苦手な「節分」が終わったよ

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(今年も豆まきをしたという人は、聞かなかったふりをして下さい)

治五郎は、幼いころから「豆まき」というものが非常に苦手だった。「福は~内、鬼は~外」という、あの独特の掛け声を聞いただけでゾ~っとする。

大手の神社仏閣が有名人を招いて催す豆まき=写真左=を見ると、撒かれた豆に向かって群衆が殺到する。他人のことなど全く眼中になく、自分が早く豆を拾うことに血眼になる。あの浅ましい姿には、身の毛がよだつ。背筋が凍る。(変ですか? 変かもね)

かてて加えて、近年は「恵方巻」=写真右=という便乗商法が幅を利かせるようになって、スーパー・デパート・コンビニが恵方巻であふれる。面白くない!

節分の行事というものに、どうしてワシは極度の嫌悪感を抱くのか?

原因は「排除の論理」だ。「みんな違って、みんないい」という穏やかな思想の対極に位置する立場なのである。「鬼でも特に悪さを働くのでなければ、その辺にいてもらって別に構わんよ」という懐の深さが感じられない。

「禍福はあざなえる縄のごとし」〔=人生は、わざわいとしあわせとを縄のようにより合わせて出来ているものだというたとえ〕と言うではないか。鬼を排除しちゃいかん。

(はっ、こんな御託を並べている場合ではないのだった。締め切りの迫った雑誌の原稿を早く仕上げないと、編集部が鬼と化してしまう)