「街の灯」に学んだこと(その2)

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「街の灯」に、困った酔っ払いが登場する=写真の中央=。大富豪なのだが夫婦関係か何かの悩みがあって泥酔状態で入水自殺を試み、通りかかったチャップリン=写真の左端=に助けられる。意気投合して自宅(豪邸)に招き入れ、大歓待する。

ところが、翌朝になって酒気が抜けると何も覚えていない。「お前は誰だ? なぜ、ここにいる?」 ホントに厄介な男だ。が、こういう人間は現実に存在する。

第一次「谷中庵」時代(と治五郎は呼んでいる)の話だ。目を覚ましたら、部屋の片隅に上半身裸の男が転がっている(暑い季節だったんだろうが、不穏な状況ではある)。生きているのか死んでいるのか? 110番が先か119番が先かと一瞬、少しマジメに考えたが、数分後に記憶がよみがえった。

前夜「いま、ニシッポリに着きました!」と電話があった。「ニシッポリて、どこだ? ああ西日暮里か。じゃ、あと5~6分で迎えに行くよ」

彼は、モンゴルでは新進気鋭の地質学者・トゥムルバト。かつて治五郎にモンゴル語の初歩(の初歩)を手ほどきしてくれた男だ。こういう(日本語を話せる)モンゴル人が何週間か滞日する場合、目的が学習・研修の類なのか、出稼ぎ(アルバイト)なのか観光なのかは判別が難しい。(全部、兼ねているのかも)

高いホテル代は払えないから知人の家を転々とするのが普通で、そういう事情にワシは理解のある方なので、何日か泊まらせた。近所に住んでいたチンドン屋の中年女性と3人で飲み明かしたりした夜が、懐かしく思い出される。

つまり何の話かと言えば、「街の灯」の困った酔っ払いはワシ自身のことだったかもしれないということなのですね。

風の便りによるとトゥムルバトは数年後、酒で体を壊して40代で急死したそうだ。モンゴルも惜しい人材を失ったものだが、彼自身はあまり後悔していないような気がする。