モンゴルの義妹が沖縄から戻ると、どうなるか

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「大変なことになる」と先月16日、出発する際に治五郎が予見したでしょう。「必ずハマる」と。海=草原で、時間の感覚から何からモンゴルと沖縄はソックリなんだ、と。

予想的中。きのう、5週間の沖縄滞在を終えたバルジンが無事に帰ってきた。弁舌さわやかなタイプではないので、先を急ぐという取材の仕方では本音が聞き出せない。

じっくり聞いたところを集約すると、まず「ソーキそば」=写真①=が気に入ったらしい。ツルツルではない麺の食感と、あばら骨の周辺にこだわった豚肉の味に強い親近感を覚えたらしい。

義兄(ワシ)には琉球泡盛の古酒「菊乃露」=写真②=を買ってきてくれた。贅沢ではないが、狭い台所が〝沖縄物産展〟の様相を呈してくる。モンゴルまで持っていかなければならない土産も多いに違いない。

海ぶどう=写真③=が目にとまったので、親切な助言をした。「それは海藻の一種なんだが、たぶんモンゴル人の口には合わないと思う。ワシがもらっておこう」

(ヤッホー! 海ぶどうを肴に泡盛が飲める。もはや、ワシが飛行機に乗って沖縄まで行く必要がどこにあろうか)

モンゴル人は大体そうだが、海で泳ぐという経験をしたことがない。全く泳げない彼女も「舟に乗って小さな島へ移動するのが、死にそうでホントに怖かった。もう、舟には乗りません」

馬には乗れるが、舟には乗れない。モンゴルと沖縄との障壁が完全に取り除かれる日は、すぐそこまで来ていると思うのであるが。