急に読めなくなったら、ごめんなさいよ

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どうも、またパソ子の調子がよくない。ブログを書く分には問題ないのだが、読者の立場になると、(昨日の記事で言えば)最初の6行が薄い字でほとんど読めないようだ。

治五郎は性格上、また職歴上の習慣もあって万事を疑ってかかり、原因として考えられる限りの想像をする癖が抜けない。

①単なるパソ子の加齢(またはウイルスの影響)が顕在化した

②愛用している「はてなブログ」の「はてな?」部分が現実になった

③ワシの女性同居人が(一時的だが)増えたことに嫉妬したパソ子の嫌がらせ

④パソ子を扱いきれない治五郎が、触るべきでないキーに触ってしまって対処できない

最も蓋然性(がいぜんせい)が高いのは④だろう。

【蓋然性】いろいろの点から見て、そうなることが十分に予測出来る▵こと(度合)。

まあ、この問題は今週末、パソコンに通暁したイラストレーターが飲みに来てくれるはずだから、頼めば何とか解決してくれるだろう。

心配なのは、パソ子が急死した場合だ。「あれ? 治五郎日記が何日か前から読めなくなったぞ」という事態が、数日後に起きないとは限らない。工事現場の看板=イラスト=をお借りして、あらかじめ、お詫びしておく次第です。

(パソ子どころか治五郎が急死してたりしてね。いや、笑い事じゃないんだよ)

糸屋の娘は目で殺す

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<大阪本町 糸屋の娘

    姉は十八 妹は十五
 諸国諸大名は 弓矢で殺す
 糸屋の娘は 目で殺す>

地名・屋号・年齢などには様々なバラエティーがあるようだが、これは「起承転結」の手本として昔から有名な章句だ。

  1行目で人物を登場させ、2行目で少し詳しい説明をする。3行目でガラッと話題を変えて不審がらせ、4行目で見事なオチをつける。

治五郎は少年時代から、起承転結が好きな体質だった。どうしても糸屋の娘(姉妹)に会ってみたくなるではないか。目で殺されたくなるだろう!(ならないか)

妻アルタンと、その妹バルジンとの3人暮らしが始まった。バルジンとアルタンだよ。普通の日本人が連想するのは何か、想像してみた。あっ、バルタン星人=写真=だ!

ご心配なく(誰も心配してない)。地球の平和を脅かすような存在ではない。

バルタン星人を目撃したい向きは、遠慮しないで16日のサンド会にいらっしゃい。(バルジンが持ってきてくれた羊肉は、多分もう残ってないけどね)

 

 

「酔眼」を見抜くモンゴル人

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昨日、妻アルタンの妹バルジンが来日した。昔、何年か働いていた板橋・下赤塚の焼き鳥屋(店頭販売)でしばらくバイトするので、治五郎が連れていくことになった。

ワシが早起きして電車で出かけるなど、滅多にないことだ。彼女も東京での電車通勤は初めてらしい。都電の乗り方(というほどのことはないが)を教え、東池袋四丁目で下りて地下鉄・有楽町線東池袋で乗り換える。

「ここで大事なのは、西武線直通ではなく東武線直通に乗ること」

「はい」

「飯能行きなんかに乗ると赤塚へは行かないから、和光行きとか川越市行きに乗らなきゃダメだよ」

「・・・はい」

明日から一人で大丈夫だろうか。

無事、店に着いた。7年ぶりとかになる感動の再会シーンが展開する。経営者夫婦が、いろいろ気を遣ってもてなしてくれる。「とりあえず」と、ワシにはワンカップ焼酎=写真=まで出た。まだ午前10時過ぎなので、少~し後ろめたい。

アルタンは、夫(ワシ)が缶ビール(ロング)1本を隠れて飲んでも「飲んだでしょ」と見抜く。焼酎の4合瓶を空けたらバレて当然だろうが、たかがビール1缶(ロングだけど)で、なぜ? と不思議だった。(普通の日本人には見抜けない)

バルジンによると「目を見れば分かります。うちの父も『飲んでない』と言うことが多いけど、少し飲んだか全然飲んでないかは目で分かる」

う~む。この姉妹は幼い頃から、そのようにして観察力を鍛えられてきたのか!

例えば大相撲の世界でも日本人力士がモンゴル勢に敵わない真因が、これで分かったような気がする治五郎であった。

 

 

合掌するその手が蚊をうつ

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ことし初めて蚊に刺された。もちろん、気づいて右ひじを叩いた時はすでに遅かった。

そこで浮かんだのが、タイトルの一句。ただし治五郎の創作ではない。

「これのどこが俳句なんだ?」という人もいようが、何も5・7・5の「定型」だけが句ではない。「自由律」で有名なのは種田山頭火や尾崎放哉だが、もう一人、住宅顕信(すみたく・けんしん)という人(1961~87)を忘れてもらっちゃ困る。

その短い一生は、難しいからこそ分かりやすい。出家得度→結婚→長男誕生→離婚→闘病(急性白血病)、句作。25歳で亡くなった後に刊行された句集「未完成」に、彼の生涯が凝縮している。

<気の抜けたサイダーが僕の人生>

<水滴のひとつひとつが笑っている顔だ>

<レントゲンに淋しい胸のうちのぞかれた>

<鬼とは私のことか豆がまかれる>

どうです。何か伝わって来ませんか。(えっ、何も伝わって来ない? もう、アナタとは袂を分かちましょうか)

<合掌する・・・>の句は、まともな僧侶ならではの実感だろう。殺生・肉食や女犯(にょぼん)を繰り返している坊さんなんかは仏罰の対象だ。

【女犯】僧が戒律を破り、女性と交わること。

まっとうな坊さんは、一体どこにいて何をしているのだ! (まあまあ治五郎)

<ずぶぬれて犬ころ>

この句(だかなんだか)が、ワタクシは最も好きです。

 

 

グアテマラ人と蒙古斑

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 <【サンパウロ時事】中米グアテマラの首都グアテマラ市の南西約40キロに位置する活火山フエゴ山で3日発生した噴火で、政府当局は6日、死者が少なくとも99人に達したことを明らかにした。現地からの報道によると、なお200人近くが行方不明で、犠牲者数はさらに増える可能性が高い。

 被災現場では引き続き火砕流にのみ込まれた住民の捜索が続いているが、火山活動が収まっておらず、救出作業は難航している。>

治五郎がグアテマラの被災者のことを心配する理由は、たかだか7~8日間のこととは言え、そこが数多くはない「曾遊(そうゆう)の地」の一つだからに他ならない。

【曽遊の地】〔「遊」は旅行の意〕以前に一度行ったことがあること。「-の地」

アティトラン湖という、夢の中のように美しい湖=写真=の畔にある町で取材した。何を取材するという当てはない。滞在中に、カメラマンと二人で取材目的を探すという行き当たりばったり、綱渡りみたいな旅なのである。(こういう仕事は、お陰様でずいぶんやらせてもらった)

国民の大半はインディヘナ(旧称インディアンは差別的だとされる)。日本人と共通点のある顔つきだが、目を見ると概して(ク、暗い・・・)と感じさせられた。

いま思えば、スペインによって散々な目に遭ったグアテマラは独立後も米国などにいろんなチョッカイを出され、20世紀後半のほとんどを内戦下で過ごした。

ワシが行ったのはその末期だから、表情が暗かったのも当然だろう。この国の治安は現在でも世界の159番目だそうで、無事に日本へ帰れたのは不思議なくらいだ。

アフリカ発祥の人類が、北東アジアからベーリング海峡を越えて米大陸に渡ったとされるのが約1万年前。彼らは何千年もかけて太平洋沿いにチリまで南下した。

アティトラン湖畔の町で訪ねた小屋みたいな家で、生後間もない赤ん坊(ワシの子ではない)の尻にクッキリとした蒙古斑を認めた時は、一種の感動を覚えたものだ。

蒙古斑黄色人種の子供の尻などに見られる、青黒いあざ。七、八歳までとれない。児斑。

フエゴ火山の噴火による死者数が増え続けていることにワシが無関心でいられない理由が、これで分かってもらえるのではないかと思う。 

和歌山県警も大変だ

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マスコミ用語で「弾(はじ)ける」というのがある。辞書にはないが「未解決だった難事件の捜査が、容疑者の逮捕などで急展開を見せる」ことだ。その日を想定して「Xデー」と呼ぶことも多い。

紀州ドン・ファン〟の変死事件が世間の耳目を集めている=写真はオペラ「ドン・ジョヴァンニ」=。享年77。4000人だかの美女を抱くのに30億円だかを使った、と自慢する本を書いたエキセントリックな人だ。

【エキセントリック】〔eccentric〕普通の人と極端に変わっている様子。エクセントリック。

 21歳だか22歳だかの新婚妻、長く雇ってきた家政婦など、周囲の登場人物がまたエキセントリックな人物ぞろい。例によって「人権」の壁があるから、彼女らの本名や素顔がマスコミにはまだ出ていないが準備は万端、整っているだろう。Xデーは近いぞ。大騒ぎが始まる。

今からちょうど20年前に「和歌山毒物カレー事件」というのがあった。被告は「限りなく黒に近い」のだが、決め手はない。本人は死刑が確定した後も否認を続け、再審請求も棄却されて今は死刑執行を待つ身だ。万が一、これが冤罪だったらどうする?

「毒」だけに後味の悪い事件だった。今回、違法捜査はないと思いたいが和歌山県警の皆さんには執念と慎重さを期待したい。

梅雨は嫌いではないが・・・

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明日あたりが梅雨入りだろう、と言われている。

治五郎は、梅雨というものが他人様に比べて嫌いではないようだ。6月は気温も手ごろだし、日没が遅い。(酒飲みは早く夜になればいいと思っていると考えるのは偏見で、外が明るかろうが暗かろうが、飲み始める時刻を変更する必要は何もないのだ)

終日、シチシトピッチャンと雨が降り続く風情は悪くない。

しかし近年は地球全体の気候・気象が(人類の横暴に)怒り始めたもんだから、日本でも季節のメリハリがなくなってきて、梅雨らしい梅雨に出合えないまま真夏を迎えてしまう年が多くなっているように思う。

昔、家を一歩出れば幾らでも見られたカタツムリは一体、どこへ消えちまったダ? 気のせいかも知れないが、エスカルゴ=写真=などを口にしなくなって何年も経つ。

エスカルゴ】〔escargot〕フランス料理で使う、食用カタツムリ。

「イナゴの佃煮とかカタツムリとか、治五郎の嗜好はやはり変わっているのでは?」

「そんなこと、ないだろう。超高齢の親なんかは聞いて卒倒しそうになるが、動物性たんぱく質の恵みには感謝を捧げるべきじゃないのか。第一、うまいんだもの」

さあ来い、梅雨! (しかしカタツムリはどこへ行ったダ?)

 

「虫の日」に思う

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6月4日は「虫の日」だったんだそうな。日本語は語呂合わせが得意だから、ほとんど毎日が「〇〇の日」になっている。かつての「虫歯予防デー」も6月4日だった。

「虫の日」は、漫画家・手塚治虫らの呼びかけで1988年に設立された日本昆虫クラブが制定したもので、昆虫が住める街づくりを目指しているんだそうな。(知らなんだ)

虫が苦手な人は多い(特に女性)。源氏物語に出てくる「虫めづる姫君」などは例外中の例外で、触るどころか見るのも嫌という人の多さは古今東西を問わないようだ。(意外なことにモンゴルで、男も女も虫は大の苦手という人が多い)

治五郎はといえば、好きでもないし嫌いでもない。味は、悪くない。東京ではなかなか手に入らないが、イナゴの佃煮=写真=などは好物の中でも上位に位置する。

蠅や蚊にも増して嫌われるのがゴキブリで、あれを目にした時の人々の脅えようといったら、あれは何だろう。ワシだって、ゴキブリを見れば心が和むとか癒されるとかいう変人ではないが、常人がゴキブリを殺す時の形相ほど恐ろしいものはない。

〝虫も殺せぬ性格〟のせいだろうか、実はさっき久しぶりに1匹見かけたのだが、妻に「殺虫剤!」とは言わずに見逃した。ばれると不興を買うから、内緒だぜ。

 

日本の老人が韓流時代劇にハマると厄介だぞ

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「治五郎さん。ご隠居! また韓国の時代劇を見てるんですか? 『奇皇后』って、これはもう何年も前のドラマですよ。全部見たんじゃなかった?」

「いいんだよ、何回見ても。もうストーリーはほとんど忘れてるし」

「俳優の識別は出来てるよね? 例えば①は?」

「ほら、あれだ。黒・・・黒木瞳! なんだかロシア民謡みたいな名前じゃのう」

「②の男性は?」

「そりゃ柄本明に決まっとろうが。味のある役者じゃなあ」

「③に見覚えはありませんか?」

「おう、知っとるとも。昔、歌手デビューした頃の野口五郎だ」

全部、違ってます。

 

 

 

 

どうでもいいが、どこか似ていないか

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 関東学生アメフト連盟なるものが、どういう組織なのか治五郎は存じ上げない。が、先日の記者会見で話す人を見て「待てよ、どこかで見た顔のような・・・」と感じた。

同連盟専務理事の森本啓司=写真①=という人である。危機管理能力の無さを露呈した日大上層部に代わって、学連として「内田監督と井上コーチは除名」「理由はこれこれ」と、なかなかテキパキと説明をしたもんだから、世間の評判がいい。

ところでワシの既視感は、何に因って来たるものであろうか? 思いを巡らすこと1日半、徐々に浮かび上がってきて像を結んだのは二人の人物であった。

一人は大相撲の豊真将(現・立田川親方)=写真②=。小結まで出世したが、2015年に惜しまれながら引退した。相撲も性格も真面目そのもので、特に相撲の基本というべき「所作」の美しさには定評があった。

もう一人は、衆院議員の樽床伸二氏=写真③=。確か民主党で結構、重要なポストまで行った人だが同党はその後、古代中国の歴史年表を見るような離合集散を繰り返したので、今は何党で何の役職に就いているのかワシゃよく知らん。

この3人には何の共通点もないはずだが、思い込みの激しい老人は「似てる」と感じたが最後「実は、そんなに似てないかも」と考え直すことが出来ない。

<①=(②+③)÷2>という公式さえ浮かんでくるのだが、どっこい、治五郎は衰えたりといえども探求心はまだ盛んだ。

誰かもう一人ぐらい、似た人(α)がいそうな気がしてならないのだ。<①=(②+③+α)÷3>が、より正確なのではないか? その「α」って誰だ? この小さな疑問を無視したら「真実」には到底、たどり着けまい。ここが踏ん張りどころだ。

・・・あ、そこのアンタ。明日も仕事で早起きしなきゃならないんでしょう。こんなブログに付き合ってないで、もう寝て下さい。(とっくに寝てるか)