再び「刑事フォイル」を推す理由

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ドラマの名は、原題「Foyle’s War」の方がいい。第二次大戦中に、イギリス国民がどんな体験をして何を考えたかがよく描かれていて、同じ島国でも日本と英国では事情がいかに違っていたかを深く考えさせられる。

 2002年に放映が始まり、たぶん金がかかり過ぎるので終わったり、好評なので続編を再開したりを繰り返したりして、3年ほど前まで続いたようだ。

主役のフォイル警視正(マイケル・キッチン=写真中央)が、渋すぎるくらいに渋くて大変よろしい。高倉健イングランド版とでも言おうか。部下で女性運転手のサム(同右)、戦場で片足を失ったミルナー刑事(同左)の好演も光る。三人三様の〝個人事情〟が丁寧に織り込まれているので、見始めるとハマるのである。

テーマ曲がまた、いい。聴くだけでホロッとくる。ホロ苦い作品全体を取り仕切った人がA・ホロヴィッツだから、そうなるのだろう。(違うかも)

「治五郎がそれほど褒めるなら見てみようか」と思う人も、3万人読者の中に二人や三人はいるだろう。(数の違いが大きすぎるか)

二人でも三人でも構わない。今は、昔の映画やドラマを(合法的に)見る方法が幾つもあるんだから、試みてほしい。(「つまらなかった」という人に損害賠償はしません)

 

 

治五郎親方と「バーサン事件」

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もう、あまりコメントしたくないんだよ、モンゴル人力士の不祥事については。

前頭六枚目の貴ノ岩(28歳、千賀ノ浦部屋)=写真=が、三段目の付け人を殴ったというので引退に追い込まれた。

一年前は横綱日馬富士に殴られて怪我を負い、横綱が引退する原因となった被害者が一転して加害者となったわけだが、前回に比べると事件発生→発覚→謝罪・引退会見の流れがあまりにも早く、一週間も経っていないのに今は来年二月中旬に断髪式の予定という話題になっている。

貴ノ岩の本名はアディヤ・バーサンドルジ。モンゴル人には「姓」がないので、アディヤという亡父の名を代用している。バーサンドルジの愛称は、婆さんならぬバスカ。

長い名前の略し方にも、モンゴルでは何種類かのパターン(一定のルール)があるようだ。ワシがむかし世話になった通訳はバンズラクチスレンという名で、通称はバンザイ。遠くにいるのを呼ぶたびに、万歳三唱を叫んでいるような気がしたものだ。

バーサンドルジが損をしていると思われるのは、なんというか、持って生まれた顔が「ふてぶてしい」印象を与えがちな点だ。白髪のカツラでも付ければ、お笑い番組のコントなどで「いじわる婆さん」役が似合うのではないだろうか。

コンプライアンス法令遵守)なるものが最優先される現代社会に異を唱えてはいけないことになっているが、今の親方衆で付け人を殴ったことがない人、付け人時代に殴られた経験のない人が一人でもいるだろうか。

何十年も前の暴力事件をマスコミがいちいち暴き出していたら、日本相撲協会の役員に残れる人はいなくなる。テンプラの揚げ方よりも、コンプラの徹底は難しい。

 

もはや怒る気力もない

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都心に出来る新しい駅の名前が、相次いで「高輪ゲートウェイ」(JR)や「虎ノ門ヒルズ」(東京メトロ)に決まったというので物議をかもしている。

公募で36票だかを獲得したという「高輪ゲートウェイ」について、落語家の立川志らく(55)=写真①=が「そんな名前を思い付く人が、36人も存在するわけがないだろう。関係者のヤラセに決まってる!」と激怒しているようだが、治五郎も同感だ。

この師匠は最近、テレビのバラエティー番組に引っ張りだこで、ちょっとした〝オピニオンリーダー〟ぶりを発揮しつつある。ワシは別に嫌いではないが、本業たる「高座」の方は大丈夫なのだろうか。そこが少し気にかかる。

この人の師匠は、落語の「天才」と呼ばれた故・立川談志であり、その芸をワシは高く高く評価する者だが、生前に会って取材してみたいと思ったことは一度もない。

カタカナ語の氾濫が商品名や商業施設にとどまっているうちは、ワシも体がブルブル・ワナワナと怒りで震える程度で済んだ。が21世紀に入ると、それが自治体や公共施設の名称までをも席巻するようになった。 

南アルプス市山梨県、2002年)とか、中部国際空港セントレア(愛知県、2005年)とか、あの辺で堪忍袋の緒が切れてからは、もう抗議する気力もない。

そんなに日本語・漢字が嫌いで英語・カタカナが好きなら、いっそ地名の高輪を「ハイリング」、虎ノ門=写真②=は「タイガーゲート」に替えたらどうだ。ワシゃもう、何を聞いても驚かんよ。

 

「飲んだら乗るな」は車に限らない

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もう何年前のことになるやら定かではないが、ギタリストで子守唄研究家の原荘介さん(1940~)を連れてモンゴルへ行ったことがある。子守唄の取材で知り合い、共通の知人が異様に多いことに気づいて親交を結ぶことになったようだ。

その時のモンゴルでは数々の楽しい思い出があるが、彼が今でもよく大笑いしながら口にするのは「イッケンさんが酔っ払って馬に乗った時の、馬の困惑顔」だ。(イッケンさんというのは、治五郎の本名に基づく愛称)

一緒に馬で河を渡る時=写真①=に、馬がどっちへ進んだらいいのか分からなくなって河の真ん中で立ち止まり、途方に暮れて動けなくなったという。「人馬一体」というくらいだから、乗っている人間が酔っ払いだと馬は困惑するのだ。

いま思えば、あれは極めて危険な行為であった。モンゴルでは今も〝酒酔い乗馬〟で落馬し、命を落としたり障害者になったりするケースが少なくない。

原さんから先日、コンサート(5日夜、武蔵野公会堂)のチケットが届いた。彼は歌手の加藤登紀子さんにギターの手ほどきをした人ということもあって、その次女・Yaeさん=写真②=が共演する。

「牛に引かれて善光寺参り」ならぬ「馬に引かれて吉祥寺参り」というところか。

 

時間の流れ方に関する科学的な一考察

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「どうも、時間の過ぎ方が昔とは違う」とは誰もが、年を取ると実感するのではないかと思う。これを科学的に追究してみようと治五郎は思ったのである。

近所(直線距離で推定120メートル)の地蔵寺が、朝と夕の6時に鐘を鳴らす。 写真のように住職が出てきて撞くわけではなく、機械仕掛けである。従って正確だ。

以前、その間隔を計ってみたことがある。6時ちょうどに最初の鐘が鳴り、きっちり30秒ごとに6回鳴る。30秒✖6=180秒であり、これを分に換算すると60秒が1分だから180秒÷60=3分という計算式が成り立つ。(少し難しいが、合ってるかな?)

治五郎は本来、体内時計が割と正確なことで世の人に知られてきた(世の人って、誰よ)。時計やテレビ、ネットなどを見ずに半日を過ごした後で、ふと「いま何時だろう。4時40分ぐらいか?」と思って時計を見ると4時39分だったりして、我ながら「オー」と感心した経験が何百回あるか知れない。

ベランダに出て、地蔵寺の鐘の間隔を改めて計測してみた。30秒が経つ直前に時計を見ようという計画なのだが、これがことごとく失敗した。最初の鐘から次の鐘の間が、実際は相変わらず30秒なのだが、ワシが「今だ!」と思う瞬間は数秒前に訪れる。平均すると、ワシの24~26秒が世間の30秒らしいのだ。

この実験によって何が証明されたか? 「時間の流れ方は、個体の年齢による差異が増大する」という事実ではないだろうか。「気のせい」などという主観の問題ではなく、個体内部に於いて着実に進行する客観的な時間認識の変化と言わなければならない。

ゴ~ン・・・と、変わらぬ時を刻む地蔵寺の鐘。

日産その他のトップを兼ねた大富豪のゴーン容疑者は今ごろ、小菅の拘置所内で何を考えているのだろうか。(この損失をどうすれば早く取り戻せるか、と考えているんだろう)。地蔵寺の鐘(機械仕掛け)が、今朝も鳴りだした。

ゴ~~ン・・・・・ 

激動の角界、1年を要約すると②

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 写真①(©共同)は、11月の九州場所で優勝・殊勲賞・敢闘賞を獲得した小結・貴景勝(左)と、敢闘賞の平幕・阿武咲(おうのしょう=右)。どちらも22歳だ。

治五郎親方は、ずいぶん前に「勝咲時代」だか「咲勝時代」だかの到来を予言したが、あながち的外れではなかったと言えよう。誰の目にも角界の世代交代は迫ってきているから、そろそろ22歳ぐらいで大関を狙える日本人力士が出てこないことには、次々と現われる有望なモンゴル勢には太刀打ちできない。

写真②は、コアラ。貴景勝か阿武咲のどちらかがコアラに似ている、と言っているのではない。(前者の優勝インタビューを見ていたら、ちょっと連想が働いただけ)

貴景勝にとって、この1年の過ぎ方はワシ以上に早かっただろう。兄弟子・貴ノ岩が元横綱日馬富士の暴行でボコボコにされ、その処理をめぐって貴乃花親方が日本相撲協会に挑戦状を叩きつけたと思ったら、弟弟子の暴力事件で形勢逆転。あれよあれよという間に親方が引退して部屋は消滅、親方と女将さんの離婚という落ちまでついた。

まあ、人生にはありがちなことだ。貴景勝は、これを奇貨として相撲道に邁進せよ。

【奇貨】〔珍しい品物の意〕意外な利益を得る見込みのある▵品物(機会)。「…をーとして / ーおくべし〔=この機会をのがさず仕入れて置くに限る〕」

 

激動の角界、1年を要約すると①

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去年は「相撲ロス」を実感していた。15日間の大相撲中継が千秋楽(日曜日)で終わると、月曜日からは手持ち無沙汰でしようがない。(あと2か月、どう過ごすんだ⁈)

それが今年は、だいぶ心境が違う。歳月というか、月の満ち欠けがどんどんスピードアップしているので、治五郎親方が「さあ、千秋楽も終わった。今場所の総評を書かなきゃ」と思う頃には、もう3~4日が過ぎて「先場所」になっているのだ。

横綱日馬富士をしばらく見かけないと思っていたら、引退の引き金になった暴行事件の発覚から1年以上が経っていた。その間に6場所が行われ、栃ノ心鶴竜鶴竜・御嶽海・白鵬貴景勝と延べ6人の優勝者が出た。横綱が休んでばかりいるので、顔ぶれが多彩と言えば多彩だが、実態は〝二軍場所〟が多い。

日馬富士はどうしているかと思えば、今年9月1日にウランバートルで「新モンゴル日馬富士学校(学園)」という、日本語による日本式の一貫教育校を開設=写真©日刊スポーツ=。理事長に収まって「将来はノーベル賞が取れるような子を育てる」と、張り切っているそうだ。

ワシのような老体には、もはや世の中のスピードについて行けない。来年の初場所は、待つまでもなくアッという間にやって来るだろう。こうしてはいられない気分なのだが、では何をどうすればいいというのだろうか?

 

また万博? もう、いいんじゃないの?

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<日本が大阪誘致を目指す2025年国際博覧会(万博)の開催地を決める博覧会国際事務局(BIE)総会が23日、フランス・パリで行われ、加盟国による投票の結果、日本が開催権を獲得した。大阪での大規模万博開催は1970年以来、55年ぶり2回目。国内での開催は2005年愛知万博以来、20年ぶりとなる。>(読売新聞)

70年万博と言えば、青森県の(たしか)高校2年生だった治五郎は大阪での馬鹿騒ぎには無縁だったが、あの喧騒ぶりはよく記憶している。以来、大きなイベントに人が群がる光景を(嫌だなあ)と感じる気質が、増幅されて今日に至っている。

当時の日本社会を鋭くとらえた映画に、山田洋次監督の「家族」(1970年)=写真=がある。長崎県の島で生活に窮した夫婦(井川比佐志と倍賞千恵子)が北海道の開拓民を志し、幼い二子と老父(笠智衆)を伴って列島北上の汽車旅に出る。(どうして飛行機に乗らないの? と驚く人は、松本清張「点と線」でも読んでて下さい)

よせばいいのに、彼らは大阪で万博を見物する。赤ん坊が体調を壊し、東京まで来て死ぬ。一家はなんとか北海道・標津までたどり着くのだが、笠じいさん(元炭鉱夫)は、上機嫌で炭坑節を歌ったと思ったら翌朝には体が冷たくなっていた。

とんでもなく救いのない物語なのだが、初めて育てた牛が無事に出産したことと妻(倍賞)の妊娠が判明したことが、最後の救いになっている。「命」の重みというやつだ。

2025大阪万博が(大騒ぎの末に)成功を収めたとしよう。今から7年後だ。まだ山田監督が存命で現役だったら(ギネスに載りそう)、どういう映画を撮るだろうか。

<2025年大阪万博は5月3日~11月3日の185日間、大阪湾の人工島・夢洲で開催する計画だ。150か国・地域を含む166機関の参加を想定。来場者約2800万人、経済波及効果は約2兆円を見込む。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。「健康・長寿」の実現に資する万博を目指す。>(読売新聞)

やはり、そう来るか。前回すでに「人類の進歩と調和」を掲げた万博が、それが実現されたかどうかの検証をしないまま、次のテーマを選ぶとなれば「健康・長寿」しかないわけだ。でも、それでいいのだろうか。

1970年当時の公害や「交通地獄」「受験地獄」は少し緩和されたかもしれないが、それに代わる少子高齢化と過疎、格差の波が招いたものは「長寿地獄」だろう。

万博なんちゅうものは、「経済成長=幸福」と信じられる国(地域)が、そう信じられる時期に開催すべきものだ。日本は、先進国としては老境に差し掛かっている。次の開催地はアゼルバイジャンに譲ればいいじゃん、と治五郎には思えてならなんだ。

 

「うれしいと眼鏡が落ちるんですよ」

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という、オロナミンCのコマーシャル=写真=が昔あった。アナタが自分の年齢を実際より若く見せたいなら「あ、知ってる」とか「懐かしい」とか言わない方がいい。

このCMで全国的に知られるようになった大村崑(1931~)は、もともと関西限定で活動してきたタレントなので、中高生時代を東北で過ごした治五郎には馴染みが薄いのだけれども、上の画像をみれば「あ、懐かしい」と思う。

今でも地方を旅すると、後継者が絶えて廃屋となって久しい元商店の軒先などに、この看板が朽ち果てて残っているのを見かけることがある。琺瑯引きである。

ほうろう琺瑯】▵金属器(陶磁器)の表面に焼きつける、ガラス質の不透明な うわぐすり。また、それを焼きつけた物。瀬戸引き。【ー引き】金属器の表面に琺瑯を焼きつけること。また、そのようにした金属器。光沢が有り、丈夫で腐食しにくい。

いくら丈夫で腐食しにくくても、半世紀以上も風雨にさらされればズタズタ、ボロボロになる。(保存状態がいいものは、骨董価値が高まっているらしい)

大村崑がテレビに出演することは滅多になくなり、近年は死亡説(デマ)に接することもある。「生きてりゃ87歳か。死んでても不思議じゃないなあ」と思われても当然だろうが、大相撲ファンに限っては、そんなデマに惑わされることがない。

毎場所のように、彼が「砂被り」で観戦している姿をTVで目にするからだ。

すなかぶり【砂被り】〔すもうで〕土俵のすぐそばの見物席。

東京場所や大阪場所なら分かるが、彼は今場所(九州)にも行っている。席は向こう正面を選んでいるようだから、見たくなくても目立つ。ピークを過ぎた芸能人の〝営業〟なのだろうか。念入りな若づくりの成果もあろうが、とても87とは思えない。

琺瑯引き看板よりズタズタ、ボロボロの治五郎は、なんだかタメ息が出るのである。

うれしいと(顔の筋肉が緩んで)眼鏡がずり落ちるという経験は、ワシにもあった。今は、眼鏡そのものが無用だ。(遠くの物も近くの物も、あまりハッキリ見えない方が美しいと思う)

 

 

エッ、全く別人なの?

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昨夕は、大相撲中継が終わる頃からテレビ各局が急に騒々しくなった。「日産ゴーン会長 逮捕」「報酬50億円 過少記載の疑い」「会長職の解任提案へ」

寝耳に水の情報をマスコミが何からどう伝えていいやら、テンヤワンヤの様子が画面から伝わってくる。

役員報酬が5年間で約100億円だったのに約50億円と虚偽記載したというのだが、そんな金を何に使うんだろう。個人で宇宙旅行でもする予定だったのだろうか。

長らく凡打続きで「昔の光 今いずこ」の感があった東京地検特捜部も鼻高々かと思いきや、日本でも始まった「司法取引」だというから、あまり褒める気にはなれない。

海外から乗り込んで来た強欲な豪腕経営者を、島国の大企業幹部が必死に撃退して我が身を守ろうとしている。それが事件の構図なのだろう。

ゴーン会長の顔は濃すぎるから載せるまでもないが、治五郎がアッと驚いたのは、午後10時過ぎから記者会見に臨んだ西川(さいかわ)廣人社長=写真①=の風貌だ。

目と言い眉の下がり具合と言い、これは娘と経営権を争った大塚家具の元社長=写真②=その人ではないか。なるほど、いつの間にか彼は本業を家具から自動車に乗り換えていたのか! (たぶん違うと思います)