飛び続けたくなければ 下を見てもいいだろう

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<飛び続けたいのなら 下を見ない方がいい

と偉大なるB・B・キングは言った。このすばらしい助言のおかげで、私は本書を完成させることができた>

と、巻頭の「謝辞」にある。ピーター・バリー著、高橋和久監訳「文学理論講義 ーー  新しいスタンダード ーー 」(ミネルヴァ書房)。

そんな難しそうな本を治五郎が読めるのかって? そこでんがな。

向学心の盛んな妻アルタンが、図書館で借りてきた本をジックリ読破する気になったらしくアマゾンで購入した。注文するや一両日で届いたので、図書館の本は取りあえず不要になる。それをパラパラとめくっているのだが・・・いやあ、面白い!

と言いたいところだが、ほとんど歯が立たない(というか、立つ歯がない)。よく理解できるのは巻頭の謝辞ぐらいだ。

<飛び続けたいのなら 下を見ない方がいい>とは、つまり<過去の業績に満足したりせず、さらに努力を続けなさい>という意味だろう。分からんではないが、ワシは<見るべき程の事は見つ(平知盛)>の諦観派だ。

ちなみにB・B・キング(1925~2015)=写真=は、米国を代表するブルース界の巨星だが、ワシにとっては海外文学と同様に縁の遠い存在。

<飛び続けたいのなら・・・>とおっしゃるが、人の欲にはキリがない。いつまでも飛び続けたって仕方あんめえ。ちゅうわけで、タイトルの実感に至る治五郎である。

「大戸屋」の沿革と「夏至」をめぐって

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<1年というものを区分する境目が幾つかあって、それには「夏至」と「冬至」も含まれる。夏至を過ぎると1日ごとに夜が長くなり、冬至を過ぎると1日ごとに日が長くなるが、ワシは夏至から冬至にかけて活力が衰え、冬至を過ぎると回復に向かうようだ。>

 この文は何かというと、2017年10月25日に書いた当ブログの一節だ。その日に何があったかと言えば、何もない。過去の記事中、夏至という言葉をどこかに書いたはずだ、と思って「夏至」で検索すると「その言葉が出てくる記事は17年10月25日付です」と教えてもらえるわけだ。この検索機能によって、われわれ高齢者は失われた記憶を辛うじて復元することが可能になる。ありがたいことである。

その記事によると、治五郎の活力が1年のピークを迎えるのが夏至である。あとは冬至まで下降の一途だ(今も異論はない)。そして今年の夏至は、今日(6月22日)だそうだ。

話は変わるが、「大戸屋」という定食屋チェーンがある。今では全国どころか海外にも多くの店舗を構えているが、1950年代後半に池袋東口で創業した当時は写真のように、一杯飲み屋に毛の生えたようなものだったようだ。治五郎らが苦学生時代を送った70年代前半には一階と二階があって、少し懐に余裕がある時は、日本史を専攻する仲間同士でよく二階に上がり、焼肉定食だか生姜焼き定食だかを食ったものだ。

大戸屋は、往年の「とにかく安い!」という希少度が低下したうえ、最近は愚かな若者らの〝アルバイト・テロ〟とSNSによる〝拡散〟でピンチに陥っていると聞く。

そこで「夏至」と「大戸屋」に何の繋がりがあるかと言うに、まったく何もない。

ただ、今年は夏至の晩に池袋東口で何かの会合が予定されているという情報がインプットされていて、今日になったら「あっ、それは大学時代の同窓会だ!」と気がついた。ふー、危ないところだった。「必ず行く」と言っといて行かなかったら、また「治五郎急死説」が浮上するところだ。おっと、そろそろ池袋に向かわにゃ。

大山鳴動して鼠は何匹?

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たいざん【大山】「大きな山」の意の漢語的表現。「―鳴動して鼠一匹〔=大騒ぎをしたわりに、たいした収穫のないたとえ〕」

これからの時代は〔収穫〕を〔収穫・被害〕と改めるべきかもしれない。

昨夜22時22分だかに山形・新潟などで震度6強の地震があって、テレビの緊急地震速報で治五郎も目が覚めた。またかと思ったが、アナウンサーが「津波が来ます!」と叫んでいるもんだから心配して、しばらく見守った。

津波は確かに来たが、高さ数センチの「ちゃぷちゃぷ」程度だったらしい。

「な~んだ」ではなく「良かった~」と、良識人なら思わなければならないところだろう。それにしても、こんな経験が最近は多すぎる。

本物の南海トラフや首都圏直下型が来た時、人は緊急地震速報に慣れ切って「ああ、またやってるな。毎朝、聞こえてくるラジオ体操の音楽みたいなもんだ」と思うに違いない。これじゃイカンのではないか?

「この大震災で、また何千人も犠牲になったのでは?」と寝不足状態で朝を迎えたが、死者は(今のところ)一人も出ていないらしい。な~んだ(いや、良かった~)

気象庁が「1~2時間後、この辺の地域は危ないから逃げなさい」と〝予言〟した前例はない。地震が起きた後で、地層構造を講釈したりするのが関の山だ。どうにかならんのか、ドン! (どうにもならんのが現実のようです)

地球の仕組みは今のところ、常に人知を超えている。

どこへ行くのか高齢「歌壇」

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 17日付朝刊「読売歌壇」より

岡野弘彦

大正の末に生まれて平成の終りも知らずただ眠る母

【評】母上は大正十五年三月の生まれだそうだ。私より二年、お若いわけだ。こういう御代替りの時は、改めて自分や親しい人の年齢を考えさせられる。どうぞお大事に。

小池光 選

曽祖母と並んで写りいるひ孫その子九十五歳となりぬ

【評】古い古い写真が出てきた。曽祖母と並んで幼いこどもが写っている。そのこどもがわたくし、すなわち作者。今年九十五歳となった。万感迫る思いであろう。

栗木京子 選

買物はマイカーやめてバスで行く孫とむすんだ小指のげんまん

【評】高齢ドライバーによる事故がたびたび報じられている(以下略)。=写真は、池袋の暴走事件で現場検証に立ち会う87歳の御老体。短歌と直接は関係ありません=

お~い。どの歌もなかなかいいけれど、もう少し若い人の作品はないのか?

治五郎のような書き方をすると、この「読売歌壇」には高齢者しか投稿してこないような印象を受けるだろう。そこが問題だとワシゃ言うとるんじゃ。

たくさんあるものの中から、傾向が似ていたり共通点があったりするものを三つ並べると、読者というものはどうしても一種の〝誘導〟を受けがちだ。上の3首には確かに高齢者の実感がにじんでいるが、ほかに若い人の力作だってあるのだ(下手だが)。

マスコミには優れた人材が少なくないが、中には治五郎のように〝誘導〟したがる不逞の輩もいるから、十分に気をつけましょうという話でした。

ふてい【不逞】〔体制側から見て〕慣行を無視したりして、けしからぬ▵こと(様子)。「―のやから」

う~む、〔体制側から見て〕と来たか。どうも新解さんという人(辞書)は、どちらかといえば「反体制派」らしい。

阿部定事件と治五郎庵の浅からぬ因縁 ②

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さて、わが街・西尾久の歴史である。JRは尾久駅を「おく」と読ませているが、これは旧国鉄のシロウトがそう呼んだのであって、古来「おぐ」が正しいようだ。

 大正2年(1913)、飛鳥山~三ノ輪の間に「王子電車」(のちの都電荒川線)が開通した。翌年、西尾久の碩雲寺(せきうんじ)=写真=という寺の住職が井戸を掘っていると、温泉(ラジウム鉱泉)が湧き出して、周りに温泉旅館が幾つも出来た。

ちなみに、碩雲寺の並びには読売新聞の販売店があって、治五郎は朝な夕な、そこから新聞を配達してもらっている。

やがて一帯は「三業地」として知られるようになる。三業地というのは、料理屋・芸者置屋待合茶屋の3業種が営業を公認された歓楽街=花街のことで、待合茶屋とは何かというと(治五郎もよくは知らないのであるが)、まあ、今風に言うと「木造1~2階建ての和式ラブホテル」といったところか。(本当に、よくは知らんのです)

そういう建物が、この界隈には集中しておったと思いねえ。その一つである「満佐喜」という待合で、阿部定は例の事件を起こした。むろん今は跡形もなく、割烹&レストランとガソリンスタンドがあって、その先には尾久警察署がある。

83年前、近くの地蔵寺が撞く鐘(今の機械式ではなく、住職か寺男が手で撞いたはず)の音を、彼女も聞いたのだろうか。

阿部定のように過剰な「深情け」はなるべく敬遠したいものだが、ご近所の「よしみ」を感じないわけにもいかない。

ふかなさけ【深情け】異性への深い愛情。「悪女のー」

よしみ【誼み・好み】㊀(親しい)交わり。「―を結ぶ / ーを通じる」㊁何かの縁でつながりが有り、仲間意識が働いて、すげなくは扱えない関係。「昔のーで」

ここで治五郎が言う「よしみ」は、もちろん㊁の意味だ。それにしても「すげなくは扱えない」という、この辺の語釈と表現にワシは新解さんの〝芸〟を感じる。

すげない 相手の心情に対する思いやりが全く感じられないような応対をする様子だ。「すげなく断わられる」

阿部定事件と治五郎庵の浅からぬ因縁 ①

① f:id:yanakaan:20190614164451j:plain  ②f:id:yanakaan:20190614164534j:plain

こんなタイトルをつけるから、また余計な誤解を招くのだが・・・

荒川区西尾久に(よんどころなく)庵を構えてから丸2年。地元の雑多な歴史にも少しは詳しくなってきた。

よんどころない【拠無い】〔拠りどころが無いの意〕そうするよりほかに方法がない様子だ。また、他のことを犠牲にしてもそうしなければならない様子だ。「ー用事」

驚いたことに、わが庵は阿部定(あべ・さだ)事件の現場から至近距離にある。せっかくだから(何が「せっかく」だ)、調査結果を公開しよう。阿部定事件なんて聞いたこともないという人は、スマホでゲームでもしてなさい。

昭和11年(1936)5月というから、あの「二・二六事件」から間もない頃の話。阿部定という一人の〝妖婦〟が世間を騒がせた。愛人を絞殺し、その男のアレ(つまりナニ)を切断したうえ、ソレを隠し持って逃走したが、ほどなく捕まった女である。

アレとかソレとか表現に苦労するが、要するにそういう異常な猟奇事件が発生して、ワイドショーどころかテレビもない時代に世の中の耳目を集めた。大衆というものは昔から、この種の事件に無関心ではいられないのだろう。

のちに大島渚監督「愛のコリーダ」=写真①=などの映画も作られ、海外でも有名になって、阿部定の存在は人々の記憶に刻まれた。彼女は、刑務所を出てからも長生きしてマスコミの追跡にも遭ったらしい。恐ろしい女の何が、そう人を惹きつけるのか?

よく引き合いに出されるのが、高輪署で逮捕された後に撮影されたという〝記念写真〟=写真②=だ。被疑者も、取り調べた刑事らも、実に朗らかな「いい笑顔」を見せている。「何なんだろうね、この笑顔は」と不思議に感じる人が多いだろう。

 事件現場の所轄・尾久警察署は(当時も今も)わが庵から徒歩3分の距離にある。2年前、運転免許証を返納しに行った時は(サツの世話になるには便利な立地だ)としか感じなかったけれど、よもや、道の途中に阿部定事件の現場があるとは思わなかった。

よもや〔副詞「よも」に感動の助詞「や」の付いたもの〕万が一にも そのような可能性は無いと判断していることが実現した状況を想定する様子。また、あってはならないと思う様子。

ワシは、阿部定事件の現場が近所に「あってはならない」などとは別に思わない者であるが、昭和10年代の尾久が如何なる地域であったかを想像する「よすが」にはなる。

よすが【縁】〔「寄す処」の意〕何かをする上で、たよりや助けとなる▵もの(こと)。「身を寄せるー〔=よるべ〕も無い / 先生を偲ぶーとする」

今回は「よ」の項で新解さんの世話になった。尾久の歴史については、また今度ね。

本田圭佑の名字を思い出すのに3日かかった

f:id:yanakaan:20190611175110j:plain ②f:id:yanakaan:20190611175136j:plain ③f:id:yanakaan:20190611175208j:plain

(1日目) んーっと、あのサッカー選手=写真①=はどうしているだろうか。ほら、何といったっけ、イタリアのACミランでかなり注目され、人気も実力もなかなかで、日本代表に欠かせなかった存在。惜しむらくはしばしばデカイ口を叩くもんだから、日本では「口ほどにもない奴」と好まないサッカーファンもいた。

ベンチ待機の日々が多くなり、オーストラリアのチームに行ったり、なぜかカンボジア代表の監督になったりして、あまり華々しい活躍は見られなくなった。左右の目が(外見上)バランスを欠くようになって、治五郎は「大丈夫か? 医者に行ってるか?」と心配していた。

ほら、その彼だよ彼。んー、名前は何だっけ。出てこない。ビジネスの才能がサッカー以上らしいから、試合中継とは別の場で活躍しているんだろうが・・・

(2日目) そうそう、下の名は確かケイスケというんだった。ケイスケといえば、桑田佳祐(1956~)=写真②=だ。人気が出始めた頃は、日本語の変な発音が耳障りだったが、産経新聞(当時はサンケイ新聞)の記者仲間に彼の歌まね名人がいて、その影響で桑田&サザンの歌に開眼した治五郎であった。しかしサッカーのケイスケの姓は?

(3日目) そうだ、大手自動車メーカーと共通する名字なのだ。トヨタじゃない、マツダでもない、スズキでもない。(ここまで来ても、まだ思い出せないのである)

昔懐かしい漫才の鳳啓助(1923~1994)=写真③の左側=までが脳裏に浮かんだが、ワシのボケもそこまでは進んでいないらしく(自動車関係に戻った方がいい。さもないと迷路から抜け出せなくなる)と直感した。そして天啓は、突然やってくる。

あっ、ホンダだ! 本田圭佑だ! 九死に一生を得た気分であります。

それで「かのこ」を抱いたあとはどうしたかというと

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バスに乗って東武東上線成増駅まで行き、電車で1駅の下赤塚に降り立った。駅前の商店街=写真=に来たのは1年ぶりだ。

治五郎は2011年春、3・11東日本大震災の直前に現在の妻アルタンのアパートに転がり込み、13年春の退職・離婚・再婚・都落ちまで2年と少々、特に〝激動の4か月〟をこの街で過ごしたので、とても懐かしい。

当時たいへん世話になった「鳥茂」(居酒屋ではなく鶏肉等販売店)に顔を出すと、土曜日の夕方だから経営者のM男・K子夫婦も、息子の嫁さんも忙しそうだ。

人の迷惑も考えずに(いや、考えはしたのだが)、作業場に通されて焼き鳥と焼酎をいただく。ワシにとっては帝国ホテルのフルコースより舌に合っていて、旨い。

このような者にも孫が生まれたという報告をしたら皆、最初はポカンとしていたが事情を聞いて一応、納得したようだ。

人生いろいろ。笑って呑み込んでくれる人の存在は、ありがたい。

初対面で「かのこ」という女を抱いてしまった私

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あるいはショッキングなタイトルを掲げたかもしれないが、ご心配なく。決して、そのような話(どのような話だ)ではないのです。

 だく【抱く】㊀かかえるようにして胸もとに持つ。「人形を抱いて寝る / よしよしと言って抱き上げた / とりが卵を抱いて〔=あたためて〕いる」  ㊁「男性が女性と同衾する」意の婉曲表現。「抱いてちょうだい」

しかし「抱いてちょうだい」なんていう例文を辞書が載せるかなあ。それはさておき、治五郎が「抱いてしまった」のは言うまでもなく(言うまでもなきゃ言うな)、㊁ではなく㊀の意味に於いてである。

かのこ(花乃子)というのは今年四月に生まれた女児の名であり、治五郎にとっては初孫に当たる。(抱いて悪いか)

きのう土曜日、妻のアルタンと一緒に家を出た。正午に西武池袋線大泉学園駅前にある「あしたのジョー」像=写真=の前で息子のK太郎(39)と落ち合い、バスで数分の自宅マンション(賃貸、4階)へ。

K太郎は両親の不仲(のち離婚)という経験があるので、ワシとの距離感には微妙なものがある。妻のM子がいなかったら、父子の連絡も途絶えていたのではないだろうか。

居心地の良さそうな部屋には、ユーミンの懐かしい名曲の数々が流れている。こういう音楽を聴いて育った子には、ま、大過ないだろう。

 衰えの目立つ祖父が、花乃子に指を握られながら聴いていたのは中島みゆきの「誕生」や「時代」だった。

前者にいわく「生れてくれてありがとう」、後者にいわく「めぐるめぐるよ 時代はめぐる  別れと出会いをくり返し」

うん、そういうことなんだよなあ。(続きは、また)

 

 

笑ってしまった「人生案内」

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写真は、ひとまず置いといて。

今朝の読売新聞「人生案内」欄の見出しに「主治医が私に『腹黒い』」とあるので、何ごとかと思って読んでみた。

相談者は熊本・G子さん(70代主婦)。通院治療中の主治医が同郷人で信頼していたのだが最近、こう言われたという。「どれだけ腹黒いか、今度エコー(超音波)検査や大腸ファイバースコープ胃カメラで見ましょうかね」

「看護師さんもいる場で、同じことを3度もです」とG子さんは憤慨する。「家族にも誰にも言えず、胸の中に納めています。今後どんな顔をして先生の前に行ったらいいでしょうか」

回答者(作家の眉村卓)は、まじめに応対している。「お医者さんは軽い冗談を口にしたに過ぎないと私は思います」「気になさることは何もないと考えるのですが、いかがでしょう」

治五郎が思うに、これは冗談の下手な医者と、シャレの通じない患者によって現出したファース(一幕の喜劇、笑劇)、いや悲劇である。

医者の方は、日テレの「笑点」で腹黒キャラクターを演じている三遊亭円楽師匠=写真=あたりを意識したのではないだろうか。受けを狙ったのだが当のG子さんには全く通じず、聞き慣れている看護師たちは「またか」とウンザリしたに違いない。

高齢者医療の現場では日常茶飯事とも推察されるが、これは「人生案内」が取り上げるべき内容だろうか。投稿件数がよほど減っているのだろうか、と心配になった。