日本文化における「女人禁制」の問題

f:id:yanakaan:20180404234026j:plain

大相撲関係者にとって、また大きな事件が勃発した。治五郎親方の所見によると、今回のは力士の暴力沙汰などより根が深く、5日以降はマスコミの大騒ぎが予想される。 

京都府舞鶴市で4日に行われた大相撲の春巡業で、あいさつ中に倒れた多々見良三・舞鶴市長(67)の応急処置のため土俵に上がった女性に対し、土俵から下りるよう求める場内アナウンスが流されたことがわかった。>(Yomiuri Online より)

神聖な土俵=写真=に、女性が上がってしまったのである。なぜ女性が上がってはいけないかというと・・・以下はワシの意見ではなく、そういう社会通念が現代日本でまかり通っているという困った事実を指摘するだけである(念のため)。

女性は不浄なのだそうだ。生理があるから云々という理由が不当な性差別であることは万人が承知している。第一、女に生理がなかったら人類はとっくに滅亡している。

しかし、男女同権の世になっても「女人禁制」は無くならない。〝神域〟とされる山などでは徐々に解禁が進められてきたが、最後まで残った場所が「土俵」だと言えよう。引退した力士の断髪式なんかでも、奥さんや娘さんは土俵に上がれない。なぜか。不浄だから。(んなバカな!)

これまでも物議をかもしたことは何度かあったが、土俵に上がりたい(?)女性は「古来の伝統」を理由に排除され続けて今日に至る。

ところが今回は「応急処置」という特殊事情、いわば「待ったなし」の状況下で事件が起きた。これは社会性が極めて高い。先進国・日本の恥ずべき蛮習はネットで瞬時に世界を駆け巡り、ニューヨークタイムズワシントンポストあたりが「Why?」という論陣を張るのではないだろうか。

ワシのような者からすれば「どうかひとつ穏便に」という気持ちと「徹底的にやれ!」という思いが相半ばする。「女性は土俵から下りて下さい」とアナウンスしたのは場内放送を担当する若手行司の誰かに違いないが、もつれた勝負を判定する行司さながら、ワシもどっちに軍配を上げればいいのか大いに悩むのである。