夏場所を前に「惻隠の情」を覚える

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この半年間というもの、治五郎が愛する大相撲の世界は元横綱日馬富士事件をはじめ、魔が差したかのように相次ぐ不祥事に見舞われている。

良くも悪くも「伝統」でガンジガラメの角界ーー。

【雁字搦め】〔「がんじ」は、動かないように堅く締める形容。「かっちり」と同源〕▵ひも(縄)を縦横に幾重にも巻きつけて、動けないようにすること。〔行動の自由が奪われる意にも用いられる。例、「義理と人情のー」〕

その世界は、力士や親方だけでなく行司・呼出・床山らが生活の糧を得る場でもある。彼らは、早ければ中学を出てすぐ15歳で就職するが、原則として年功序列だから出世は実力と関係ない。結びの一番に関われるようになるまで、40年はかかる。

行司に例を取ろう。若いうちは、ちゃちな装束と烏帽子・軍配こそ与えられるが足元は(長い年月にわたり)ハダシである=写真左=。

土俵上の裁きとは別に、当番制で場内アナウンスも担当する=写真右=。放送席は向こう正面の西方花道の近くにあり、ワイシャツにネクタイ姿だから誰の目にも行司には見えない。

若いから、いろいろな災難にも見舞われる。宴会で泥酔した偉い行司(式守伊之助)から無理やりキスされたり、巡業先で緊急事態に女性看護師が土俵に上がったのに動転して「女性は下りてください」とアナウンスしてしまい、世間を騒がせたり。(どちらの出来事も、上掲の写真とは関係ありません)

相撲が好きでならないのに体格などの理由から力士にはなれず、〝裏方〟の道を選んだ若者たちを待ち受けるイバラの道・・・治五郎は惻隠の情を禁じ得ないのだ。

【惻隠】〔「惻」も「隠」も、傷む心の切なる形容〕同情する気持をいだくこと。「-の情」

13日から夏場所だ。相撲ファンよ、傷む心と同情する気持を忘れまい。

〝同い年〟の映画「地獄門」を見る

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「治五郎さんも、少しはアンチエージングということを考えてみたら? 白髪を染めるとかシワを延ばすとかシミを取るとか」

「め、滅相もない。そんなことだけはしたくない。断固、拒否するよ」

【アンチエージング】〔anti-aging〕加齢による老化防止。多くの場合、若返りを目的にした医療・美容・整形などに対して言われる。

 1953年公開の日本映画に「地獄門」=写真=がある(監督・衣笠貞之助、出演・長谷川一夫京マチ子ほか)。総天然色(カラー)作品の草分けで、カンヌ映画祭のグランプリに輝いた名作である。

平治の乱の時代、遠藤盛遠という平家方の武士(のちの文覚上人)が、人妻である袈裟(けさ)に懸想し猛アタックする(ほとんどストーカー)のだが、最後は夫と間違えて彼女を殺してしまい、頭を丸めて仏門に入るという有名なストーリーだ。

65年前の映画だからフイルムの劣化が激しく、6~7年前にNHKの技術でデジタル復元され放映された。いま無料動画GYAO! で見られるのを知って、見た。文覚という怪僧は「平家物語」でも特異な位置を占める人物だから、ワシなどには興味津々だ。

それにしても、戦後わずか8年にしてこんな映像美を生み出した日本映画の底力を感じさせる。それを出来立てホヤホヤのようによみがえらせた〝アンチエージング〟の技術にも脱帽するしかない。

だが、しかし。自然体を全うしたいワシは「アンチエージング」は嫌だよ。「エージング」がいい。

エージング】〔aging=年をとること〕㊀加齢。老化。㊁酒やチーズなどの熟成。ねかし。

 

顔と名前をセットで覚えられないという障害

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今を時めく美男・美女(だという)。写真を見た若い人で、どちらをも知らない人がいたら日本人ではないとさえ言われる(ほんまかいな)。

左が菅田(すだ)将暉クン、右が長澤まさみサン(まさか逆が正解ということはないよね)。治五郎としても、二人を美男美女と認めるにヤブサカではないし、演技力があってスキャンダルはないようだから、人気絶頂であることに何の文句もない。

ただ、ここに一つ問題がある(ワシだけの問題)。

名前を聞いても顔がパッと思い浮かばず、顔を見ても名前がすぐには出てこないのだ。「んーっと、ほら、アレだよアレ」状態が何日も続く。これは結構、つらい。

長澤サンが出ているキンチョー「虫コナーズ」のテレビCMがありまっしゃろ? ワシは昔から殺虫剤のCMには相反する二つの感情を抱き続けている。

「面白いんだが不快感を覚える」「嫌なんだけど、つい見てしまう」

先生、どうしたもんでっしゃろ? (どうもならんて)

物事には多様な側面がある

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「今日は何の日?」と5月5日に聞かれたら、普通は「こどもの日」「男の子の節句」=写真は鯉のぼり=と答えるだろう。5日早朝、そう聞かれたのでそう答えたが、相手が確認したがっている正解は違うらしい。「待てよ、誰かの誕生日だったかな?」

これも違って(違っているわけではないのだが)、求められている答えはなんと「燃えないゴミを出す日」なのだった。このように、物事は常に多面性を帯びている。

「雪が解けたら何になる?」と聞かれれば、大人は「水になる」と答えるのに対して、子供は「春になる」と答えるそうで、発想力の柔軟さにおいて大人は子供に敵わないということの実例として、よく引き合いに出される。

この場合、質問を「雪がー」ではなく「雪はー」で始めていたら、正解は「水」であって「春」は間違いということになる。助詞の「が」と「は」は、そこに大きな違いがある。(少し難しくなるが、大事なことなので日本語学習中の留学生諸君は留意せよ)

そもそも「-が」は格助詞だが、「-は」は副助詞に分類される。ワシは高校生の頃、この事実を知ってビックリ仰天した記憶がある。では格助詞と副助詞の違いは何かと言うと・・・ああ、面倒になってきた。(体だけでなく頭も疲れやすくなっているのだ)

若くて向学心の旺盛な留学生諸君は、面倒がらずに新明解国語辞典で「格助詞」と「副助詞」を比べてみて下さい。納得してスッキリできるか、それとも混乱して日本語が嫌いになるか、それは治五郎の知ったことではありません。あしからず。

 

 

誰が「選ぶ」のか。面白くない!(続き)

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「続き」を書く気はなかったんだが、ブログで「ノーベル平和賞の選ばれ方が気に食わん!」とイチャモンをつけた数時間後、今度は「ノーベル文学賞の公表見送り」というニュースがネット上で流れた。

「治五郎日記」は最近、このように類似事件(ではないが)関連事項をめぐって新しいニュースを誘発する傾向が見られるので、数少ない読者の皆さんは、よほど気をつけなければならない。(しかし何にどう気をつければいいんだ)

<【パリ=作田総輝】ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーは4日、今年の文学賞の公表を見送ると発表した。 アカデミーの会員を妻に持つ写真家にセクハラ疑惑が浮上したことを発端に内部対立が激化し、会員が相次いで辞任するなど混乱が続いていた。>(©読売新聞)

よく分からない。アカデミーの女性会員の夫がセクハラ男だと知れれば、その年のノーベル賞は流れちゃうのか。しかし記事の続きをよく読むと、事態はもっと複雑らしい。

過去の日本人受賞者=写真=の思いも複雑だろうが、賞を創設したノーベルさんの思いや、いかに。ワシの正直な感想は次の通りだ。

「自然科学系と違って評価に客観的基準のない平和賞を無くしたら、次は文学賞を無くした方がいいんじゃない?」(昨年の受賞者カズオ・イシグロさん、ごめんね。10年以上前に読んだ「日の名残り」は結構、好きでしてん。内容は忘れかけてるけど)

 

 

 

誰が「選ぶ」のか。面白くない!

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<政府に4日入った連絡によると、長崎、熊本県文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関は世界遺産登録をユネスコに勧告した。>©読売新聞

勘違いする人がいるから、いちいち断らなければならないのが忌々しいが、治五郎は何も「世界遺産」そのものが嫌いなのではない。今回の対象に含まれる熊本県天草市の崎津教会=写真=などは、一度行って強く魅了された。

地味ながら、キリシタン迫害の歴史が凝縮したような「気配」が立ち込めている(と感じられる)。日本で18件目になるとかいう文化遺産登録に、ワシが異を唱えるたりするはずもない。地元は大喜びだろう。しか~し。

Aが当選(合格)すれば、Bは落選(落第)するのが世の定め。「禁教時代の苦難」をあまり感じさせない教会建築などは対象から外された。地元はガックリだろう。

文化遺産は、パリに本部がある「国際記念物遺跡会議」(イコモス)が登録を勧告するそうで、各自治体は勧告を目指してイコモス相手に猛烈なPR合戦を繰り広げる。登録が実現すれば観光客が殺到し(長くは続かないが)、莫大な増収に直結するのだ。

この現象は、しかし「文化」だろうか。「文化」の反対語はすぐに思い浮かばないが、どうも、誰が何をどうやって選んでいるのかがワシには納得いかない。

同様の疑問は、ほかにいくらでもある。例えばノーベル平和賞ね。

文在寅と(あろうことか)金正恩と(あってはならないことに)トランプ大統領が有力候補に挙がっているという。〝世界の終わり〟が、いよいよ目前に迫っているような気がしてならない。(ワシは、昔から平和賞の即時廃止論者なんだけどね)

しばらく落ち着いていた血圧が、また上がり気味だ。しばらく控えめにしていた酒の量も、多少は増えるかもしれない。アルコール依存症に気をつけないと。(泥酔して強制わいせつ罪を犯す恐れはありませんが)

「隠」の付く境遇の私とお巡りさん

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【隠居】仕事や生計の責任者であることをやめ、好きな事をして暮らす▵こと(人)。〔狭義では、(定年後の)老人を指す〕「楽ー・-仕事・-所」

【隠棲】俗世間から▵離れ(隠れ)て、静かに暮らすこと。

【隠遁】俗世間との交渉を絶った状態で生活すること。「山奥のー生活」

治五郎は、1年365日が連休みたいな身の上であるからして、ゴールデンウイークの谷間と聞いてもピンと来ない。その谷間に、「山口容疑者」改め「山口メンバー」改め「山口さん」を巡るTOKIOの記者会見を見ていると、警察が来た。用件は、任意同行や家宅捜索ではなく「巡回連絡カード」の記入である。

隠れて静かに暮らしている者としては居留守を使いたいところだが、妻が応対に出てしまったのでカードを書かされる羽目になった。(ワシは手で細かい文字を書けなくなって久しいから、妻に書いてもらった)

熊野前交番」の奥島という名のお巡りさんで、ワシとは同郷の青森県出身らしい=イラストは警視庁のシンボルマスコット「ピーポくん」=。

最近は荒川区民も世代を問わず単身者が多いから、お巡りさんも仕事が多くて大変らしい。地域の治安に対する貢献度において、世界でも名だたるニッポンの交番である。緊急時の連絡先なども確かめてから「戸締りを忘れないで」と言い残して去った由。

ワシも顔を出して「お茶でも飲んでいかないかね」と声を掛けたい気分になっていたのだけれど、それは迷惑だろうからやめておいた。

ナガサキ恋しやホーホケキョ

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 長崎と言えば卓袱(しっぽく)料理=写真左=ということになっているそうだが、少食の治五郎はこういうものに興味を持ったことがない。見ただけでゲップが出る。第一、胃袋に酒の入る余地がなくなるではないか。

この県とは妙に相性が良くて都合10回以上は出張したのではないかと思うが、そういう次第で卓袱料理とは未だに縁がない。

最初か2回目かに行った時、(いきさつは忘れたが)ちょっと変わったカナダ人と知り合って仲良くなった。京都の禅寺で修行を積んだバークガフニという男で、当時は長崎市の嘱託職員だった(その後、地元の大学の教授になったようだ。ワシとは頭脳の出来が少し違うのだ)。

「長崎という土地の文化を食べ物に例えたら何だと思いますか?」

「オー、難しい質問ですね」

「カステラ?」

「ノー」

「卓袱?」

「ノーノ―」

「チャンポンとか」

「うーん。近いけど、ノー」

「じゃ何よ」

皿うどんじゃないでしょうか。西洋だ東洋だ、大陸だ島国だという狭い発想がない。目の前にあって、うまければ何でもアリという思想を感じます」

この言葉に、ワシは激しく打たれた。 

東北人の常識からすれば、皿うどんという食品は「うどん」という概念の外にある。こんな、干からびたインスタントラーメンみたいなもん、子供のオヤツじゃあるまいに。

東日本では今でも、皿うどん知名度は低いようだ。「うどん」と認めたくないのだ。

しかし、あれはうまい! 最近、隅田川を隔てた足立区の大型スーパーまで足を延ばしたら「長崎 皿うどん」=写真右=が置いてあった(製造者は福岡市の「マルタイ」)ので、矢も楯もたまらず買ってきた。

野菜やエビ・イカ(冷凍食品で可)を用意し、あんかけスープを熱してかけると硬かった麺が徐々にクターッとしてきて、その様子が何というか、いとおしい。不穏当な表現かもしれないが、いい女が酔った時みたいとでも申しましょうか。

【不穏当】物の考え方が極端であったり表現したところが事実と異なっていたりして、だまって見過ごすわけにはいかないという印象を与える様子だ。「殺すの死ぬのとーな発言は慎むべきだ」

では、いただきます。(う・・・うまい!)

 

残念でした、日本のパピヨン

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1970年代前半のアメリカ映画に「パピヨン」がある。S・マックイーンとD・ホフマン=写真=が、命がけで「逃げる」男を演じたエンタテインメントの傑作だ。

なぜ治五郎が今ごろ「パピヨン」を思い出したかというと・・・。

愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から平尾龍磨たつま受刑者(27)が脱走した事件で、広島県警は30日、広島市南区の路上で22日ぶりに平尾容疑者の身柄を確保し、単純逃走容疑で逮捕した。

 平尾容疑者は、広島県尾道市向島むかいしまの空き家に潜伏した後、「24日に泳いで対岸に渡った。電車で広島まで移動した」と供述しているという。愛媛県警などが逃走経路を調べている。>(Yomiuri Online より)

 尾道なら、ワシは仕事で二度ほど行ったことがある。作家・林芙美子と、小津安二郎監督の映画「東京物語」に敬意を表しての取材だったが、印象的なことが三つあった。①向島との間の海が狭く、川に見える ②空き家(廃屋)が多い ③野良猫が多い。

平尾という男は凶悪犯ではなく卓抜した技術を持つドロボーで、刑務所が「塀は要るまい」と認めた模範囚だった。ワシは(塀の中で暮らした経験こそないが)いろんな所から逃げてきた経歴の持ち主なので、ほんの少しだが(おい、平尾とやら、逃げ切れよ)と内心、声援を送りたい気持ちがあったことを告白するにヤブサカではない。

パピヨンは最後、海に飛び込んで自由を手に入れるのだが、平尾受刑者(今じゃ再び容疑者)の場合は悪運が尽きた。24日だかに「泳いで対岸に渡った」時、彼の心中に去来したものは何だったのだろうか。衣類(一部は盗品)は、忍者みたいに頭の上 に乗せて平泳ぎで渡ったのか。

治五郎には、汲めども尽きぬ興味が湧くのである。

 

時代劇は韓流の方が面白い

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①奇皇后 ②仮面の王 イ・ソン ③オクニョ 運命の女。いずれも、何年か前に韓国でヒットしたTV時代劇だ。再放送だか再々放送だか知らないが、NHK も民放も(BSなどで)繰り返し放映している。何度やっても、そこそこの視聴率が稼げるのだろう。

治五郎のことだから、そんな風潮を「フン」と鼻で笑っていると思うでしょう。ところが、そうじゃないんだな。韓流時代劇は、面白い! なぜだろう。

 日本では、映画も含めて時代劇の凋落が言われて久しい。現在の連続時代劇といったらNHKの大河ドラマぐらいのもので、昔の「木枯し紋次郎」「子連れ狼」「大岡越前」「水戸黄門」など、ゴールデンタイムには毎日どこかの局で人気時代劇を放送していた頃を思えば隔世の感がある。

ワシの独断と偏見によると、時代劇をめぐる日韓の違いは「国の勢い」と関係がある。韓国が壮年期にあるのに対して、日本は総じて高年というか更年期に入りつつあるのではないか。

 【高年】どんな点から見ても若いとは言えない年齢。〔老年の婉曲表現〕「中ー層・-就職者」

【更年期】〔「更」は、新たな段階へ移行する意〕人、特に女性が成熟期を過ぎ老年期にさしかかり、生理機能に種種の変化が生じる時期。「-障害」

ワシのように、男だが更年期を卒業したかに見える韓流ファンにとって、今春の日曜日はなかなか忙しい。午後7時から(上掲の写真で)①(BS日テレ、各2回分)、9時から②(NHKのBSプレミアム)、11時から③(NHK総合)と続くからだ。

みんな違ってみんな面白いので見逃せず、飯を作るのも食うのも10~11時の間に済ませなければならない。

しかし一晩に三つのドラマを見ると、ストーリーや登場人物が頭の中で入り乱れてナニガナンダカ分からなくなってくることがあるのも事実。

「いいね、年寄りは暇で」と言いたきゃ言いなさい。高年はつらいよ。