「明日は我が身」とこそ覚えはべれ(係り結び)

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部屋のドアを出て37歩のところに横断歩道がある。「横断は 慌てず 焦らず 無理をせず」という、町会が設置した立て看板がある。

歩行者・自転車用の信号=写真=をよく観察すると(日中の場合)、赤が70秒続いた後に青が15秒。それが点滅を始めて5秒たつと、また赤になる。

ご近所の住民に、80前後と推定される老人がいる。治五郎は勝手に、彼を八十吉(やそきち)と名付けている。八十吉さんは、歩くのが極端に遅い。国会の「牛歩戦術」を連想させられるくらいだが野党議員と違って、わざとやっているわけではない。

想像するに、加齢によって足が弱っているのではなく(それもあろうが)、脳梗塞か何かの後遺症に違いない。判断力に問題はないようで、赤信号の時に渡ろうとしたりすることは決してない 。ただ、足の運びがあまりに遅いのだ。

横断歩道には幅広の白線が9本、引いてある。八十吉さんは1本の白線から次の白線まで移行するのに2秒かかるから、9×2=18秒でギリギリ。たまには間に合わないこともあってヒヤヒヤする。

飛び出していって腕を貸したいところだが、治五郎も急に走ったりすると〝二次災害〟を誘発しかねない身体。八十吉さんが向こう岸に着くまで、イライラ顔で待つ車の運転者を目で牽制するくらいが、ワシに果たせるせめてもの任務である。

「明日は我が身とこそ覚えはべれ」というタイトルは、誰かに何かを命じたり頼んだりしているのではない。「近い将来、ワシも必ず八十吉さんと同じ状態になる。そう思われるのでございます」と、強調形で謙遜気味に述懐しているのだ。

(皆さんだって昔、古文の授業で「こそ+已然形」などの「係り結び」を習ったでしょう。年を取ると、5時間前に食べたものは忘れても、50年前に教えられたことは忘れないものなんですね)