芥川龍之介と内田百閒

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今期の芥川賞高橋弘希送り火」が受賞した。パクリ疑惑の北条裕子「美しい顔」は選考会で、やはり最初に落とされたようだ。

高橋という新人は青森県十和田市)の出身で、受賞作の舞台も青森の田舎町という設定だそうだから、治五郎が関心を持つに違いないと人は思うだろうが、どっこい、そうはイカせんべい。

【どっこい】〔「どこへ」の変化〕㊀力を入れて物を持つ時などのかけ声。㊁相手の行動を、そうは▵行かないぞ(やらせないぞ)とさえぎる時のかけ声。

大型書店に受賞作が平積みにされ、猫も杓子も群がる光景を見るのはワシの好むところではない。読むことがあるとしても、三年以上は後のことになるだろう。(そんな先まで生きているだろうか、いや、そんなはずはない)

芥川賞の季節にワシが何をするかというと、芥川龍之介(1892~1927)=写真左=の小説を何編か読み返すのである。「トロッコ」「鼻」「河童」などは子供時代から何十回読んだか知れないが、今回は「蜜柑」に、また感泣させられた。  

 <芥川君が自殺した夏は大変な暑さで、それが何日も続き、息が出来ない様であった。余り暑いので死んでしまったのだと考え、又それでいいのだと思った。原因や理由がいろいろあっても、それはそれで、やっぱり非常な暑さであったから、芥川は死んでしまった。>

これは、わが内田百閒(1898~1971)が後年、芥川を追憶した文章の一節。二人は親友というほどではないが、同じ漱石門下の中でも互いを理解し認め合う仲だった。芥川は、山高帽を気に入っている百閒を「怖いよ、怖いよ」と言っていた由。

その「怖さ」を漫画で表現した芥川の「百閒像」=右=も残っている。両文豪の、常人にはちょっと理解の及ばない〝狂〟の部分をかいま見るようで、なかなか怖い。

芥川が田端の自宅で薬を飲んで自殺したのは、昭和2年7月24日のことだが、百閒はその二日前にも訪問している。(要件が借金だったかどうかは不明)

今年の夏の暑さは、芥川作品を読み返すのに適している。百閒が言う通り、自殺の動機は「暑すぎること」だったのではいかと思えてくるのである。

 

いつも断片的ですが、モンゴル語の豆知識

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 そう嫌な顔しないでよ。読者には全く何の役にも立たないことは承知しているが、これも縁(というか悪縁)のうちだと諦めて読み流してほしい。

【悪縁】㊀〔仏教で〕悪い結果をもたらす外的条件。㊁(かつて愛し合った)男女の間柄。

へえ、㊁は知らなかったな。

ドイツ語に男性名詞・女性名詞・中性名詞があることは、よく知られている。あれが面倒だから大学でドイツ語を選択しなかった、という人を何人か知っている。

モンゴル語の場合、名詞に性別はないが「母音(ぼいん)」に「♂」と「♀」と「どっちでも」の3種類がある。

難しい理屈は省く(実は知らない)が、ごく大雑把に言うと「アとオは♂、ウとエは♀、イはどっちでも可」である(というのが、治五郎の浅い認識)。

一つの単語の中に、♂母音と♀母音が混じることはありえない(どっちでも可のイが混じるのは、問題ナッシング)。これを「母音調和」という(ようだ)。

現代日本語の母音はア・イ・ウ・エ・オの5種だが、昔はもっと多かった。ヲ(を)やヰ(ゐ)やヱ(ゑ)が、その名残である。

日本人には「お」としか聞こえないモンゴルの「オ」には3種類あって、ワシには何年たっても区別できない。それはさておき・・・(逃げたな)。

モンゴル人の耳が「変だな」と感じる言葉と、そうは感じない言葉があるはずだ。

「感じない」(kanjinai)に登場する母音はア・イ・ア・イだから、OK。「変だな」(hendana)は「E・A・A」だから違和感あり。

ここまで一応、理解しましたか? (案外、モンゴル人が首をひねってる)

では簡単な応用問題。次の固有名詞のうち、モンゴル人が耳で聞いてピンと来ないのは何番と何番と何番でしょう。

 ①安倍 ②田中 ③福島 ④井野 ⑤鳴海 ⑥青森 ⑦徳川 ⑧永井

もう分かりますね? 母音調和がとれているのは偶数、とれていないのは奇数の固有名詞だ。

母音調和を重んじる国民性に、ワシは「混ぜご飯」=写真=のイメージを重ね合わせることがある。好き嫌いのない〝雑食系〟のワシではあるが、「これとこれを一緒にすべきではない!」と感じることがある。

モンゴルの母音調和に抵抗がないのは、そこに理由があるのかもしれない。( だから、どうしたというのだ)

すっぽんぽんで「冷し肉味噌担々麺」を食う

 

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朝起きて、こういうことに気づいた。

「クーラーをつけっ放しにしないと命にかかわる危険な暑さ、という時に家の中で、来客中でもないのに服を着て過ごす必要がどこにあるか? 不合理ではないか」

治五郎は、思いついたら可及的すみやかに改善する主義である。今日は一日、すっぽんぽんで過ごすことにした。

【すっぽんぽん】「すっぱだかの状態」の俗称。

【素っ裸】〔「素裸」の強調形〕普通なら身につけている物を、すっかり取ってしまった状態。〔無一物の状態、胸中になんら包み隠すところのない心境のたとえとしても用いられる〕「―になって冷水摩擦をする/上半身ー」

 ちなみに以前、サンド会の常連客が「フルチンとフリチン、正しいのはどっち?」と悩んでいたが、ついでだから新解さんの見解をお伝えしておこう。

【ふるちん】「男が陰部に何もおおっていない状態」の意の俗語的表現。ふりちん。〔古くは「ふりまら」〕

どっちでもいいのである。実行してみると案の定、きわめて快適だ。

きょうは仕事が休みの妻が、昼に出かけたと思ったらセブンイレブンで見慣れない昼食=写真=を買ってきた。新商品だが、かなりの売れ行きらしい。

  • 426円(税込460円)
  • ・全国(新潟、北陸除く)
食欲をそそる、冷し肉味噌担々麺です。つるみと食感のよい三層麺に、芝麻醤と2種類の練りごまのコクを加え、唐辛子、ラー油、山椒の辛味が効いたスープで仕立てました。肉味噌、トマト、玉ねぎ、水菜、もやし、きくらげ唐辛子ごま油和え、アーモンドを彩りよく盛り付けました。
 
 麺も肉味噌もスープも申し分ないが、付属の山椒がシビれる。心憎い。全体によく冷えてもいるので、体感温度がだいぶ下がった。
すっぽんぽんと「冷し肉味噌担々麺」、熱中症予防に効きます。

①日射病 ②熱射病 ③熱中症 その違いは?

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国語辞書ともなれば、この三つをキチンと区別して説明しなければならないようだ。

①【日射病】太陽の強い直射光線を受けて頭痛・めまいなどを起こして意識がなくなる病気。⇒熱射病・熱中症

②【熱射病】高温多湿の場所で、体温の調節が困難になって起こる病気。日射病に似ている。⇒日射病

③【熱中症】高温・高熱にさらされるなどのために起こる病気。頭などが痛み、卒倒する。死亡率が高い。

この新解さんの解釈を、治五郎の私情は挟まず冷静・客観的に分析してみよう。

①の原因は「太陽光線」に尽きる。②は①に「似ている」が、太陽光線よりも「体温調節の困難」がポイント。これに対して③独特の怖さは「卒倒」と「死亡率」にある。

【卒倒】〔脳貧血・脳出血などのために〕突然意識を失って倒れること。

今日の午前中を、ワシは病院で過ごした。熱中症のため救急車で緊急搬送されたわけではなく、2~3か月に一度の検査・診察を受けるためだ。

廊下で待たされる時間が、いつもより短い。ご近所同士らしい80代の婆さんの会話が、よく聞こえる。

「暑いねえ。あたしゃいつまで通院しなきゃならないのかねえ」

「私もだよ。もう父ちゃんは死んだし。いつまで一人で生かされるんだか」

「今日はMさん、来てないね。暑さで死んじゃったかな」

ワシは歩いて病院まで行くのに10分、帰るのに10分だから恵まれた方だが・・・行きはよいよい帰りは怖い。自室に帰り着いた時は卒倒寸前。借りていた本を返しに図書館へ行こうとして部屋を出たら「身の危険」を感じて引き返した。

NHKが「室内では必ずクーラーをつけましょう。できれば扇風機の併用も」と、電力会社や電機メーカーのCMを流し続けている。何かヘンなような気がする。

ワシが就職する以前の新聞社ではクーラーなんかないから、大きな氷の柱=写真=を大部屋の真ん中に置いていたという。それで死んだ記者がいたという話は聞かない。

どうして日本人は、100年か200年の間にこれほど脆弱な体質になったのか? そこんところをワシは知りたい。

行っといで、沖縄

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モンゴルから来日中の義妹バルジンが、16日(月)から来月下旬まで沖縄=写真=へ行く。モンゴルで日本語を勉強している中高生が20人ほど、研修というか修学旅行というか、よりによって沖縄に長期滞在するという。いい時代になった。

引率教師がいるから、あまり心配しなくていいのだが、なにしろ日本は初めてという中高生20人だ。ヒツジを柵の中に追い込むのとは別な技術と人手が要る。とは言え人件費は、なるべく抑えたい。それでバルジンの出番となったのだろう。

モンゴル人の少年少女が沖縄へ行ったら何を感じるか。当ててみましょう。

「へえ、海というものの広いことと言ったら、まるで草原みたい!」

東京や大阪で何週間か過ごした経験のある子なら、こうも感じるに違いない。

「沖縄の人は日本人なのに、時間の観念がモンゴル人にそっくりだ。予定が1時間や2時間狂っても、まったく気にしない」「外国から知らない子供がたくさん来ても、自分の子や孫が訪ねてきたような歓待ぶり。僕の田舎の祖父母と同じだ」

彼らは馬頭琴の腕前も相当なものらしいから、沖縄の三線(蛇皮線)と共演する場面もあるだろう。こうして彼らはオキナワが大好きになる。いやぁ、いい時代になった。

今日は午前零時から2時まで、W杯の決勝(フランス 4-2 クロアチア)を見たもんだから、バルジンの義兄(ワシ)はグッタリしているのだが、平気を装って6時前に起き、夫婦で羽田空港まで見送りに行ってきた。

(ワシはこう見えても気配りの人なので、100円ローソンに寄って税込108円のビーチサンダルを買い与えることも忘れなかった。後で気づいたが、ワシが108円を支払ったわけではない)

現役記者時代に100~200回は利用しているはずの羽田空港だが、5階の展望デッキで飛び立つ飛行機を見送るのは実に久し振りだ。炎天下、熱中症寸前まで頑張ったが、次々に離陸するANA機のどれにバルジンが乗っているかは確認しようもなかった。

とにかく、無事でな。(あ~眠い。寝ます!)

 

 

 

 

今場所で優勝する力士の切ない未来

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今から20年後のNHK大相撲中継。実況中継は新米のK・Yアナウンサー、解説役のゲストは杵柄(きねづか)親方である。

【杵】〔「ね」は、もと接辞〕▵穀物(蒸した米)などを臼に入れてつくための用具。

【杵柄】杵の柄(エ)。「昔取ったー〔=昔鍛えた腕に(今も)自信のあること〕」

K・Y「親方は、え~っと幕内最高優勝を遂げた経験をお持ちなんですね」

杵柄「・・・はい、まあ」

K・Y「いつでしたっけ」

杵柄「平成30年の名古屋場所

K・Y「あ~、あの有名な!」

杵柄(ムッ)

K・Y「横綱が3人いるうち稀勢の里が最初から休場、序盤で白鵬鶴竜も休場して新大関栃ノ心まで休場。残る2大関は、豪栄道も高安もカド番。私は小学生でしたが、クラスの皆は〝本命不在の二軍場所〟と悪口を言ってました。いや、私は言ってませんよ。ああ、あの平成最後の名古屋場所で優勝なさったんでしたか、杵柄親方は」

杵柄「・・・おい、ちょっと表へ出て涼んでこようか」

K・Y「いや、放送中ですし外は暑すぎますから」

だれが優勝することになるか、今はまだ誰にも分からない。が、優勝した力士(のちの杵柄親方)が20年後、つらい思いを強いられはしないか。治五郎は、そこまで忖度してしまう性格なのだった。

 

治五郎日記の1年 ~歪んだ時計~

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どう~しても、1年が過ぎたとは信じられんのですよ。

サンド会(第三土曜)の当日、常連の加藤画伯に少し早めに来てもらい、ブログ開設の一切を取り仕切ってもらったのは今年の1月か2月のことのような気がしていたが、それは1年前の7月15日の話だった。( ナンタルチア!)

人間は、ある時期を過ぎると時間の流れ方が激変する。不謹慎な物言いかもしれんが、豪雨被災地の川にも似て「いきなり暴れだす」のだ。

サルバドール ダリの芸術=上=がワシにはよく理解できていないのだけれども、彼が描いた時計の歪みには妙~に引き寄せられる。「うん、時間ってこういうものだ」と。

「この1年」を他の年と区別するのは結構、難しいことのような気がする。当ブログは性質上、ずいぶん昔の話が頻繁に紛れ込むので一層、時計の歪みに拍車がかかるのだ。読者諸賢の場合、いかがなもんでしょうか。(如何せんイカせんべい)

「扇風機」と寿命を競うかどうか

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 妻のアルタンと、来日中の妹バルジン(合わせるとバルタン)が、扇風機=写真=を買ってきた。隅田川の向こう(足立区)にある大型家電店までは片道10分以上、治五郎が荷物を持って歩いたらヘトヘトになるが、アラフォー姉妹は平気の平左だ。

【平気】いかなる外的事情にあっても気にすることが全く無く、悠然として平常心を失わない▵こと(様子)。「-を装う」「ーの平左〔=平気の擬人化した表現〕」

 ワシが扇風機というものを初めて購入したのは、20歳の貧乏学生時代。全く陽の当たらない4畳半(家賃6000円)にクーラーなどは付いていないので、おもちゃみたいな扇風機を買ったのだが、音がうるさかった。戦闘機「ゼロ戦」に乗っている気分だ。

当時に比べると、今どきの扇風機(日立製)は凄い。まず、音がほとんどしない。首振りの角度やタイマーなど、細かい設定も簡単に出来る。「ワシのような者には、もったいない」と、あちこちいじっていたら、こんなシールが貼ってあるのに気づいた。

<製造年:2018年

 設計上の標準使用期間:10年

 設計上の標準使用期間を超えて使用されますと、経年劣化による発火・けが等の事故に至るおそれがあります。>

寿命10年、というわけだ。となれば、ある連想が働くのは自然の成り行きだろう。扇風機の寿命と治五郎の余命、どっちが長いか?

「こんな機械に負けてちゃダメよ」と二人の女は言ってくれるのだが・・・ワシの場合は<経年劣化による事故>が、きょう発生しても全く不思議ではない。

薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 (北原白秋

胸に手を当てて「人口と増減数の推移」を見る

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総務省の発表によると、日本人の人口は今年の元日で1億2520万人。2009年をピークに9年連続の減少で、減少幅は調査が始まって以降、最大となった。

調査開始以降、昨年の出生者数は94万人台と最も少なく、死亡者数(134万人台)は逆に最多だった。

深く考えてみるまでもなく、当然の結果であろう。結婚する人も子供を生みたいと思う人も少なくなったから出生者数は減るし、超高齢化が進んだとは言え「お迎え」の来ない人はいないから死亡者は年々、着実に増える。

これを、治五郎自身を取り巻く現実に引き付けて考えてみよう。

ワシの両親(90代)はどちらも9人きょうだいだが、昔はそれが普通だった。戦後、結婚して生まれた子は3人(ワシ、妹A、妹B)。そのうちワシは先妻との間に息子と娘(どちらも今は30代)を成したが、結婚した息子に子供(ワシから見て孫)はいないし、娘は未婚。妹Aは晩婚で子宝に恵まれなかったし、妹Bはずっと独身だ。

ワシの周りの環境は〝ネズミ算の逆〟とでも言おうか、まるで絵に描いたような「少子高齢社会」の縮図の観がある。しかし、このような日本国の現況は前々から予想されたことであり、誰にも今さら当事者を責める資格はないと思う。

懸念されるのは、運転免許なども取り上げられた老人が家や施設から一歩も出歩けなくなって何十年も「お迎え」を待たなければならなくなったり、結婚しない人や子供を生まない人が非難がましい目で見られ続けるような風潮だ。

<電信柱が高いのも、郵便ポスト=写真はレトロタイプ=が赤いのも、みんな私が悪いのよ>と、イジケる人が増えないことを願うばかりだ。(ワシは少~しイジケとる)

半世紀前のサッカー少年の現在

f:id:yanakaan:20180709060038j:plain ②f:id:yanakaan:20180709060107j:plain ③f:id:yanakaan:20180709060657j:plain

 「おお、エウゼビオ=写真①=じゃないか! 懐かしいな」

「誰ですか、それ」

「本当に知らんのか? オイセビオとも読んだ。南海の黒豹だぜ」

「南海の黒豹と言ったら、大相撲の若島津じゃないかなあ。今の二所ノ関親方

「あ、南海じゃなかった、ポルトガルの黒豹だ」

「サッカーのW杯で活躍した選手なんですね? 間違いない?」

「Oh・・・(処置なしのポーズ)。1966年のイングランド大会で優勝したのは地元イングランドだが得点王(9点)はポルトガル代表の彼だった」

治五郎が話をしている相手は、10歳ほど年が違う。この差が、実は大きい。

「写真②は? 見たことはあるような気がするんだけど」

「西ドイツのゲルト・ミュラーじゃないか。1970年のメキシコ大会で、ブラジルに優勝は奪われたが、9点を入れて得点王になった。ズングリした体形なのに、動きが素早くてゴール前の動物的な勘が『半端ない』んだ」

「③は確かイタリアの・・・ロッシ! この辺からは良く覚えてます」

「そう、パオロ・ロッシね。1982年のスペイン大会で優勝したイタリアのストライカーで、細身の優男だが6点取って得点王になった。ただ、ワシがサッカーに詳しいのはこの辺までで、以後は新しいことを覚える能力がすみやかに衰えた。高校を終えると新しい英単語が覚えられず、忘れる一方なのと同じ原理だな」

「じゃ今は? 今回のロシア大会は見てなかったの?」

「いや、録画を含めればほとんど全試合を見てる。ただ、選手の顔と名前が覚えられないんだ。エウゼビオミュラーの得点シーンなんか、今でもシュートのコースまで覚えてるんだが。不思議というしかない」

「Oh・・・(処置なしのポーズ)」

歴史は繰り返す。

今大会を夢中で見ている少年たちは52年後も、かつてロシアで行われた試合の詳細を覚えているだろう。しかし、2070年のW杯がどこで開かれるか知らないが、その大会で活躍する選手の顔と名前は、見ても覚えられなくなっているだろう。