった都電=写真=を使ったものだ。

四十数年ぶりに訪れたら、もちろん昔の旅館など影も形もなく、風俗関係の店やカプセルホテルの乱立が目立つ。(どこに泊ったかって? 余計なお世話です)

朝の喫茶店で時間を潰した。お爺ちゃんが二人、久しぶりに会っている。「あ~、熊本ラーメンね。あれはニンニクが多くて俺はダメだ」。どうでもいいんだけど。

トランプさんが嫌っているらしい有色人種の女性が二人、隣に座った。黙々とスマホを操っていたかと思えば、スペイン語(らしい)で何か短い会話を交わす。

若いサラリーマンが二人、仕事を抜け出して人生相談を始めたりもする。ずっと聞いていたいが、こっちもそう暇ではない。(実は暇です。と~っても暇なんですっ!)

さっき「プッツリ」と書いて思い出したが、プッツン親方・貴乃花に処断が下された。厳しいと言えば厳しいが、温情をも感じさせる内容だ。

【温情】下の者に対する、立場の上の人の情け深い心。いつくしみ。

日本相撲協会八角理事長という人は、あれでなかなかの政治家じゃのう。

恐ろしい男に会った話

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「昨日、花見に行く前に100円ローソンでレジャーシートを買った話はしましたっけ?」

「税込108円というやつか」

「あ、それですそれです。午前9時台のことだったと思います」

こういう店でレジャーシートを売っていないはずはない、と隅々まで探していたら、あった! 1・8メートル四方で、3~4人の花見には最適だ。

そこに変な男がいた。年の頃は40前後か。少し酔っているのではないかと思う。ワシは習近平があまり好きではないが、国籍で人を差別するタイプではない。が、この人は、あの大国から来ているのではないかと推定された。

「あなた、朝から酔ってませんか?」

(えっ?)

昨夜も少しは飲んだが、もう10時間以上「素面」である。この男は何を根拠に「朝から酔ってる」と言うのだろう。

酔っ払いの中国人に耳を貸す必要はないのかもしれないが、ワシは聞いてしまうタチなのですね。耳元で、彼はささやくように言った。

「もう1本、チューハイを飲みたいんでしょう。それで奥さんに叱られるんでしょう」

何だったんだ、あの男は? ゲーテの「ファウスト」に出てくるメフィスト=写真=みたいなもんか? 

 

 

昨日の今日の飛鳥山

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 飛鳥山公園(北区)の桜=写真左=が満開だというので、珍しく外出した。本当は何人か集めて白昼の宴会を企んでいたのだが、平日だから一般勤労者は忙しい。隠居夫婦と加藤画伯で都電「王子駅前」に集合し、東武ストアでビールなどを買い込んだ。

上野公園などに比べると人は少なく、早くも散り始めた花の風情は申し分ない。朝に100円ローソンで見つけたレジャー・シート(税込み108円)を敷いて宴を催した。

東京で1番目か2番目に低いという飛鳥山は、江戸時代から桜の名所で有名だったそうだが、当時の桜はソメイヨシノではないので、ずいぶん地味なムードだったのではないかと思う。落語「長屋の花見」なども、実際の光景は現代と違っていただろう。

周りを見渡すと、一人で本を読んでいる青年もいればホームレスと間違われそうな老人もいる。会話が聞こえるわけではないが、外国人が多い。(確認できた国は中国とブラジル。そういえば、わがグループだって3分の1がモンゴルだ)

よく分からない関係のカップルもいる。ワシらだって紅一点がトイレに行けば、60代の男と50代の男が二人並んで桜を見ている図になるので、少し不穏な感じではある。

王子駅から〝山頂〟まで無料のモノレール=写真右=が運行されていて、カタツムリに形が似ているというので(似てるかな)、通称はエスカルゴならぬ「アスカルゴ」。飛鳥を掛けたのだろう。いかにも日本人らしいチョコザイな命名だ。

【猪口才】〔「ちょこ」は擬態語。ちょっとした才能しか持っていない意で、侮蔑を含意する〕「こなまいき」の口語的表現。

ワシは侮蔑を含意していない。その証拠に、乗って山を下りた。2分足らずだが快適な旅であった。

「ある意味」の本当の意味

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例えば「この官僚は、ある意味では政治の犠牲になった」という言い方がある。しかし治五郎がここで取り上げようとしているのは、森友問題や証人喚問の話ではない。従って佐川宣寿氏=写真=は一応、無関係。単にコトバの問題なのである。

「ある意味では・・・」という言い回しが耳に付くようになったのは、ワシの記憶が正しければ昭和50年代の前半、すなわち1970年代後半のことである。治五郎の記憶が正しかったためしがあるか? と言われそうなので、傍証を挙げよう。

その当時、Y新聞社のM支局では毎晩、ほろ酔い機嫌で外出から戻った元名物記者のS支局長が、居合わせた若い記者を応接セットに集め、酒の続きをやりながら「ブンヤ魂」について説教をするのが習わしだった。迷惑といえば迷惑なんだが、彼の体験談が面白いし筋は通っているから、ワシなどには結構、楽しめた。

ある晩、何の話題だったか忘れたが、2年先輩が自分の考えを聞かれて答える中で「ある意味では・・・」を2度、口にした。ワシにとっては耳障りだ。3度目の「ある意味では」に、S親分がキレた。「ある意味って、どの意味だ。ハッキリ言え!」

「ある意味」の「ある」は、「有る」や「在る」ではなく「或」であろう。

【或】特定▵できない(するに及ばない)物事を指して言う語。「-時-ところに/-程度の自由/-条件のもとで/-人・-日」

「アンタを含む一般大衆より少しレベルの高い話を、ワタシは今からするんだよ」というニュアンス。要するに「ある意味では」は、「もったいをつける」「もったいぶる」ための〝前置詞〟なのである。

【勿体】〔「勿」は無い意、「体」は正体の意〕実質はさほどでないのに、ちょっと見には内容のあるものを秘めているかのように見せかけること。「-をつける〔=何か重要な▵事柄(価値)が有るらしいふりをして見せる〕」

【ー振る】(必要以上に)重おもしそうにする。

ここに於いて「ある意味では」の哀れむべき本性が、白日の下にさらされたと言っていいのではないだろうか。

しかし「ある意味では」は、いつの間にか市民権を得て「ある意味」に短縮され、今ではインタビューに応じるスポーツ選手も〝街の人〟も普通に口にする。(「ある意味、嬉しいかも」って、ナンダソレハ)

「ある意味って、どの意味だ!」と、ワシは掴みかかりたくなるのですよ。(この感覚は、ある意味ヤバイのか)

治五郎親方の大相撲春場所総評

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 「荒れる春場所」には程遠い、つまらない15日間だった。本命も大穴も不在の競馬レースみたいなもんだ。

休んでばかりの横綱二人がまた休み、ワシが近い将来の「咲勝(しょうしょう)時代」到来を早々と予見した阿武咲は全休、貴景勝も途中休場。終盤の優勝争いはモンゴル、ブラジル、ジョージア勢に絞られ、「日本人はいないの?」感が強かった。

優勝した鶴竜は、なんとか〝一人横綱〟の面目を保ったものの、相撲内容は全く褒められない。彼に限らず、今場所は「はたき込み」「突き落とし」「とったり」など苦し紛れの決まり手が目立ち、興趣をそいだ。

治五郎が憂さ晴らしによく見たのは、AbemaTVのインターネット放送。毎朝、序の口からの全取組を生中継するのは画期的だ。受信料という名の税金を取り立てて左うちわ状態のNHKも、今後は安閑としていられなくなるだろう。

序の口デビューした納谷(大鵬の孫にして貴闘力の息子=7戦全勝で優勝)と、朝青龍の甥の豊昇龍(6勝1敗)の素質は、ずば抜けている。この二人は楽しみだ。

AbemaTVは相撲の初心者をもバカにしない姿勢なので、行司や呼出の個性、懸賞金の仕組みや力士の日常などもよく分かるように出来ている。

「むふふ、越後屋、おぬしもワルよのう」の悪代官に見える三役格行司・木村玉治郎=写真左=は、外見と違って「いい人」らしい。立ち合いの瞬間が近づくと、左腕が(自分の意志ではなく見えない糸で引き上げられるように)ゆ~っくりと持ち上がる。

幕内格行司の木村晃之助=写真右=は、立ち合う力士にしっかり手をつかせることに極めて厳しい。「手をついて」「手を、ついて!」「手・を・つ・い・て‼」てな調子だから、気の弱い力士は委縮するのではないかと心配になる。

相撲界というのは一般社会に比べ、あまりにも時代遅れで特異な環境に置かれている。だからいろいろな事件も頻発するわけだが、よくよく観察すると、汲めども尽きぬ感興をそそるのである。

貧乏話は人を朗らかにする

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「治五郎はんは苦労人には見えまへんな。貧乏したこと、おまへんやろ」

「そりゃアンタみたいに夜逃げしたり、娘を女郎屋に売ったりした経験はないよ」

「人聞きの悪いこと言わんといてや。第一『女郎屋』て古すぎまへんか?」

「それはそうとアンタ、なんで夜逃げしたんだっけ。20年前は北の新地あたりでずいぶん羽振りが良かったじゃないか」

「そこでんねん。ま、聞いとくんなはれ。8年前の夏やったかな・・・」

この大阪商人の苦労話を聞くと疲れるから早々に別れたが、彼が口にした「貧乏体験」なら治五郎にもある。田舎からの仕送りに頼っていた19歳の頃の話だ。

いつもの銭湯に行こうとしたら、金がない。部屋中の小銭をかき集めたら48円あったので、喜んで10分少々の車道沿いにを歩く。赤い手拭いをマフラーにして歩けば、小さな石鹸がカタカタ鳴った。丸っきり名曲「神田川」の世界なのである。

ところが銭湯に着くと「本日より料金改定」の貼り紙が出ている。48円が55円に値上がりしたのだ。それが1973年(昭和48年)6月のことだったと分かるのは、「戦後値段史年表」(朝日文庫)という本のお陰。

年の功を積んだ現在であれば、番台=写真=のオヤジに「つけといて」と言えば済む話だが、なにしろ世間知らずの19歳。7円が足りなかったばかりに10分以上かけて、いま来た道を空しく引き返した。途中で冷たい雨が降り出したのを覚えている。

このように「私にも非常に貧乏な時代があった」と語る時、人はなぜか明るい気持ちになる。今の貧乏も別に苦ではないと感じられるようになるのだ。「そだね~」と、分かってくれる人も少なくないのではないだろうか。

 

 

大根について考える

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今夜は「風呂吹き大根」にしようと思い、買ってきた(いや買ってきてもらった)大根を輪切りにして皮をむいているところだ。(この料理は時間がかかる)

【風呂吹き】太いダイコンや大きなカブを厚く輪切りにして柔らかくゆで、ねりみそをかけた料理。

なぜ「風呂」が登場するのかは、いま一つ分からない。

【風呂】㊀入ってからだを洗う湯(をわかす湯ぶね)。㊁「ふろ場・ふろ屋」の略。㊂漆器を入れてかわかす箱。

やはりピンと来ない。なぜ「風呂」+「吹き」なのか。新解さんには次の版で、この疑問をスッキリと解決してほしい。

それはさておき、大根の皮をむきながら思い出した言葉に「大根足」がある=写真は、誰のものか存じ上げないが治五郎がイメージする正統版=。ワシが中高生だった頃は、女の子が10人いれば3~4人は大根足だった。大地を踏みしめ、やがては母親になるという〝命の輝き〟を感じたものだ。

それが、今はどうだろう。ヒョロヒョロしたモヤシみたいな脚でないと、アイドルになんかなれない。お笑い芸人にならなれるかもしれないが、バレリーナフィギュアスケートの選手には絶対、なれない。不条理ではないか。(ドン!)

「大根役者」という言葉もあった。

〔芝居が〕へたな▵こと(人)。「-役者」

大根は、そんなにダメなのか? 大根足と大根役者が減ってきたことに、ワシは日本社会全体の衰えを強く感じるのだが間違いだろうか。(間違いかもしれん)