めったに外出しないと、人はどうなるか

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ご高齢の先輩諸氏には、お見通しだろう。まず、毎朝いちいち着替えをする必要性を感じなくなります。「ま、いいか今日1日ぐらい」の1日が3日になり5日になるのは、当然の成り行きでありましょう。髭剃りしかり、入浴しかり。このようにして「じじむさい」という状況が生まれる。

【じじむさい】将来に希望をいだけるような点が全くと言ってよいほど感じられず、いかにも年を取りすぎたと思われる様子だ。「還暦を迎えたばかりなのに、ひどくーことを言う」

(勝手に下線を付したが、こういうところが「新解さん」の真価。他の辞書には真似ができないと思う)

季節が移って、衣類のタンスを開けると驚くことがある。「あれ? こんな半袖シャツあったっけ? 今年は一度も着なかった。ま、別に気に入っているわけじゃないから、いいけど。箱にしまっといてよ。来年、生きていたら着るかもしれない」

そのタンスの上に、1年前のものらしい〝ミニ鏡餅〟=写真=が置いてあるのに気づいた。治五郎はそういうものを正月と関連付けて購入する気が全然ないし、そもそも有料の品とも思えないから恐らく、何かの景品だろう。

 「2018年と印刷された紙だけ捨てれば、今度の正月も置いとけるね。それじゃバチが当たるかな」(バチが当たる、などという日本的な発想と表現を学んだのは異人妻が成長した証か)「その程度でバチは当たらないだろう」

<ご注意>お餅は必ず過熱してお召し上がり下さい。橙はプラスチック製で食べられません。(賞味期限/2018.6.30 製造者/越後製菓株式会社D)

越後製菓は米どころの新潟県長岡市にあるそうだが、最後のDは何だろうDは? 気になる!(年を取ると、人は大局が見えなくなる代わりに細部を凝視するものらしい)

 向後何年、このミニ鏡餅はタンスの上に置かれ続けるのであろうか。

風邪を引かなくなって50年

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 はい、心配と言えば、そのことなのでございます。よく「馬鹿は風邪を引かない」と申すではありませんか。中3から高1にかけて一度、高熱で何日か寝込んだことがありますが、その後は風邪の症状を一度も経験しておりません。

やはり私はバカなのでしょうか? (ここで一斉にうなずいてほしくはない)

他人様が熱や咳で苦しんでいるのを見ると「ああ、気の毒に。風邪だよ、それは」と同情するのだが、逆の立場で心配されたことはない。ウオッカ(それを知らない頃はウイスキー)を2~3杯、かっ食らって寝れば翌朝はケロリ。そういう半世紀だった。

 「65歳からの肺炎予防」というCMが注目を集めている。「あのナヨナヨした声を聞いただけで、私は肺炎になりそうなんですが」というネットの声もある。

これこれ、キミキミ。彼は坂東玉三郎(1950~)と言って、歌舞伎界では女形の第一人者なんだから、ナヨナヨした感じは職業病というか〝勲章〟なんだよ。

【なよなよ】自らを支える力も無さそうに見えるほど頼りない感じがする様子。「―とした若い男/ーとしなう水草

彼は65歳から肺炎予防に取り組んでいるそうだが、風邪も引けない65歳の治五郎は肺炎になどなれるだろうか。(これも心配と言えば心配なのでございます)

うまく散れなくなった日本人

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 「最近は相撲の話ばかりで面白くない」というブログ読者が多いのは承知しているが、治五郎は別に読者を増やそうと思って書いているわけではない。

【ブログ】〔blog←web+log〕個人が日記形式で書き込むウェブサイト。開設者は身辺の出来事や、その感想を記したりし、閲覧者はそれにコメントを記すことができる。

初日から4連敗した横綱稀勢の里が、とうとう休場を表明した。実は初日の相撲で右膝だかに怪我をしていたそうで、また同情が集まっている。

「治五郎親方は外国人力士に甘く、日本人力士には厳しい」という風評を耳にすることがあるけれども、そうだろうか。何場所も休場した白鵬が、久々に出てくればアッサリ全勝優勝する。そこんところが違う。横綱とは、そういうものだったのだ。

ちなみに、稀勢の里の4敗目は行司の差し違えだった(誰が見ても、あれは栃煌山の勝ちだ)。前日には呼出が力士の名前を間違え、栃ノ心を「とちおうざん」と二度も呼んでしまうハプニングがあった。日本人は、そろそろダメなのかも。

スポーツ選手のコメント今昔

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何を聞いても「オッス(ウッス)」としか答えられない。それが半世紀前のスポーツ選手というもの(今はアスリートと呼ばれている)だった。

 例えば、高校野球の地方大会。攻守とも絶好調で、あと1、2勝すれば甲子園へ行けるというチームの選手に、新米記者がインタビューする。「今の試合の勝因は?」「オッス」「最後の球はフォークだった?」「ウッス」

こいつはバカか? と思ってしまったものだが、そのバカがプロ野球選手になって相当な活躍を見せ、引退後は監督も務め、今は立派な解説者。(誰とは言わない)

相撲の場合は、もっとひどい。オッスだけでは記事にならないから、何か言わせようとする。「左(下手)を取ろうとしたが、うまくいかなかった?」「オッス」「それで気持ちを変えて右から突いた?」「ウッス」

紙面では、こうなる。「左の下手を取ろうとしたんですが、うまくいかなかったので右の突き押しに出たら、それがうまくいきました」。この力士も、今では日本相撲協会の幹部に名を連ねている(誰とは言わない)。取材した先輩記者の苦労が偲ばれる。

現在ではどうか。取り組み前の支度部屋で「今日の作戦ですか? まず左下手を取りたい。それがダメなら、右の突き押しでしょうか」「えっ、得意なカラオケですか? いくつもあるけど、評判がいいのは『昔の名前で出ています』かな」

時代は移ったのだ。しゃべれないスポーツ選手はダメ。テニスの松岡修造=写真=あたりが境目だったろうか。現役を終えたら、どこで何をしているやら音沙汰なしという往年のスター選手が、最近は無性に懐かしい。

(ところで3連敗の横綱稀勢の里はどうなった? 休場理由は見つかったかな?)  

うらやむべし「ご当所力士」

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大相撲の九州場所が、はや三日目を迎えた。毎年のことだが、一年収めの十一月場所は九州出身力士の成績が概して良く、勝ち越す力士が多いと言われる。

田舎の親兄弟や親類、顔見知りが会場まで連日、足を運んで応援してくれるのだから、普段よりも力が入るのは当然だろう。三月の大阪、七月の名古屋も事情は同じだ。

東北出身の大相撲ファンは「心強いだろうな~」と、うらやましく思う。東北・北海道や外国出身の力士には一年中(いや一生涯)「ご当所場所」がない。常に、アウェー。それが彼らのハングリー精神を維持してきた、という側面はあるかもしれない。

今場所は、白鵬鶴竜の休場で「一人横綱」となった稀勢の里が「体調十分。優勝を目指す」と公言していたのに初日から2連敗で、大ピンチに陥った。休場するしか引退を免れる方法はないが、休場の理由が見当たらない。いや~困った。

ちなみに写真①は、ご当所(大分県)力士の嘉風。写真②は何かというとサンダーバード。1960年代のテレビで少年たちを夢中にさせた人形劇SFドラマだ。治五郎の世代は、①を見ると②を思い出す。上唇と下唇が動いて声を出す様子が、そっくりだ。

それはさておき、今場所だ。稀勢の里は休場の口実を見つけただろうか。3連敗でもすれば、横綱の座は極めて危うくなる。白鵬鶴竜も、わがことのようにハラハラして見守っているに違いない。まことに厳しい世界なのである。

(補記:やっちゃったよ、3連敗。今夜中に休場の理由を思いつけるかなあ、稀勢の里田子ノ浦親方は。「どこも調子の悪いところはない」と公言していたのだ。「悪いところ」を思いつかなければ「引退」の二文字が現実味を帯びてくる。こんな〝悪い夢〟は誰でも過去に何度か見た覚えがあるだろうが、大概は「あ~、夢で良かった!」で乗り切れるものだ。そう思える日が彼にも訪れてほしいのだが・・・)

「能」ではなく「脳」の問題。見ていてつらい

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 <桜田五輪相は9日の記者会見で、立憲民主党蓮舫氏から質問通告がないため国会答弁ができなかったとしていたことについて「事実と若干違う」と述べ、自らの発言を撤回した。

 桜田氏は5日の参院予算委員会で、蓮舫氏から東京五輪の理念などを問われ、即答できなかった。その理由として「通告がなかった」ことを挙げていた。

 桜田氏は会見で「事前に詳細な質問内容の通告をもらえれば、充実した質疑を行うことができた」として蓮舫氏に謝罪しなかった。しかし、この際、蓮舫氏の名前を「れんほう」ではなく、「れんぽう」と言い間違えた。桜田氏は5日の参院予算委でも同じミスをしているほか、9日の衆院文部科学委員会の所信表明で「政府」を「世界」と述べるなど、数か所を言い間違えた。

 発言ミスが相次ぐ桜田氏に、公明党の斉藤幹事長は「人の名前を正確に呼ぶのは基本だ」と苦言を呈した。立民の辻元清美国会対策委員長も「言い間違いが多すぎる。これで五輪ができるのか」と批判した。>(11月10日付「読売新聞」朝刊)

人の失態を笑ってはいけない。野党の蓮舫氏や辻本氏が、桜田義孝大臣(68)の相次ぐ発言ミスに鬼の首でも取ったようなドヤ顔を見せるのは、非常に不愉快である。

それにしても、桜田大臣のミスは常軌を逸している。だって、担当大臣なのに「パラリンピック」という言葉が言えないんだよ。「一刻も早く神経内科に行って、脳の精密検査を受けなきゃ」とアドバイスするのが人の道だと思うんだが、周りは何を考えているんだろう。(なんだったら治五郎が専門医を紹介してもいいよ)

〝在庫一掃内閣〟だけに、消費期限の切れた政治家が混じるのはやむを得まいが、いくら何でも、この大臣は〝ボケ老人〟の領域に2~3歩(以上)踏み込んでいるのは明らか。急がないと、取り返しのつかない日本国の実情が国際社会で有名になるぜよ。

キミは救急車の音に懐かしさを感じないか

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「懐かしさ? 全く感じないなあ。うるさくて迷惑なだけじゃないか」という人は、自室でブラームスでも「五木の子守唄」でも、好きな音楽を聴いてて下さい。

 遠くから聞こえてきた「ピーポ―ピーポ―」が接近し、目の前を通過すると「ポーピーポーピー」に変わる。(そうそう、確か「ドップラー効果」とか言うんだよ。うん、中学校の理科で習った)

あれが通過せず、自分の前でピタッと停まったので仕方なく乗り込んだという経験が、治五郎には二度しかない(二度もある、というべきなのか)。一度目は今世紀初頭、当時の谷中庵(第二次)で小宴中(というか直後)に吐血した時。二度目は数年前、郷里で老親と同居中に父親が急な体調不良(脳関係か)を訴えたので、ワシが119番した時。(どちらも大したことはなかった)

うんと若い頃は好奇心の旺盛な新聞記者だったから、出動する消防車や救急車に同乗させてもらったこともある。いちいち赤信号で停車せず〝皇族気分〟を満喫したが、自分が当事者となれば、そうも言っていられない。

 消防車のサイレンは、さすがに緊迫感がある。少しでも到着が遅れれば大火になる可能性だってあるのだ。(今でも、あのサイレンが聞こえると落ち着いていられない)

対して救急車のピーポー(あるいはポーピー)には、表現は不穏当かもしれないが〝牧歌的〟な響きがあるように思う。

【不穏当】物の考え方が極端であったり 表現したところが事実と異なっていたりして、だまって見過ごすわけにはいかないという印象を与える様子だ。「殺すの死ぬのとーな発言は慎むべきだ」

ちょっと体調が悪いだけで、タクシー代わりに救急車を呼ぶ高齢者が最近は少なくないそうだ。ワシが次に救急車を呼ぶのは、いつのことになるだろうか。

「海の親子丼」と極悪非道な私

 

 

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いただき物だが新潟加島屋の「さけ茶漬」「いくら醤油漬」=写真=をセットで味わった。熱々の白飯に鮭のほぐし身とイクラを載せ、刻み海苔と大葉(青じそ)を少々。炊き立てのご飯だと、お茶や湯をかける必要はない。

お歳暮などで喜ばれる逸品らしいが、治五郎は贈答ということをした経験がほとんどないので、こういうものを食する機会は滅多にないのだが・・・うん、うまい! 近所のスーパーで鮭とイクラを買ってきても、こういう味は実現できない。

ワシは東北(どちらかと言えば日本海側)の出身だから、鮭とイクラが大好物なのは当たり前なのだが、不思議なことには、海の魚を知らずに育ったモンゴル人の配偶者が、これまた鮭イクラ丼を「日本の味ベスト3」に挙げる変わったタイプ。

「うーむ」「あ~」。しばらく黙って食べることに集中した後で、彼女が疑問を投げかけてきた。「なぜ鮭イクラ丼って、こんなにおいしいの?」「鮭とイクラは親子だからだろう。鶏+卵=親子丼と同じ道理・・・」と言いかけて、ワシはハッとした。

そうか! 親と子を同時に口中に投入・咀嚼するから、親子丼や鮭イクラ丼の味はこれほど調和・バランスが取れているのだ!

これはしかし、よく考えると悪魔の発明だ。鬼畜にも等しい極悪非道の発想だ。

【鬼畜】㊀人間より劣った、心ない存在とされる、鬼と畜生。㊁残酷で人情の無い者。

【極悪】〔人の心や行状が〕悪に徹底している様子だ。「―非道・―人」

【非道】道理・人情に反する▵こと(様子)。「―なやり方/極悪ー」

親子丼におけるミツバ、鮭イクラ丼における青じそ。これらには極悪非道な食品を開発してしまった日本人の、鶏や鮭の親子に向けた悔恨・供養の意味が込められているのではないだろうか? (たぶん込められていない。味が引き立つのが理由)

テレビ局は声優を多用しすぎていないか

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念のために言っておくが、治五郎は声優という職業が嫌いなのではない。まして、彼らの仕事を減らせなどと言う気は毛頭ない。

【声優】外国映画の吹替え・放送劇やアニメのアテレコなどに 声だけで出演する俳優。

往年の「巨人の星」や「刑事コロンボ」を語る場合、主人公の声を演じた声優の存在を抜きにはできまい。アニメ全盛の時代に、将来は声優になりたいと夢見る子供が多いことにも納得がいく。ワシが問題にしているのは、そういうことではない。

テレビのニュース番組その他で、声優(あるいはプロのナレーター)を使った〝印象操作〟が多すぎないか。

例えば外国で起きた事件について、その国の〝一般市民〟の感想を伝えるシーンがあるとしよう。いかにも「おしゃべり」で「お人よし」のお婆ちゃんが画面に登場する。すると、その人物にピッタリの「声」が必要になってくる。翻訳された原稿を棒読みしたのではダメなので、たっぷりと感情移入された声をTV局は欲するものだ。

ところが、普通の日本人の口調は外国人とは違う。「私はねえ、もうビックリしたんですよ。だってアナタ・・・」なんて言う老女の吹替えは、明らかに声優(ナレーター)が声色を使っている。日本で、こんな話し方をする人がいたら相当ヘンだろう。

あるいは日本国内の事件で、逮捕直前の容疑者にインタビューできた局が、声を加工して流す。いかにも後ろ暗いところがあるような声、となれば声優の出番である。

ワシが憤っているのは、ここなんだよ。

「まあ、ワタシが広い世界の中で誰よりも愛しているアナタったら。もう、お願いですから、そんなウソは言わなくていいのよ」って、なあにがワタシだアナタだ。そんなの日本語じゃないだろう(ドンドン!)

いかん、また血圧が異常値を示しそうだ。

 

 

ダメな人をいよいよダメにするSNS

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 「年金暮らしジジイ? おう、ワシのことかのう」(別に怒ってない)

青森市議選に初当選したばかりの山崎クン(28)=写真=とやらが、ツイッターの匿名アカウントに書いた幾つかの「差別発言」がバレて謝罪会見を開いた。

こういう人が現れて有名になった場合、治五郎が心配するのは本人の将来よりも、彼に一票を投じてしまった2124人だかの有権者が抱くだろう慚愧の念だ。

ざんき【慚愧】取り返しのつかない事をしたと強く悔むと共に、自ら恥じること。「―に堪えない」

さぞかし悔やみ、自ら恥じているに違いない。初冬の青森埠頭から入水したりしないよう、支持した人々には誰かが「心のケア」をしてあげるべきだろう。一人でも犠牲者が出るようなことがあってはならない。(出ないと思うけどね)

今回、改めて明らかになったのはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の怖さだろう。ツイッター、ライン、フェイスブック、インスタグラム。顔や本名は分からなくていいから「誰かと繋がっていたい」という人が多いことの証だ。

ワシは「いいね!」がイヤな性格だから、ブログ以外には手を出さない。自分が撮影した画像を不特定多数の人に見せたい、見てほしいという欲求もゼロ。この辺が、SNS世代とは少し(というか全く)違うんだろう。

 己の正体を隠したまま言いたいことを言う「名無しさん」は、何かを書けば全人格が露呈してしまう。言い訳は通用しない。投稿したが最後、その人は「そういう人」になるのだ。山崎クンとやらは、それを思い知ったのではないだろうか。(手遅れだが)