一字署名の(顕)と(酊)を使い分けた事情

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「治五郎さんよ。このブログは最近、何だか〝現役時代の懺悔録〟みたいな様相を呈してきていませんか?」「おう、キミもそう思うか。ワシも同感なんだ」

治五郎は40代半ばまで二日酔いに苦しむことはあっても、人前でロレツが回らなくなるほど泥酔した記憶はない。(記憶を失くすることがあるのは昔も今も一貫している)

同世代の中川昭一という政治家(1953~2009)は若くして大臣を歴任したが、ワシとはタイプの違う酔っ払いだったらしく、09年に有名な「朦朧会見」=写真=をやった後は選挙に落ち、自宅で急死した。享年56。

新聞の署名記事にはいろいろあって、フルネームで文責を明らかにするほど大げさな内容でない場合は一字だけで済ませることも多い。主に文化面で、そんなコラムや書評を毎週のように書く期間が、ワシには長く続いた。

初めは本名の1字を取って(顕)としていたが、原稿執筆が深更に及ぶとどうしても酒が入る(職場での飲酒が禁じられていたわけではないが、昭和時代と違って当時はもうそんな記者は珍しい存在だった)。熱中すると、いつの間にか傍らのソファにバタンキューである。

朝、目を覚ますと見覚えのない原稿が出来上がっている。(これを俺が書いたのか?)

さすがにところどころ、大胆になったり冗談が過ぎている個所もあるが、全体としては問題ナッシング。発想が素面の時より冴える傾向があり、微修正を加えればOKだ。

なんだか酒に申し訳ないような気がして、そういう記事の署名は酩酊の(酊)を用いることにした。やがて(顕)より(酊)が優位に立つに至ったことは言うまでもない。

(酊)が大きな失敗を犯したことはないのかって? ありまんがな。ま、それはまた今度。