「頭が真っ白になる」とは、こういう状態のことか?

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「頭の中が真っ白になる」なら、まあ分かるんだよ。非常な驚きや喜び、恐怖、感動などに見舞われて一瞬、思考停止状態に陥ることだろう。

しかし言葉というものには貧乏人同様、常に「少しでも切り詰めたい」という作用が働くので、「頭の中が」は「頭が」に節約されてしまう。

「とうとう横綱に勝ちましたね。初金星の感想は?」「いやあ、もう今は頭が真っ白になっちゃって・・・」って、キミは作家の故・司馬遼太郎=写真=か?

 

毎年、今の季節に発表されるのが文化庁の「国語に関する世論調査」結果。今年は、治五郎が10年ほど前から気になっていた言葉「心が折れる」が、初めて読売新聞1面の見出しになって登場した。

心が折れる」 20代 8割使用

「障害にぶつかり、くじける」という意味で使う人が全体の43・3%。70歳以上だと17・5%にとどまったと言うが、そんなにいるか? とワシは半信半疑だ。「アタシゃ敗戦の時は本当に心が折れました」なんて言う年寄りは、寡聞にして一人も知らない。心というものは昔から、ねじ曲がったり歪んだりすることは珍しくないが、ポキンと折れることは滅多にないのではないか。(鉛筆の芯や線香じゃあるまいし)

「目が点になる」を使う人は46・6%だが、最多は50歳代の69・9%で、40歳以下は若い世代ほど少なくなる。この言葉はそろそろ死滅に向かっているようだ。

「ぞっとしない」「(話などの)さわり」「知恵熱」などの意味を勘違いしている人が非常に多い。

いわゆる「ら抜き」など言葉の乱れについて、国語学者らの大半は「言葉は時代によって変わるので、一概に誤りとは言えない」と寛容(というか、いい加減)だ。

しかし、誤解の多さで有名な「情に掉さす」や「情けは人のためならず」がどういう命運をたどったかと言えば、本来の意味を知る人ほど使えない言葉になってしまった。使えば逆の意味に取られる可能性の方が高いからだ。

こうして豊かな日本語は、やせ細っていく途上にあるとワタクシは 心から憂えているのであります。(ドン!)

国家が国民の言葉を統制したりするようなことだけは、絶対にあっちゃならん! と、そう思う者である。同時に、国語辞書が10年20年後には消えるような新語・流行語だらけになったら、日本の文化も死滅に向かうだろうと感じている。

これは文化庁国語課の皆さんに、ねぎらいと共に伝えたい意見であります。