合掌するその手が蚊をうつ
ことし初めて蚊に刺された。もちろん、気づいて右ひじを叩いた時はすでに遅かった。
そこで浮かんだのが、タイトルの一句。ただし治五郎の創作ではない。
「これのどこが俳句なんだ?」という人もいようが、何も5・7・5の「定型」だけが句ではない。「自由律」で有名なのは種田山頭火や尾崎放哉だが、もう一人、住宅顕信(すみたく・けんしん)という人(1961~87)を忘れてもらっちゃ困る。
その短い一生は、難しいからこそ分かりやすい。出家得度→結婚→長男誕生→離婚→闘病(急性白血病)、句作。25歳で亡くなった後に刊行された句集「未完成」に、彼の生涯が凝縮している。
<気の抜けたサイダーが僕の人生>
<水滴のひとつひとつが笑っている顔だ>
<レントゲンに淋しい胸のうちのぞかれた>
<鬼とは私のことか豆がまかれる>
どうです。何か伝わって来ませんか。(えっ、何も伝わって来ない? もう、アナタとは袂を分かちましょうか)
<合掌する・・・>の句は、まともな僧侶ならではの実感だろう。殺生・肉食や女犯(にょぼん)を繰り返している坊さんなんかは仏罰の対象だ。
【女犯】僧が戒律を破り、女性と交わること。
まっとうな坊さんは、一体どこにいて何をしているのだ! (まあまあ治五郎)
<ずぶぬれて犬ころ>
この句(だかなんだか)が、ワタクシは最も好きです。