卵の大きさに関する考察

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中華丼=写真左=に付き物の、ウズラの卵がありますね。あれが少し苦手である。味は別にまずくないし、残すのはもったいないから食べるんだけれども、心のどこかに「私は今、何か正しくないことをしているのではないか」という疑念がよぎるのだ。

この深層心理を突き詰めると、ある幼時体験にたどり着く。7~8歳の頃、西ドイツ(当時)で田舎町の小学校に通っていた。1960年代の初頭だ。

スズメ・シジュウカラ・ヒバリの類だと思うが、家の近くで多くの野鳥が見られ、観察しているうちに熱中した。「将来は鳥類学者になりたい」などと言い出して、図鑑を買ってもらったりした(らしい)。

野原や林の中で、こんな巣=写真右=を見つけることがある。上空で親鳥が必死に警告する声に気づいて、思わず逃げたことが何度かあって、鳥の親が子に注ぐ本能的な愛というのは人間のそれを凌ぐなァ、と思った。(嘘です、そこまでは感じなかった)

今も毎日1個は食べている鶏の卵について、そんな感慨を覚えることはない。牝鶏は養鶏場で毎朝、自分が生んだ子=卵を人間が盗んでいくことに何の怒りも悲しみも感じないんだろうか。(いや、そんなはずはない! のだが・・・)

どこでだったか思い出せないが、何人かでダチョウの卵を食べた経験もある。決して味に問題はないんだが、あの大きさはなあ・・・。見ただけで「もう十分」だ。

何ごとにも「適正規模」があるということだろう。