予備校から「二浪」を勧められたらどうする

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 大学入試センター試験=写真=なんちゅうものを、もちろん治五郎の世代は経験しとらん。が、受験シーズンになると思い出されることがある。

1971年(昭和46年かな)の春、予想していた通り大学受験に失敗した。当時は国立大に「一期校」と「二期校」があって、一期校に落ちたら地元の二期校や私立大を受ける手はあったのだが、予定通り浪人することにした。

私立大は受けなかったのか、とお尋ねですか? よくぞ聞いてくれました。受けたい大学は2、3あったのですが、親に「私大は学問より金儲けが目的」という極度の偏見があったんですね。(分からんでもないが、一度は受験してみたかった)

御茶ノ水にあった(今もあるのか)駿台予備校になんとか合格して1年間、千葉県の船橋だか市川だかにあった学生寮(今はない)に入った。いま思えば当時が学力のピークであって、その後は一貫して「右肩下がり」で今日に至る。

数学というより数字が大の苦手だった18歳の治五郎少年は、例えば4桁の「出席番号」が覚えられない。平安京は「鳴くよウグイス」で794年、鎌倉幕府は「いい国」で1192年というような語呂合わせが必要なのである。

駿台予備校の窓口で、自分の出席番号を知らされて「あ、こりゃダメだ」と思った。

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「二浪しろ」としか読めないではないか。

その苦境をワシがどうやって乗り越えたか、という話はまた後日。(大相撲初場所が始まっているので朝から結構、忙しいのですよ)