日本人は「第三者」にも弱い

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政治・経済・社会・スポーツなど諸分野においてAという主勢力(強者)と、劣勢のBという対抗勢力がある場合、Aの主導で「第三者」なるものに下駄が預けられることが非常に多い。

「専門家」「有識者」と呼ばれるお歴々による「第三者委員会」などというものが、それだ。顔ぶれを見ると著名なマスコミ人や評論家も交じっており、なんとなく公正・中立のイメージがあるのでパンピー一般ピープルの略。今や古語)は安心する。

【第三者】当事者以外の者。「ー(の手)に渡る」

【当事者】直接その▵事件に関係する(事にタッチする)人。「-能力▵が問われる(を欠く)」

しかし、当事者でないからといって油断は禁物。メンバーの中に、A勢力の息のかかった人物が紛れ込んでいることが往々にして見受けられるからだ。

【息】〔動物が〕生きる必要上、空気を吸い込んだり吐き出したりすること。また、その時の空気。「商社のーがかかる〔=世話になったりして、つながりが有る〕」

馬=写真=は大抵いつも鼻息が荒いが、人間は発言力があって鼻息が荒い人ほど、権力者の鼻息をうかがう傾向があるように思われる。

【鼻息】〔音が聞こえるほどの〕鼻でする息。「-〔=ご機嫌〕をうかがう」

【ーが荒い】㊀強さに自信を得て、当たるべからざる勢いである。㊁言葉や態度の端ばしに強気が うかがわれる。

政治家も官僚も週刊誌も、鼻息が荒い場合は、誰かの息がかかっていたり誰かの鼻息をうかがっていたりしないか、パンピーとしては気をつけなければならない。

 

 

日本人は「長いもの」に弱い

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<長い塀 つい小便が したくなり>(内田百閒の川柳)

治五郎は概して「長いもの」があまり好きではない。魚類においてウナギとサンマ(形状ではなく味)が大好きなのは、例外中の例外と言っていいだろう。

ことわざというものは、どれも説得力に満ちているが「長いものには巻かれろ」に、ワシは昔から嫌悪感を隠せない。

【長い物には巻かれろ】力のある者にはかなわないから、黙って従っている方がよい。

 戦争に負けたとたん、日本ではこれが「国是」となった。ウナギとアメリカを同列に扱おうとは思わないが、終戦の8・15までの日本は、今の北朝鮮も及ばないような全体主義国家=洗脳国家だった。最後の一人になっても竹槍で敵を殺す、と本気で思い込んで(思い込まされて)いたのだ。(命拾いした経験者も今では忘れたふりをしている)

戦後、安倍さんの祖父や麻生さんの祖父が「長い物」に巻かれる決意をしたので、日米安保条約は今も「国是」。どんなに変な大統領がアメリカに出てきても「アンタ、かなり変だよ」と、面と向かっては絶対に言えない。

 長いもの=写真は国会議事堂の赤じゅうたん=に、なぜ日本人は「巻かれよう」と思うのか。外国の長い物に巻かれるな! などという世論は決して生まれない。なぜなら、日本人が国内でも長い物に巻かれたがっているからである。

うー、ワンワン! (治五郎よ吠えるな)

 

「ハラスメント」考

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ハラスメント(造語)〔harassment=悩ませること〕何らかの方法で当人に苦痛を与えるようなことをすること。また、その苦痛。

セクシュアルハラスメント〔sexual harassment〕性的嫌がらせ。特に職場などで、女性に対して当人がいやがる性的な言葉を男性が口にしたり行動に表わしたりすること。セクシャルハラスメント。セクハラ。

パワーハラスメント和製英語←power+ harassment〕組織において、地位や職権を利用して部下に嫌がらせを行ない、心身に苦痛を与えること。略して「パワハラ」とも。

アカデミックハラスメント和製英語←academic+harassment〕大学や研究機関で、指導的な立場にある人が学生や所員に対し、権力を悪用して(性的な)嫌がらせや差別的な扱いなどをすること。アカハラ

新解さんは若くない男性と見られ、そのことによる限界なのか、出産関係が弱点らしい。「マタハラ」には全く触れておらず、それどころか独立した項目としては「マタニティー」すら無い。「マタニティードレス〔maternity dress〕妊婦服」のみ) 

治五郎くらいの年になるといろんな人間を見てきているから、各種ハラスメントの見聞には事欠かない。どうも、セクハラの常習者にはハラスメントを働いているという認識がないように思える。相手が嫌がっているということなど思いも寄らないのだ。

例えば男が、それほど親しいわけではない女の肩に手を置く。彼女が嫌がっているということを想像できないのだ。女に嫌われている男ほど、その傾向がある。(女の方だって勝手なもので、A男に肩を触られればセクハラだが、B夫だったらオッケーなのだ)

ことほどさように、ハラスメントというものは言葉や行為そのものではなく、相手が「嫌だ」と感じるかどうかが問題なのである。

不思議でならないのは、100%セクハラ男でも普通に結婚して子供がいるという現実である。夫婦間や家庭内では結構「いいパパ」で通っていたりする。一体どうなっているのだろうか? タデ=写真は花で、葉が辛い=を食う虫が多いということなのか?

「蓼食う虫も好きずき」〔=人の好みはさまざまで、外部からは分からないものだ〕

 

世の中は三日見ぬ間の桜かな

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な~んて言うが、1年前の出来事をブログで振り返るのに4日もかけていると、世の中に追いついていけない時代になった。過去10日間のブログを読み返しての実感だ。

相撲と女人禁制の問題がクローズアップされ、サッカーのW杯に臨む監督の首がすげ替えられた。治五郎の反応は、翌朝の新聞に載る直前に書いているから素早かったと言える。女人禁制問題を海外メディアがどう扱うかの予想も大体、当たった。刃が錆びついたとはいえ、さすがは元ジャーナリストだ。(自分で言うからダメだっちゅうの)

米国のメジャーリーグでは、大谷翔平=写真は少し古い=が、異様なまでの活躍を見せて「翔タイム」が今年の流行語大賞に選ばれそうな勢いだ。

政界も凄いことになっているんだが、野党の議席数が少なすぎるうえ、くっついたり離れたりの繰り返しで「共闘」というものを知らないから、政権交代は遠いだろう。財務省のセクハラ事務次官を辞めさせるのが関の山ではないだろうか。(週刊新潮の報道内容は、下品だからこそ人心に迫る)

セクハラ、パワハラアカハラ、マタハラ・・・「ハラ」の氾濫に腹を立てている治五郎だが、ハラスメントというものについて冷静に語りたい気持ちがないではない。ま、それはまた明日以降。

 

 

 

消えた1000円の謎が、キミには解けるか?

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 昔ながらの旅館に三人で泊まったとしよう。朝、楠根(くすね)という新米の女中さんが来て「お代は3万円ポッキリでございます」と言うので、一人1万円ずつ出した。

帳場では、主人が「常連さんだからサービスで5000円まけよう。楠根さん、これ返してきて」と1000円札=写真=5枚を渡した。ここで楠根さんに魔が差す。

2枚クスネて、客には3枚だけ返したのだ。客は1000円ずつ受け取って上機嫌だ。むろん何のトラブルも起きなかった。

さて、問題。一人当たり9000円だから、支払った額は9000✖3=2万7000円。楠根さんがクスネたのが2000円。合わせて2万9000円 だ。残りの1000円はどこへ?

「あれ? 確かに変だな」と一瞬でも思う人は、いつか必ず詐欺に遭うだろう。

これは、内田百閒「特別阿房列車」に出てくる有名な挿話を治五郎が多少、現代風にアレンジしたものだ。「Yahoo!知恵袋」のベストアンサーなどを読めば疑問は氷解するのだけれども、1年も経てばまた分からなくなってくる。老いの醍醐味である。

「4・10事件」一周年企画④

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 動坂下のウィークリーマンションの滞在期限が切れ、田端駅付近のゲストハウスにもう1泊して4月28日だかに、ようやく西尾久の新居に転がり込んだ。(思えば21世紀に入って以降、ワシは数年おきにどこかへ転がり込んでばかりいる)

弘前で梱包した11個の段ボール箱は郵送で無事に届いたが、家具どころか布団も鍋釜も食器も何もない。いくばくの貯えがあったから何とかなったものの、それがなければ露命をつなぐことなど出来ない相談だった。(しかし、我ながら今どき珍しい体験だ)

あの大愚・良寛漢詩に、こんな一節がある。

<生涯懶立身 騰騰任天真>

生涯 身を立つるに懶(ものう)く 騰騰(とうとう) 天真に任す

ワシ流に意訳すると「どうも昔から、せっせと働いて立身出世しようなどという気になったためしがない。生まれつきのグウタラな性格そのまま、好きなことだけやって、あとは自然の成り行きに任せるのが一番じゃあるまいかのう」

 この望みは叶えられつつあるわけだが、生きていくには誰かが働く必要がある。しかしワシは体も脳も衰えが極めて順調なので、もう働く気はない。妻の生活力に頼るしかないという道理になるだろう。かくて、治五郎はジゴロになったのである。

住めば都という通り、荒川区西尾久界隈もなかなか味わいのある街だ。家を出て2分も歩けば、お稲荷さんの祠=写真=があったりして、夜の風情などは申し分ない。

突然の一周年企画、これを以て最終回としましょう。ご退屈様でした。

「4・10事件」一周年企画③

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不忍通りの動坂下から田端駅方向に少し入ったところに、そのウィークリーマンションはあった。なるべく短時日内に住むべき部屋を見つけなければならないが、普通は即日入居可の物件などない。10日あれば何とかなると考えて契約し、身一つ(いや二つ)で転がり込んだ。

翌日から、近くの不動産屋を訪ね始めたが初日は空振り。2日目にウィークリーマンションの並び2~3軒目の店に入ると、クリタ君という推定30代後半の担当者が応対したのだが、この男が真面目で誠実な性格らしかった。

ワシらを一目見て「これは、何か訳あり夫婦だナ」と見抜いたに違いないが、そんな気配は見せず相談に乗ってくれる。「64歳、無職」では貸し手がないと思い「フリーライター」を名乗った(あながち嘘ではない)が、それでも二つ返事で部屋を見せてくれる大家は少ない(全体の5分の2ぐらいか)。

定年まで勤めた新聞社の名前でも口にすれば〝信用度〟が高まるのだろうが、ワシはそういうことが嫌な性格だ。それを知ってか知らずにか、クリタ君は汗だくで「あ、保証人になってくれる妹さんが大学の先生だそうです」などと、大家を口説くのに必死だ。1日で4つの物件を車で見て回った。

4つ目に見せられたのが、荒川区西尾久の現住居。賃料の割には広い1階の1DKで、日当たりがあまり良くないことを除けば難点はない。「これは、何か訳あり物件かも」と思ったが、贅沢は言っていられない。ここに決めた。

決まりはしたが、必要書類を調えたりするのに時間がかかり結局、動坂下には11日間滞在した。この辺りは谷中時代の行動範囲に含まれるから、懐かしい。「動坂食堂」=写真=のアジフライ定食(+モツ煮)などを久しぶりに味わった。

この店の客は20代と60代超の独り者(♂)が多い。60代の隠居が東京で住まいを見つけることの大変さを、しみじみと実感する治五郎であった。

 

「4・10事件」一周年企画②

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室生犀星「小景異情」の〝予習〟は済みましたか? では、始めましょう。

1年前の「4・10事件」には分かりやすい別名がある。「出ていけ事件」という。その日、4年間ほど同居していた(させてもらっていた)高齢の両親(当時、共に89歳)から突然、その言葉が発せられた。親の年のせいにする気はないし、息子(すなわちワシ)夫婦にも原因の一半はあるに違いない。

しかし、あまりに突然のことではあり、家を出てどうするという当ては全くない。寅さんじゃないが「それを言っちゃオシマイよ」だ。ちなみに「お兄ちゃん、どこへ行くつもり?」と気遣ってくれる妹(さくら)は現場にいなかった。

事の本質は、64歳(当時)にもなって親に「勘当」されたのである。

【勘当】〔法に照らしあわせて罪を定める意〕親・師・主などが目下の者の失敗や悪事をとがめ、その罰として今までの関係が全く無いものとして扱うこと。

どういう「失敗」や「悪事」を働いたのか今ひとつ釈然としないが、覆水盆に返らず。

とりあえず近所のスーパーに通って段ボール箱を集める。トイレットペーパーやティッシュ用の大箱ばかりで心許ないが、11個ほど集まったので衣類や書籍など最小限、必要な物を詰め込んだ。(自分の物ではない布団や食器を持ち出すわけにはいかない)

約1週間後、家を出た。新幹線代を節約して長距離バス(昼)で東京に向かう。ワシ単独だったら「今夜からは橋の下で寝るか」と覚悟するところだが、生活力というものは常に「♂<♀」。ワシにも土地鑑のある北区田端(動坂下付近)のウイークリーマンションを妻が予約してくれていた。

朝に弘前=写真は、近所の名刹「最勝院」=を発って、田端に着いたのは日没後。途中で北上中の「桜前線」と、すれ違った。仙台あたりが満開だった。

その時でありました、ワタクシが忽然として室生犀星の詩境を悟ったのは。

<ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや>

「4・10事件」一周年企画①

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「4・10事件て何ですのん?」と、京都の琴絵は尋ねるかもしれん。(琴絵て誰や)

昨年すなわち2017年の4月10日に、その小事件は起きた。京都ではなく「みちのくの小京都」と言われる弘前での話だ。社会的には何の事件性もない。

学校で誰もが習う詩に室生犀星(1889~1962)の「小景異情」がある。

 先生「この作者は今どこにいると思うかね? はい秀平君」

秀平「都というから東京だと思います」

先生「美智代さんは、どう思う?」

美智代「犀星の故郷は金沢=写真=なので、金沢ではないでしょうか」

先生「治五郎君は、どうだ?」

治五郎「う~ん、分からんとです。金沢と東京の中間じゃなかね?」

一周年企画ともなると、それなりの準備も必要になる。「待てない。さっさと言え!」という読者の気持ちは分かるが、〝予習〟のつもりで<ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの>の続きを読んでおいてほしい。(あす以降のブログを読み解く手掛かりになるでせう)

よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

通訳に罪はなけれど

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日本サッカー協会は9日、ワールドカップ(W杯)ロシア大会(6月開幕)に出場する日本代表のハリルホジッチ監督(65)を解任したと発表した。

 解任は7日付。後任は、西野朗・協会技術委員長(63)。

 記者会見した田嶋幸三会長は「(ハリルホジッチ氏と)選手との信頼関係が薄れてきたことなどを総合的に判断した。(W杯まで)2か月であることを考え、内部で一番(チームを)見てきた西野氏を監督と決定した」と理由を説明した。>(Yomiuri Online より)

田嶋会長でなくても、サッカーファンの多くが気になっていたのは「コミュニケーション」の問題だ。シーズン中は単身赴任で、どこへ行くにも通訳が一緒=写真=。この通訳がまた(ご覧の通り)目立つ風貌なので、治五郎は「この通訳が隣にいない時、ハリルはどう暮らしているんだろう?」と心配でならなかった。

 試合後のインタビューは何年たっても「アリガトウ」「ガンバリマス」+α 程度の日本語で、例えば大阪に行ったら「今日はシンドカッタけど応援、オオキニ」ぐらい言ってもええやん、と大阪人は思ってたんちゃうやろか?

外国からの〝助っ人〟は野球でもサッカーでも、あきれるほど日本語が上達しない。理由は明らかで、通訳がいるから「言葉を覚えなくても生きていける」のだ。ここに「覚えなければ生きていけない」力士との決定的な違いがある。覚悟の差と言ってもいい。

そこで我が身を振り返ると、何年たってもモンゴル語が少しも上達しない。モンゴル人の妻が普通に日本語を話すので、勉強する気にならないのだ。困ったことである。